第86話 魅了魔法



 熱海はいつも通り八時ごろに帰宅し、残りはひとりの時間。

 もう彼女に背中を拭いてもらう必要も、髪を乾かしてもらう必要も、家事を手伝ってもらう必要もないから、完全に独立した時間となる。


「はたから見たらバカなんだろうな、俺」


 二人の異性を好きになり、片方から告白されるも、それを断った。そしてもう片方の、まったく別の人を好きな女子を気にかけている。


 こんな状況であれば、『お前が好きなのは熱海ってことだろ』となることはわかっているのだけど、これは単なるないものねだりで、手に入らないからこそ欲しがっているのではないか、そんな風にも考えてしまう。偽りの恋心なんじゃないか、そう考えてしまう。


「これがモテ期……いままでモテなかった反動がここで来たのか! ――なんてふざけてる状況じゃないことは重々承知なんだけどなぁ、だって難しすぎるだろこんなの」


 ふざけて現実逃避もしたくなるってもんだ。

 風呂から上がり、身体を拭いて頭を乾かし、寝巻きを着てからリビングのソファに座る。

 テレビをつけて、コップに注いだお茶を喉に流し込んでいると、スマホが震えた。

 画面を見て――え?


「間違い、なのか?」


 電話がかかってきていた。黒川さんから。

 しかもただの電話ではなく、ビデオ通話が。震えるスマホを手に取って呆然としていると、着信は終わった。が、すぐに再度電話がかかってくる。先ほどと同じく、ビデオ通話で。


 間違いじゃなくて、本当にビデオ通話をしようとしてるってことだよな……じゃあ、出ても大丈夫なのか。

 そう自分を納得させて、素早くテレビを消し、自室に移動してから応答ボタンをタップ。


「もしも――ってなにしてんの黒川さん!?」


 画面をみた瞬間、顔をそらしつつ、片手で目を覆う。――が、指の隙間からしっかりと画面をうかがう。


『あ! こんばんは有馬くん! もしかして忙しかった?』


「いや、忙しくはないけどさ……どういうつもりでしょうか?」


『魅了魔法! チャームってやつだね!』


「もっと自分を大事にしようぜ……」


 彼女の言う魅了魔法は、お風呂場からのビデオ通話だった。入浴剤を入れているらしく、幸いにもお湯は緑色になっていて見えてはいけない部分はきちんと見えていないが、鎖骨から上の肌はしっかりと画面に映っていた。


『えへへ、有馬くんだからだいじょーぶ! 好きな人だからって意味もあるけど、それに加えて有馬くんだからって感じかな?』


「どういう意味ですか?」


『んー……わかんない!』


 わかんないのかよ! よくそれでビデオ通話に踏み切ったな黒川さん。

 元気よく、あまり意味のわからない宣言をした彼女が、俺に「見えないから大丈夫だよ~」と声を掛けてきたので、俺はしぶしぶ?顔を覆っていた手を離し、画面に目を向ける。


『あれ? ひょっとして有馬くんもお風呂あがり?』


「風呂あがったところですね」


 首にタオルをかけていたから、黒川さんはおそらくそれで判断したのだろう。しかしあれだな……たとえ隠れているとはいえ、お風呂に入っているという状況そのものが、すごく背徳感を覚えさせるな。本当に、見てもいいのだろうか、これは。


 濡れた髪の毛をすべて後ろに流しており、額には水滴がぽつぽつと光っている。見えている部分はプールの授業で見た時と大差はないのだけど、彼女が少し動くと水面が波打ち、胸の上部分がチラチラと見え隠れしている。


 たぶんそれは、ビキニみたいな水着を着ていればハッキリと見えている部分なのだけど、何も身に着けていないことがわかっているとなると、見え方もまた変わってくる。


『有馬くんは今日なにしてたのー?』


「この状況でお話するつもりですか? 風呂あがってからにしたほうが良くないですか?」


『あははっ、さっきから有馬くん敬語だ~! 緊張させちゃってる?』


「そりゃしないほうがおかしいだろ……」


『まぁまぁ、見えないかもしれないけど、一応ばっちりタオルは巻いてるから大丈夫だよ! 対策は万全なのです!』


 ならまぁ……いいのか? 本当に?


『ドキドキしてる?』


「そりゃするだろ……というか、男子でしないやつはおかしい」


 ため息を吐きながらそう言うと、彼女は楽しそうに笑った。完全にからかわれてしまってるなぁ。

 それはそうと、今日何をしてたか、だったな。


「熱海が家に来て、二人でだらだら本を読んでたよ。午前中は家の掃除とかしてた」


『おー! 今度私も有馬くんの家の本を読み漁らなくちゃ!』


「夏休みは特に用事がないからなぁ、お盆は△△県に行くけど、ほかはだいたい暇してるから、まぁ大丈夫かな」


『そっかそっか、またみんなで集まってお勉強会とかしたいね! 今度は由布さんたちも誘ってさ!』


「だなぁ。由布の奴をなんとか真面目にさせとかないと、蓮が苦労しそうだし」


『あははっ、この前成績上がってたから、きっと大丈夫だよ!』


 黒川さんにもいちおう、俺の父親がいないことはちらっと話している。といっても、熱海のように詳しく話したわけではなく、昔亡くなった、という簡単な情報だけ。

 だからきっと、今もなんとなく墓参りに行くことを察して、明るい話題を振ってくれたのだと思う。気遣いの上手な人だ。


『ところで有馬くん』


「なんでしょうか黒川さん」


『私はいつになったら他の人みたいに呼び捨てで呼んでもらえるのでしょうか?』


 あ――そういえば、いまだに黒川さんだけは『さん』付けで呼んでるな。由布も熱海も呼び捨てなのに。なんとなくキャラ的な問題でそう呼び分けていたのだけど、彼女にとっては壁を感じていたのかもしれない。


『陽菜乃って呼んでもいいんだよ?』


「さすがに名前呼びは恥ずかしすぎるのでご勘弁を……黒川、でいいか?」


『お、おぉ……ドキドキしちゃった。有馬くんのこと好きになっちゃったかも!』


 もともと好きだろ――とツッコみたかったけど、さすがに無理。なんて反応しづらいボケをするんだ黒川は。


『え? もともと好きだろって? えへへ~、バレちゃったか~』


 彼女は顔を赤くしながら、照れ臭そうに微笑む。とても楽しそうだ。

 あぁどうしよう。

 告白されて距離が近づいたからか、彼女の魅力的な面がさらに見えるようになってしまった。俺の心は熱海に傾いていたというのに、それを押し戻さんと黒川さんが比重を重たくしてきている。


 本当に、どうにかしないとな……。


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