第82話 駆逐艦『綾波』奮戦す! ルンガの鬼神ここにあり!

【1942年8月上旬】


 日英交渉によって仏蘭を含めた無期限の休戦が日本と英国の間で確認された。世界大戦に関する諸般の事情から公表せずにおき、現場は「見て見ぬふり」を徹底するよう命じられる。これによって、日本は対米戦に集中できることになり、対英に割いていた戦力の対米に転用できた。


 米軍はニューギニアとオーストラリアの防衛強化と反攻準備に忙しい。そこで、ソロモン諸島に注目した。フィジーやニューカレドニアから近く、輸送船団を護衛する艦隊の泊地に適する。ガダルカナル島には飛行場を建設してバヌアツなどを発した航空機の中継や回収に用いた。日本軍がニューギニアとオーストラリアの制圧を目論む場合は、ガダルカナル島に代表されるソロモン諸島が攻撃の起点に成り得る。しかし、実際は過酷な環境から「放棄すべし」との声が突き上がった。


 米軍を支えるのは圧倒的に充実した補給である。最近の補給は途切れ途切れだった。潜水艦の対策に少数のB-24を投入している。B-24の対潜哨戒機は一定の戦果を挙げた。日本の潜水艦の活動に制約を加えるが、日本軍は機雷敷設に注力している。触発式と磁気感応式、水圧感応式と様々な機雷を投入した。米海軍の駆逐艦や駆潜艇による掃海は追いついていない。最前線に送らなければならない物資は、機雷の前に海へ沈められた。


 さらに、最近ではニューギニア西端やオーストラリア西部に魚雷艇が出現する。PTボートよりも大柄な高速魚雷艇は厄介を極めた。魚雷艇の集団が神出鬼没の奇襲を仕掛け、輸送船のみならず駆逐艦や駆潜艇、PTボートに大損害が出ている。


 日本軍は徹底的にアメリカ軍の後方を叩いた。


 今日も今日とて、輸送を締め上げるべく一撃離脱の艦隊が送り込まれる。


=ガダルカナル島・ルンガ泊地=


 1隻の駆逐艦が深夜のルンガ泊地に迷い込んでしまった。


「これは参ったな。物凄いスコールで艦隊から離れている」


「反転しようにも。ここは敵さんど真ん中です。無事には戻れません」


「綾波には悪いが、ここで矢尽き骨折れるまで戦おう。たかだか、古い駆逐艦1隻の消耗なんぞ、痛くもかゆくもない」


 その駆逐艦は綾波型駆逐艦の栄えある一番艦の『綾波』だ。汎用駆逐艦の第二弾に建造された古めの駆逐艦である。綾波はマーシャル諸島を拠点にする遊撃艦隊に組み込まれ、駆逐艦3~4隻からなる小部隊でソロモン諸島を奇襲し回った。主な標的は輸送船や駆逐艦、駆潜艇など自身と同程度か以下の敵にする。もちろん、敵の方が多数の場合、巡洋艦を連れる場合は回避した。戦機に恵まれない時は偵察に努めている。あまりにも、砲弾に在庫がある場合は、ガダルカナル島を砲撃することもあった。


 今日は道中で強烈なスコールに見舞われる。小艦隊を組んだ僚艦の『浦波』と『式波』とはぐれた。綾波艦長の作間中佐も島に囲まれて連絡が取れない中では難しい判断を迫られる。幸いなことに、スコールで損傷することはなかった。しかし、あろうことか、ソロモン諸島のガダルカナル島のルンガ泊地に突入している。


「綾波の後方にはサボ島がある。敵さんは我が方を視認しづらい。電探も使えん」


「どでかい花火を上げましょう。ここで道連れにします」


「砲雷撃戦用意! 雷撃後は直ちに砲戦に移る!」


 まだ、敵艦に発見されていなかった。暴露される前に退避するが最も安全であり、隠密に魚雷を吐き出しても構わない。しかし、作間中佐は敵前から逃げることを嫌った。戦機が訪れた際は逃さず食らいつく「見敵必殺」の精神を携える。


 この時の綾波はサボ島を背にして視認しづらい。ルンガ泊地の米艦は彼女の存在に全く気付かなかった。レーダーを使おうにも、島が多いと精度が悪化する。そして、ルンガ泊地という自軍拠点の中では安心感が勝る。


「魚雷発射を完了しましたぁ!」


「機関全速! 突撃せよ!」


 発見されていないことを良い事に据え、三連装魚雷2基から61cm酸素魚雷6本が発射された。本来はもう1基を有するところ、被弾時の恐れを鑑みて降ろし、予備魚雷も持たない。つまり、最大限の6本を全て発射している。


