Chapter 2


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁっ!」


 陽の光が差し込まない深い深いダンジョンの中を、三つ編みを揺らして八千穂やちほは全力疾走していた。

 止まったら、間違いなく、殺される。

 追いかけてくるのは、得体の知れない生き物だ。


「ぐへぇやぁああ!!」

「きゃああああっ!!」


 老人の顔をした、サソリの尻尾を生やしたライオン――この世界の言葉で言うところのモンスターは、ブリーギッド王国から追放された八千穂やちほという無力な獲物を追い回しながら、喜びの奇声を上げていた。

 亡き祖父譲りの鮮やかな緑色の眼の奥に、怒りが灯る。


「……あいつら、絶対に許さない……!」











「いい加減にしてよ、九頭クズさん!」


 クラス委員長のにのまえ優衣ゆいの言葉を、八千穂やちほは当然無視した。

 このクラスに、「クズ」さんという人はいない。

 それに第一、八千穂やちほの名字は九頭と書いて「くず」じゃなくて「くがしら」だ。


「てめぇ、ハチホ! マジふざけんな!」

田嶋たじまさん、そんなひどいこと言わないであげてよ。人の話を最後まできちんと聞くことを知らないだけなんだから、九頭クズさんは。ねー、そうでしょ?」


 声を荒げるのは、ヤンキーもどきの田嶋たじま紅愛くれあ

 毒を含んだ台詞で追随するのは、この二人の太鼓持ちの鵜飼うかい優樹菜ゆきな

 当然、無視した。誰がハチホだ、わたしは八千穂やちほだ。

 そのまま、教室を出ようとする。


「てめぇ! あたしらだけじゃなくて、にのまえさんまで無視すんじゃねえよ!」

「次、移動教室なので」

「クラス委員長として言うけど、いくら遠くに行ったご友人からのプレゼントとはいえ、ピアスつけてくるのどうかと思うんだけど?」

「そこ、どいてくれる?  遅刻したくないので」

「てめぇ、話聞けよ!」


 がぁん! と派手な音が鳴った。

 田嶋たじまが机を蹴ったのだ。

 派手な音を立てて、机が倒れる。

 机の主の小此木おこのぎゆかりが、びくっ! と身体を震わせるのが見えた。

 関わり合いになりたくないらしい何人かが、こっそり教室を出ていくのも。

 クラス上位カーストトップ3人、読モのはせりりこ、学年首席でお嬢様の空木うつろぎ真由美まゆみ、バスケ部エースの作田さくたアンナは、無関心を貫いている。

 あと残ったのは、文芸部の久瀬くぜはるか、ソフトボール部マネージャーの城ヶ崎じょうがさき美穂みほ、アニメオタクのみなもと典子のりこ


「ハチホのくせに、ふっざけんな!」

「…………」

「下校の時覚えてろよ! アタシの今の彼氏のタクトくん、『ブラッディクロイツ』の幹部なんだからな! メンバー集めて、てめぇなんか」

「なにやってるの!」


 ぴしゃり! と、甲高い声が空気を打った。

 見れば、生真面目とスーツで武装した銀縁眼鏡の若い女、クラス担任で倫理教師のえにしゆかりが、教室に入ってくる。

 その側に控えるようにして立つのは、クラス副委員長の田中たなか華子はなこ


「げっ!? 先生!?」

ゆかり先生……」


 八千穂は、嘆息した。なんで、こう、面倒が次から次へと。


「またみんなと喧嘩ですか? 九頭くがしらさん、いい加減にしなさい!」

「喧嘩なんかしてませんよ」

なら、先週きちんとクラスで解決したはずでしょう!? みんなの前で握手して、にのまえさんときちんと仲直りしたはずんじゃないの!?」

「…………」

「大体、なんであなたはいつもいつもいつもいつも!」


 言葉は続かなかった。

 なぜなら、その直後――






 八千穂は小学生の時、父に遊園地に連れて行ってもらった。

 そこで初めて乗ったジェットコースターの、猛スピードで落ちる時の変な浮遊感の、なんとも言えないあの気持ち悪さを、今も覚えている。

 そんなことを漠然と思った直後、目も開けられない程の光。


「きゃああああああっ!?」


 思わず目をつぶる。

 自分と、それ以外の悲鳴が聞こえたのを最後に、八千穂は意識を手放した。



 今思えば、これが、八千穂にとって全ての始まりだったのだ。

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