第112話 あの日、キミを助けたのは
母さんが夕方に帰ってきて、それからじいちゃんばあちゃんを含めて一緒に夕食を食べた。そこで交わされる会話は、さっきじいちゃんたちに話した俺の悩みとは無縁のもので、楽し気なものだった。母さんの職場の話とか、俺の成績に話とか、そんな感じ。
また会いにくると約束をして――それから俺はこっそり二人にお礼を言ってから、友人たちの待つもう一つの地元へと戻るために、母さんと一緒に電車に乗った。
さすが夏。もう結構遅い時間なのに、空はそこまで暗くないな。
「あー……ちょっと聞いて欲しい話があるんだけど」
「? どうしたの、そんなにかしこまって」
いぶかし気に俺を見る母さん。まぁ急にこんなこと言われても意味がわからないよな。
ずっとずっと隠していたから、もしかしたら説教でもされるかもしれないが……必要なことだと割り切ろう。
小学五年生のころに、俺は溺れていた女の子を助けた。
しかし、俺がその女の子を熱海と認識しておらず、さらに俺が勝手に勘違いしていたせいで、熱海は一人で傷ついていた。恋愛の話を抜きにして、そんな風に洗いざらいを話したのだけど――、
「そこに恋愛も関わってるから、余計にこじれちゃったってわけね……まぁわかったわ。向こうの親御さんが挨拶に来るって話でしょう? そっちは私に任せておきなさい」
いや別に俺は恋愛云々の話はしていないんだが……いや、そうか。母さん一度俺に『失恋でもしたの?』って聞いてきた時があったな。勘づいてはいたってことか。
「でも……そっかそっか。長年の謎が解けたわ。優介に何度か聞いたことがあるけど、ずっと誤魔化されていたものね」
「……すんません」
あの件があってから『何かあったでしょ?』と母さんに聞かれたのは一度や二度ではない。そりゃ子供のポーカーフェイスなんてたかがしれているもんなぁ。雰囲気も、暗くなっていただろうし。
母親にこんな話をするのは気恥ずかしいけど、これもずっと隠し続けていた自分への罰と思えば軽いもんだ。いや、こんなもの罰にすらならないか。
あとは、あの二人のことだけを考えればいい。それと、親友たちのこと――も?
「……まさか、あいつ……」
蓮と由布の顔を思い浮かべた瞬間に、ある言葉が脳に突き刺さった。
『手を伸ばせば手に入る恋』と『地獄の向こうにある真実の愛』、アリマンが選ぶとしたらどっち?
あぁ……そうか、なるほどな。由布はあの時点で、すでに熱海の王子様が俺であることを知っていたのだろう。
そして由布は、長く一緒にいれば俺の気持ちは性格的に熱海に傾くということを理解してしまったのだろう。
しかしそれよりも前に――例えば黒川を階段から助けたのが俺だと無理やりばらしたりして、俺と彼女の仲が進展していれば、また違う未来があったはずだ。
恋と愛。両者をそんな言葉で区別したのはいささか不満ではあるが……俺の想いよりも先に影響を与える何かがあったのだから、由布の言いたいこともわかる。
好みが一致し、好意を抱いてくれる人を好きになるのか。
好みが真逆で、他に好きな人がいる人を好きになるのか。
由布が言いたかったのは、片方から目を逸らすのか、両方に目を向けるのか――そういう話だったのだろう。あくまで、俺の憶測だけど。
「となると……あいつはあいつで地獄を見ていたわけだ」
由布はきっと、俺が最後にすべて気付いてしまうのを織り込み済みで、悪役となっていたのだろう。
正面に座る母さんにすら聞こえないような声で、ぼそぼそと呟く。
蓮もきっと由布から話は聞いていただろうし、罪悪感は覚えていただろう。
あぁ……本当に由布の言う通りだったな。
『みんな』地獄を歩いていたのか。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
過去を振り返りながら『みんな』の傷を確認してから、俺はひとまずチャットを送ることにした。全員と話をしなければならないのは確実だが、まずは俺にとって一番目を向けなければいけないところから。
『いま電車。もうすぐそっちに帰る』
とりあえず、返信がくるかどうかを確認するためにそんな簡単な文章を送った。まだ夜の八時だし、たぶんすぐに返事はくるだろう。
そしてその俺の予想は的中し、一分ほどで『気を付けて帰ってきなさいよ』と言う文字と、猫の『おかえり』というスタンプが送られてきた。ちょっとおかえりは早い気もするなぁ。
まぁそれはいいとして。
『あっちで熱海の両親、道真さんと希さんに会ったぞ』
この文章を送ったあとは、熱海の返信が少し遅れた。といっても、五分程度だけど。
『そうなの? よくあたしの両親だってわかったわね』
文字だから、熱海がいまどういう心境でこの言葉を語っているのかはわからない。ただ、誤魔化そうとしているような雰囲気は感じた。あくまで、俺にはバレないようにしているのだろう。
熱海のことだ――自分の恋心は、伝える資格がないとでも思っているんだろうな。だから、ずっと黙っていたのだろうし。
『俺はわからなかった。だけど、道真さんが俺を覚えていてくれたんだ』
その言葉送信すると、またもや返信が途絶えた。今度は、既読が付いてから五分経っても返事はない。他のことで忙しいという可能性もあるけれど、十中八九、返す言葉が思い浮かばないのだろう。
だから、俺は追撃した。
『随分と時間が掛かってしまったけど、ようやく気付くことができたよ』
まずその文章を送ると、送信と同時に既読が付いた。どうやら、彼女は画面を開いたままらしい。だから俺は即座にもう一文付け足した。
『あの日、溺れていた熱海を助けたのは――俺だってことを』
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