 ルンガ泊地の敵艦は駆逐艦多数と小型舟艇多数と見積もった。米海軍の本格的な反攻前のため、ルンガ泊地の戦力は小型艦が占めている。あくまでも、各地へ向かう輸送船を護衛する艦の拠点に過ぎなかった。これが10月以降になると戦艦の大型艦も立ち寄ることになろう。


「当たった!当たった!」


「砲撃を緩めるな! 見える物は全て撃てぃ! どうせ、周りには敵しかおらんのだ!」


 ルンガ泊地の米艦にとっては寝耳に水だった。突如として、駆逐艦2隻に大爆発が発生する。1隻は対潜任務の出撃前で爆雷を満載し、運悪く爆雷が次々と誘爆して、あっという間に鉄くずと化した。もう1隻は船体中央部から真っ二つに割れて沈没を始める。


「敵発砲! 来ます!」


「狼狽えるな! 我が方の主砲が早い!」


 ルンガ泊地は大混乱に陥るが敵艦を砲撃から確実視し、直ちに残存駆逐艦と駆潜艇が反撃に移った。敵艦はたった1隻の単身で突っ込んできた。彼女の武勇は認めるが、多勢に無勢と言わんばかりに砲撃を返す。彼我の距離は近距離と言って差し支えなかった。


「魚雷発射管使用不能!」


「内火艇の燃料庫から火災発生!」


「スコールに突っ込めば火災は収まる! 魚雷は捨て置け!」


 30ノットを超える高速航行と雖も当たる時は当たる。米駆逐艦は5インチ砲を搭載して威力に勝る。数発が魚雷発射管へ直撃して使用不可に陥り、左舷の内火艇用燃料タンクに火災が発生した。魚雷は撃ち尽くして、爆雷は空っぽのため、特に誘爆の危険は生じない。


 綾波は猛烈な砲撃を止めなかった。彼女は汎用駆逐艦として10cm高角砲(前期型)を装備し、自軍の12cm砲や12.7cm砲、敵軍の5インチ砲に比べ、威力は劣る代わりに連射速度は上回った。敵が1発撃つ時には2発撃っているような猛砲撃で迫る敵艦を叩きのめす。命を顧みない兵士は12.7mm機銃にしがみ付き、敵艦甲板上の敵兵を掃射している。


 とはいえ、さすがに無茶を犯し過ぎた。


「二番砲塔がっ!」


「すまん…靖国で会おう」


 5インチ砲が立て続けに二番砲塔へ直撃した。駆逐艦の装甲では耐え切れるわけがない。第二砲塔は完全に沈黙して内部の兵士は壮絶な戦死を遂げた。残存の第一砲塔と第三砲塔は懸命に抵抗する。しかし、敵艦の砲撃は激しくあり、艦全体が被弾に包まれた。2本の煙突はボロボロに崩れ、機関部も被弾から出力を急激に失う。最終的には操舵不能から漂流に移った。内火艇燃料タンクの火災は拡大を続け、スコールは期待できない。火災は止まることを知らず、これ以上は戦えないと判断した。


「ありがとう。綾波よ。すまなかった」


 作間艦長はポツリと漏らした。


 そして、毅然とした態度で最後の命を下した。


「総員、退艦せよ!」


 作間艦長以下の生存兵は次々と海へ飛び込んだ。海に浮かびそうな物を片っ端から投げる。浮き輪なんて贅沢は言わず、生き残る術を模索した。彼らは孤軍奮闘を認められたらしい。海水に塗れながらも大炎上する敵艦を見て士気を維持し、中には大声で大日本帝国海軍歌を熱唱する者さえ現れた。


「味方だ! 味方の船が来たぞー!」


「た、助かるのか! やったぞ!」


 何というタイミングの良さである。なんと、はぐれた『浦波』と『敷波』がルンガ泊地に突入した。2隻はガダルカナル島付近の爆発音と閃光から察すると、大急ぎで救援に向かった先に地獄絵図が広がる。綾波は満身創痍で浮いているだけだ。米艦は最低でも5隻が酷い様子で見ていられない。


 ルンガ泊地の大混乱を隠れ蓑にし、浦波と敷波は救助活動に専念した。綾波の生存兵はざっと190名である。作間艦長も含まれて無事に救助された。生存兵を回収次第にルンガ泊地から退避する。


 ルンガ泊地に残された綾波は、翌日の0時過ぎに静かに沈んだ。


 この戦いは小規模な海戦だったが、駆逐艦『綾波』の武勇を認めた。


 日本海軍は殊勲艦と称え、米海軍はガダルカナルの悪魔と畏怖する。


 戦後に作間艦長は語った。


「あれは酷い戦いでしたよ。馬鹿げたもんですが、綾波はよくやってくれました。私は運が良かっただけです」


続く

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