涼 と 香 と 移りゆく世情
ダンジョン『東京美食倶楽部』。
集落エリア、領主邸前広場。
そこにブルーシートを敷いて涼と心愛がいた。
涼はあぐらを掻いて両手を心愛に差し出している。心愛は差し出された手の包帯をほどき、その下から顔を出した腫れを見ながら難しい顔を浮かべた。
「無茶したねぇ、ホント」
それから、心愛は領域内でのみ使える治癒薬液――通称ポーションと大きめの深皿をを取り出した。
涼の右手の下にお皿を置いてから、彼の手を取る。
「……治療の依頼をした時、心愛さんに怒られる覚悟をしてたんですけど」
「さすがにこれは、怒れるワケないじゃんか~~」
ほっぺたを膨らませてそう言ってから、心愛は顔を戻す。
それから、ポーションを涼の右手にゆっくりと掛けていく。
「いや依頼を受けた時は怒る気あったんだけど、ほら……直後に大分の事件あったし~~」
「あー……」
「そうでなくてもさ~~、湘南のアレは、涼ちゃんたちの行動最善でしょ~~?」
ポーションに塗れた涼の右手を、清潔なタオルで軽く拭くと、今度は左手を出すようにジェスチャーで示す。
「正直、湘南での涼ちゃんたちの立ち回りは百点満点レベル。
医者としての心愛ちゃんはプンプンしちゃうけど~~、探索者としての心愛ちゃんは花丸あげたいので~~、めっちゃ複雑ッ!」
左も同じようポーションを掛けたあとで、タオルで拭う。
赤味はまだ強く残っているものの、これだけでだいぶ腫れが引いている。
ダンジョン内限定でしか使えない上に、超人化の恩恵を受けている者にしか作用しないとはいえ、掛けるだけでこのように傷を癒やすポーションは、医学界で色々と話題になっている品だ。
探索中に手に入れたモノを探索中に出来た傷に使う分には問題ない。だが、今回のように探索外の怪我に対して、探索外での治療に使う場合は色々と手続きがいる。
涼は手を見てくれた主治医にポーションの許可をもらい、心愛も厚生労働省とダンジョン庁へのポーション治療手続きを行った上で、こうして治療の場を設けているのだ。
こればかりは、顔見知りだろうが他人だろうがマブダチだろうがどうにもならない。
「バシャバシャ掛けないんですか?」
「切り傷擦り傷みたいな外傷に対してならそれでもいいんだけどね~~、腫れや骨折とかは、こうやってゆっくりと患部に掛けて、やさしく拭ってを繰り返してあげた方がいいの」
「覚えておきます」
「そうして。心愛ちゃん印のポーション以外の、探索中に拾ったポーションとかで使えるテクだから~~」
涼の手が、見た目だけはだいぶ落ち着いてきた頃合いで、心愛はカバンからガーゼのようなモノを取り出した。
それを、零れて皿に溜まったポーションに浸し、涼の患部へと乗せる。
当然、それだけだと固定は出来ないので、今度はサランラップを分厚くしたような、ほんのりと水色を帯びた透明なシートを取り出す。
「そのシートは?」
「フロートジェリーが材料になっている医療用ラップだよ~~」
「……原材料に複雑な心境になりますね」
「あははははは」
笑いながら、適当なサイズにカットした医療用ラップを、ガーゼの上から巻き付ける。
「保湿力が高く、丈夫で、粘着性も悪くない。
絆創膏の粘着シート部分と包帯のいいとこ取りみたいなサランラップを、好きなサイズにカットして使える感じのヤツだと思って貰えればいいかな~~」
「なるほど」
しかも両面テープ的なくっつき方ではなく、サランラップ的なくっつき方をするそうなので、剥がすときに痛くないらしい。
必要があれば上から包帯を巻くことで、落ちないように補強もしやすいそうだ。
両手ともに同じようにラップを巻き、その上から包帯を巻いて今日の治療は終了となる。
「これでよし。とりあえず、明日のお昼くらいの時間にもう一度ここで会おうね~~。
今日はお風呂やシャワーはナシ。手首への負担も極力減らすコト。そのジェリーシートも勝手に剥がさないようにしてね~~、ダンジョン探索とかもっての他だよ~~~~」
「…………」
心愛の言葉に、涼の顔からは思わず不満が漏れ出た。
それに、心愛は目聡く気づくと、目をつり上げる。
ダボついた白衣の袖を振り回しながら、全身で怒りを
「ちょっと~~!! その顔~~!! 治療のあとッ、ココで食材探そうとしてたツラだよなぁぁ~~~~~~!! おいィィィィ~~~~ッ!!」
思わず目を逸らすが、そんなものが心愛に通用するワケがない。
「あぐらかいてないで今すぐ正座しろ~~、ゴラァァァァァ~~~~!!」
完全にお説教モードに移行したことに気づいて、涼はしまったと胸中で舌打ちするのだが、後の祭り。
「これだから探索バカどもと来たら~~~~ッ、どいッつも、こいッつも~~~~~ッ!!
