第13話 新たなる局面へ
【1939年9月】
ついにヨーロッパが爆発した。
ドイツはポーランドへ電撃的に侵攻する。ポーランドに保障をかけていたイギリスとフランスは連動した。両国がドイツに対して宣戦布告を行ったことで、二度目の世界大戦が発生する。陸上戦はポーランドとドイツ=フランス国境に限られるが、大西洋から各海峡まで対独封鎖が発表された。
もちろん、予想された事態である。大日本帝国は中華民国と共に「ヨーロッパに中立」を表明した。日中はドイツと親密にみられがちだが、そもそも、ヨーロッパとアジアで全く異なる。良好な関係を築いていると雖も参戦するようなことは、絶対にあり得ないと断じた。
しかし、表向きは静観でも国内の統制など対英米決戦に関して課題は山積する。従来の体制では対応しきれないことを理由に掲げ、愛国心を標榜にした『愛国内閣』が新たに成立した。
愛国内閣の成立は地方の農村部でも瞬く間に浸透する。
=瀬戸内の農村=
「愛国内閣だってよ。うちらには関係ないな」
「いいや、戦争ってことは色々な物が必要になる。俺の勝手な勘だが、栽培を頑張らんといけなくなる」
「外国への輸出を減らし、軍需に回しているって聞いたな」
「良い方に捉えれば収入が安定する。命を賭す軍人さんが使うんだから、良い物を沢山作らんといけねぇ」
畑仕事を終えて共同倉庫で休憩する農家は、ラジオの緊急放送から新内閣の成立を知った。地方で関係ないと思う者が大半を占める。しかし、若い農家は機敏に反応した。彼らは国策と保護される除虫菊こと『シロバナムシヨケギク』を大規模に栽培する。
そう、自然由来の防虫である蚊取り線香の素材だ。
日本は数年前までは諸外国にも輸出していたが、国策の保護に伴い縮小されていき、最終的には同盟国の中華民国、ベトナム、ラオス、カンボジア、タイ王国に限られた。外国への輸出を縮小した分は国内の軍需に回して安定した収入を得ている。
「兵隊にいった木下さんの息子さん。あの人が無事に帰ってこれるよう、丹精込めるのさ」
「徴兵が来ないと良いねぇ」
「来たら来た時だ。国のために銃持って戦う。それが瀬戸内の男じゃないか」
なぜ、国策で軍需に優先供給させるのかは、ひとえに蚊取り線香の素材だからに依った。日本軍が進出を予定する南方地帯は熱帯である。つまり、蚊などの虫を媒介する感染病が敵軍以上の厄介となった。特に蚊によって媒介されるマラリアが危険極まりない。除虫菊で作られる蚊取り線香を大量に必要とした。本当は充実した医療設備や薬品が好ましい。そんな医療的な贅沢を最前線で揃えるのは不可能だ。蚊取り線香などの除虫剤を使用して予防するしかない。
もちろん、マラリアの特効薬である「キニーネ」を確保した。オランダ領インドネシア制圧を第一に据える。これはキニーネの原料であるキナの木の最大生産量を誇るからだ。しかし、手段が一つだけでは不足が生じかねない。キニーネの代替となる医薬品の開発を進めるため、国策として民間企業と帝国大学と協力した。
さらに、殺虫剤としてDDTを導入している。DDTを開発したスイス・ガイギー社から合法な取引を行い大量製造を確立した。これは安価で大量製造ができる殺虫剤のため、作戦区域にばら撒いては蚊を許さない。使用に際しては専用のマニュアルを整備し、使用者に注意事項を厳守する指導を徹底した。
「今度の首相はどちらさんかね。キクを買ってくれるなら、どうだっていいさ」
「そんなぁ無関心じゃ、いけねぇよ」
除虫菊を丹精込めて育てる農家の眺める先に戦争の炎は映っていない。
=中華民国=
「新しい内閣は愛国内閣と呼ばれるらしい。要は対英米決戦の準備の総仕上げだ。阿南大臣からは、避難民の保護を徹底せよと通達が届いている。ソ連軍の妨害があれば実力を以て排除し、ドイツ政府の抗議があろうと無視で構わない」
