第55話『友達』



 熱海と黒川さんが家にやってきた翌日の土曜日。

 俺の家に昼過ぎにやってきた二人と、昨日よりもだらだらしたペースで勉強を開始した。

 なぜか席の配置に変更があり、昨日は熱海と黒川さんは横に並んで勉強していたのだけど、本日は黒川さんが側面に移動している。俺と熱海が向かい合うような形は変わっていないけど、ちょっとだけ黒川さんがこちらに近づいたような感じになっていた。


「……熱海たち、なんか変じゃないか? なにかあったか?」


 黒川さんは妙にそわそわしているし、熱海は頻繁に黒川さんに目を向けている。そして、俺に視線をちらっと向けたかと思うと、彼女は小さくため息を漏らしていた。バレないように自然にしているようだけど、複数回もあればさすがに不自然だとわかる。


「え!? そ、そうかな!?」


 やけに白々しい態度の黒川さんが、明後日の方向を向きながらきょろきょろと視線をさまよわせる。どうやら嘘が苦手なようだ。これは新たな発見だな。

 さて、黒川さんが俺になにか隠し事をしていることは明らかなのだけど、内容がさっぱり予想できない。熱海の態度を考慮したとしても、まったくわからない。謎が謎を呼ぶ状態で、はっきり言ってお手上げだ。


「まぁ陰口とかじゃないならいいけどさ」


 我が家に来ておいてそれはないと思うけど。嫌いなやつの家になんてひょいひょい上がり込まないだろうし。


「違うよ! そういうのじゃないからっ!」


 そう必死に弁明の言葉を発する時点で、何か隠し事をしていることは確定。熱海に目を向けてみると、彼女は肩をすくめていた。


「こっちのことは気にしないで。有馬には迷惑とかかけないから」


「お、おう……まぁ気になっただけで、迷惑がかかるとかはあまり気にしなくてもいいんだけど」


 相談できる内容なら相談してほしい――という意味を込めてそう言ってみたが、熱海は「大丈夫だから」と会話を切るように言った。あまり言いたくない内容らしい。

 ならば、気になりはするけどあまり深く追求しないようにしておこう。しつこい男は嫌われると由布がいつか言っていたし、漫画でも見たことがある気がする。

 視線を熱海から黒川さんに移動させると、ちょうど彼女も俺のことを見ていたようでバッチリと目があった。


「あ、あ、あ、なななんでもないですっ!」


 なぜか敬語になった黒川さんは、そう言って顔を隠すようにノートに目を向ける。

 この反応はもしやとは思うが……、


「なぁ熱海、もしかして俺の顔になんか付いてる?」


「ばか」


 なぜか罵倒された。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 なぜか二人がそわそわしていたのは一時間ほどで落ち着き、それから夜の六時までは三人でしっかりと勉強した。今日はそれぞれやる教科が違ったので、三人で教えあいながらといった感じだ。


 熱海と一緒に黒川さんをバス停まで送り届け、お互い一旦家に戻って家事をこなし、また俺の家に集合。この辺りはいつもと同じ流れをたどったのだけど、やはり黒川さんだけでなく熱海いつもと違う様子で、なぜか俺から距離をとろうとしているように見えた。

 ソファに座ってテレビを見ている今も、彼女は限界まで端に寄っている。


「熱海さん……? 俺、なにか怒らせるようなことしましたっけ?」


 会話も最低限、距離はとっているし、目もあまり合わせようとしない。

 怒っている雰囲気はないのだけど、色々な情報からそうなのではないかと疑問に思ったので聞いてみた。すると彼女は、こちらに顔を向けて眉を寄せる。


「……ごめん、そんなつもりじゃなかったんだけど」


「別に謝ってほしかったわけじゃないんだが……本当に大丈夫かよ」


 一緒に過ごしている時間が長いからこそ、彼女の違和感が気になってしまう。これがただのクラスメイトだったら、気づきもしなかった変化なのかもしれない。


「うん、大丈夫だから気にしないで。本当に怒ってるとかじゃないのよ? ただ、自分に嫌気がさしているというかなんというか……ともかく、有馬はなにも悪くないの」


 熱海はため息で言葉を締めくくる。本当に言葉通りなのだろう……彼女は自分を責めているように見えた。

 だけど、それは本当に彼女が自分を責めなければいけない状況なのだろうか?

 そりゃ誰しも失敗はあるし、思い通りにいかないときはあるだろう。

 だけど、熱海に限っては故意ではないと思うのだ。

 まだ短い付き合いだけど、彼女は誰かが傷つくようなことをするような女子じゃない。どちらかというと、相手を思いやるがゆえに自分を蔑ろにしてしまうような女子だ。


「おい熱海、ちょっとこっち向いてみろ」


 表情の変化を見るために、俺は彼女にそう声を掛けた。すると熱海は「……なに?」とぼそぼそと口にしながらも、俺と目を合わせる。


「熱海はさ、いつも自分よりも他の人を優先するよな。またなにか、自分だけ我慢してるんじゃないか?」


 その質問に対し、熱海は「別に」と短く答えた――けれど、彼女はすぐに気まずそうに視線をそらした。おそらく、ビンゴなのだろう。

 いったい何を我慢しているのかは知らないけど、こいつは自分の欲望を言ってなさすぎる気がする。もっと、わがままになってもいいと思うんだよな。


「ていっ」


 とりあえずデコピンした。赤くならない程度――だけど、少々強めの攻撃を一発を。


「――っ……な、なに?」


 熱海は恨みがましい視線を俺に向けて、両手で額を抑えながら言う。


「――嘘だろ。なにか我慢してるんだろお前。内容は知らないけどな、お前はもっと自分を大切にしてやれよ。口には出してないかもしれないけど、黒川さんはもちろん、由布も、蓮も――もちろん俺も、お前が楽しく笑ってくれてたほうが嬉しいんだよ。熱海が俺に『幸せになってほしい』って考えてくれてるように、俺たちだってそう思ってるんだよ」


 あぁ恥ずかしい。こんな真面目なことを俺に言わせないでくれ。柄じゃないんだよ。


「それが『友達』ってもんだろうが」


 上っ面だけの付き合いじゃなく、心同士でつながっているような関係。

 俺は友達というものを特別視しすぎているかもしれない。だけど、だからこそ今のこの関係を大切にしたいと思っている。

 広く浅くより、狭く深く。

 俺にとっての熱海は、もうすでに狭い領域にきっちりと入り込んでいるのだから。


「……友達、友達ね」


 熱海は俺の口にした言葉を二度繰り返して、笑った。

 この時の熱海の気持ちを俺が知ることになるのは、まだまだあと――由布の言った『みんな』が地獄を見たあとの話だ。



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