ロクに治療が終わってないうちからッ、ダンジョンに潜ろうとしやがって~~~~ッ!!
少しは自分の身体を思いやれッ、バ~~~~~~~~~カ…………ッ!!!」
そのままバリバリ説教喰らって、探索する時間がなくなった涼は、素直に帰ることにしたのだった。
一方、香――
「君たちへの風当たりは――まぁありますね。ふつうに。
協会への問い合わせを装った罵倒みたいなやつも少なくないです。
まぁ隠す必要はありませんし、香さん相手なので言っちゃいますが」
「だろうとは思ってました」
探索者協会府中支部の部屋の一室を借りた
湘南に現れたギガントジェリーに関する情報交換の場だ。
旋が呼んだのは涼ちゃんねるのメンバーであり、香はその代表として一人でやってきた。
涼はこういう場はあまり得意ではないことを旋も知っているので、特に気にしていない。必要があれば呼ぶが、香一人でも十分情報が得られるので問題にしていない。
とはいえ、だいたいの情報交換や必要なやりとりは終わったので、内容は徐々に雑談に近い方向へとシフトしている途中だ。
「どうして大分に来てくれなかったのか――みたいなのもありますよ?」
「そりゃあタイミング的にも物理的にも難しいですからねぇ」
「世間はそう見てくれないって話ですね」
やれやれ――と、二人で肩を竦め合い、苦笑する。
「ただ、今回の大分の一件で我々探索者への風当たりが強まったのは確かです」
「これまで大きな被害が出て来なかっただけなんですけどね」
大きな被害が出る前に、探索者たちが未然に防いでいたことなど、知る人は少ないのだろう。
別に探索者に限らず、機械の保守業務などでも同じようなことは起きる。事故が無いよう常時メンテナンスしているのに、事故が起きないから保守はいらないと切られるというのは、そう珍しいことでもない。それが今回、探索者とはぐれモンスターの間で発生しているようなものである。
「さらに、大角ディアさんの放った大技を見た一般人から探索者への恐怖心が強まっており、その流れを理由に、探索者の能力使用に関する規制強化の動きも多少あります。こっちは成立しない見込みの方が高いのですが」
やれやれ――と、メガネのブリッジに触れながら、旋は嘆息する。
その様子に、漠然と内容を理解した香が訊ねた。
「……ああいう超必殺技を、ブッパしたいなら許可を取れとか言い出してるんですか?」
「概ねそんな感じですね。ダンジョン内でも携帯端末など電波も入り繋がるのだから、上級、秘技、
ダンジョン内は無理でもせめてダンジョンの外で使う場合だけでも規制するべきだとか言ってますね」
「そんなルール作ろうとするヤツをドラゴンの前につれていって投げ捨ててきたいですね」
「同感です。あまりにも非現実的すぎる。探索者に死ねと言っているようなモノです」
それこそ――湊が
どれだけ、無茶苦茶なことを言っているのか理解できるはずだ。
「市民の身を守るコトよりも探索者を殺すコトを目的としてそうですよね」
香の言葉に、旋は曖昧な表情を浮かべるだけで何も言わなかった。
ただ、それだけで香はある程度の理解をする。
(なるほど。そういう連中もゼロじゃねーってか)
ここ数年はダンジョン庁へ予算強化がされているらしいが、そのことを気に食わない連中が一定数いるのは香も知っている。
だが、目に見えた大きい被害に対して、それを理由に、むしろ予算や人員を削ろうとしている勢力がいることに、香の心は冷えていく。
「ぶっちゃけ現場でモンスターとバチバチやりあってる探索者からすれば、お
「私に皮肉を言われても困りますけどね。気持ちは分かります」
「……っと、すみません。つい……」
「いえ。構いませんよ。似たようなコトは私も――大分の件で開催された緊急の責任者会議で言い放ちましたし」
「結構大胆なコトしますね」
「本心ですので。
とはいえ、それを言ったところでどうにかならないのが政治です。そして規制などのルールが作られてしまえば、我々は守らざるをえない」
旋の言いたいことは香も理解する。理解できる。
その上で、けれども言っておきたいことはあった。
「紡風さん。敢えて聞きますけど――規制が出来た場合、どこまで一般人を守ればいいんですか?」
「まぁそういう意見は出てきますよね」
「マジで上位スキルの使用制限実行された場合、ギガントジェリーなんて放置確定ですよ。勝てるワケがない。最低限の見張りだけして自衛隊に任せるしかないです。
そもそも身体と命を張ってやりあってるこっちからすりゃあ、殺されたり後遺症を残したりしながらようやく倒した果てに、ちゃんとやれと罵倒されてルールを厳しくされるだけなら、身体なんて張らない方がマシまであります」