大日本帝国陸軍の樋口季一郎大将は新政府の成立を部下に伝える。そして、陸軍大臣からの通達も共有した。愛国内閣の軍大臣は、良くも悪くも、案の定という評価である。陸軍は阿南惟幾で海軍は米内光政が共に留任した。内政系の大臣が変更したぐらいである。
実は前の内閣との変更点は首相ぐらいだった。
「装甲列車の運行数と装甲軌道車の定期巡回を増やします。ソ連軍も装甲車両を前にして妨害活動はできず、共産ゲリラも手を出せるわけがありません。それに、避難民の迅速な保護と移送に繋がりました」
「よろしい、燃料は満州で産出されている。気にすることなく走らせろ」
「はっ」
中華民国の防衛は中華民国軍の担当だが、日中で防衛した方が厚みを増すだろう。中ソ国境にて厳重な警備が敷かれたが、多くの市民がが国境越えを図った。彼らは異国の市民であり、ヨーロッパから東方の楽園に逃れる。有力な避難先は、アメリカとイギリスだ。残念ながら、どちらも海を隔てている。かなりの財力を蓄えていない限り、海を越えることは不可能と言えた。必然的に陸続きの大陸を横断せざるを得ない。ソ連のシベリア鉄道に沿って歩き続けて中華民国に入ろうと力を振り絞った。
ソ連政府は避難民について黙認の姿勢を貫いた。中華民国の国境線に到達した避難民には見て見ぬふりをする。ボロボロの姿でお金も物も持たない民に関わらなかった。中華民国と協議した日本政府は、避難民の受け入れを拡大した。スパイでないかの検査は行うが、基本的に無制限に無条件で東亜に迎える。しかし、時偶に妨害行為が確認され、共産ゲリラも出現して共謀して工作活動を行った。
「二輪車の哨戒も強化し、事前に拾い上げられる体勢を組んでみては」
「許可する。一人でも多くの民を救いなさい。ドイツとは仲良くすべきと思っている。しかし、我々は日本の強兵として、助けを求める者を見捨てない。どんなことがあろうと、この私が全て責任を取る」
ソ連軍と共産ゲリラを牽制するため、装甲列車と装甲軌道車の巡回を強化する。避難民は鉄路を目印にした都合でソ連軍も共産ゲリラも鉄路に沿って出現した。ソ連軍とは相互に中立を約したが、共産ゲリラは明確な掃討対象に定まる。装甲列車の圧倒的な火力と分厚い装甲を押し立て勝手な真似を許さなかった。
装甲列車は大掛かりで機動力に欠ける弱点は装甲軌道車が埋める。具体的には、日本陸軍の秘密兵器たる、九五式装甲軌道車と九八式装甲軌道車の出番だ。世界には軌道上と軌道外を走行可能な装甲車は存在する。しかし、日本陸軍の装甲軌道車は唯一真っ当に量産され大成功を収めた。
装甲軌道車は軌道上を車輪で装甲し、軌道外は履帯で走行する。軌道の走行時は履帯を吊り上げ、軌道外の走行時は車輪を格納した。車内から迅速な切り替えができ、軌道外へは約1分で済み、軌道復帰は車外に出て約3分で完了する。面倒そうな作業を数分で終えられるのは絶大な利点だ。なお、狭軌・標準軌・広軌の全てに対応している。
武装は7.7mm車載機銃が1門と装甲は7mm~10mmに留まった。貧弱な火力に小銃弾を防ぐ程度の装甲は頼りない。装甲軌道車は鉄道破壊工作の警戒、貨物列車と装甲列車の露払いに充当された。軌道上で高速を発揮することも勘案すれば十分だろう。
特筆すべきは軽貨車1両を牽引できることだ。最高速度は20km/h低下する代償に九一式軽貨車を連れる。軽貨車は5tまで積載可能であり、速度を犠牲に各拠点へ物資を供給した。
「避難民の受け入れについて、独断専行を広く認めよう。人数が多ければ、三輪自動車や四輪貨物自動車の派遣を認める。事前の許可取りは不要だ。小銃と弾を捨ててでも罪なき市民を救え」
樋口季一郎大将の人道路はヒグチルートと呼ばれる。
続く
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