もちろん、これは旋に言っても意味のない話だ。
だが、表立って出てきてない情報とはいえ、それを得た探索者として、これだけは言っておく必要があった。
「戦車や戦闘機が出てくるのなら――大分の海岸はこんな被害ですまなかったはずですしね」
真剣な眼差しで告げる香に、旋は軽く両手を挙げて首を左右に振る。
勘弁してくれ――という仕草であると同時に、自分は理解しているという意味でもあることは、香も分かった。
「まぁ大事な指摘ですよ。それが現場の人間から出てきているという点は特に」
録音や議事録が残ってなくても、探索者が発言したという事実は、それなりに武器になる。旋は言葉にも態度にも出していないが、香がわざわざ口にしてくれたことに感謝している。
「ただまぁ懸念はともかく、当面はこれまで通りで大丈夫だとは思います」
「根拠はあるんですか?」
「生臭い話ですけどね。ダンジョンを目の敵にしてる人らもいれば、ダンジョン利益を貪りたい人らも同じくらいいるんで。そちらの方が多いくらいですかね」
「そりゃあ、今まで通り探索してくれた方が美味しい思いできる人らからすれば、規制は面白くないでしょうね」
香の感情としてはどちらも気に食わないが、それでも自分らに迷惑を掛けない――それどころか、内容次第では協力してくれるだろう後者を応援したいところだ。
「そうそう。政治ゲームの話はここまでにしておくとして――実は涼ちゃんねるへの注意というか忠告が」
「…………」
「私以外の後ろ盾を早めに作ってください。協会やダン庁以外で権力や財力がありそうなところがいいですね。配信事務所所属とかでも構いません」
「今の形じゃダメですか?」
「ルベライトに正式所属はしてないんですよね? それは明確な隙ですね」
「権力に組み込まれるかも知れないってコトですか?」
「ええ。ヘタしたらダンジョン配信という文化そのものに、手を入れてくる輩がいる可能性もありますね。
その場合、個人勢で名前も売れていて、実力も証明されている涼ちゃんねるは利用したくなる美味しい鶏肉です。
もうすでにフライドチキンにするとか、カレーにするとか、あなた方を利用した献立を考えている人たちもいるコトでしょう」
旋の言葉に、香は下顎を撫でながら目を眇める。
探索も配信も、涼に好き勝手やらせたいのに、随分と面倒事が増えてきたものだ。
「どっちにしろ政治ゲームの話じゃないですか」
「まあ、そうですね」
申し訳なさそうに、旋も嘆息する。
彼も彼で、本意ではなさそうだ。
「香さん、こちらを」
「ん? これは……」
差し出されたものを受け取ると、それは名刺だった。
「テン・グリップス社社長……?」
社名も社長の名前も見覚えはあるが、この名刺を渡される理由が分からない。
「テン・グリップス社はこれまで、主たる事業であるITサービス業の傍ら、ダンジョン研究にも力を入れてるんですよ。
ハバキリ・ダンジョナロジー研究所って聞いたコトありません? あれ、テン・グリップス社の研究施設なんですけど」
「ハバ研って言えば、ギルドや市民体育館とかに併設されているコトのある、疑似ダンジョン領域発生装置とか開発してるところですよね?」
「あってます。
そして、テン・グリップスの名物社長――現役女子大学生の美人実業家として有名な
思わず香は目を眇める。
「涼ではなく?」
「支援したい相手は涼さんらしいのですが、話を通すなら香さんへ通した方がいいだろうという判断だそうです」
「なるほど、支援ですか」
旋からすると、後ろ盾の候補の紹介だろう。
だがテン・グリップス社が何を考えているのかが分からない。
「それにしても、トツカねぇ……」
「思うコトは色々あるかもしれませんが、一度はお会いするコトを勧めますよ。
事務所に所属しないのであれば、スポンサーやパトロンという形でテン・グリップス社と契約するのも一つの手だと思いますから」
字は違えど、涼と同じトツカの名前を持つ女性社長。
そんな人物が声を掛けてきたことが、偶然であるとは思えない。
政治ゲームの防波堤になれど、涼本人も知らないようなトツカという名の一族のお家騒動的なモノに巻き込まれたりはしないだろうか……。
もっとも、そのお家騒動なんてのは、香の妄想レベルの杞憂でしかないのだが。
「会う気があるなら言ってください。私がアポをとっておきますので」
想像だけなら、いくらでも不安になる。
だが、せっかく会いたいと言っている社長に、不安だからと言う理由だけで会わないのは勿体ないだろう。
それこそ旋の言う通り、スポンサーやパトロンになってもらった上で、これまで通りの配信が続けられるのであれば、それに越したことはない。
話を聞くくらいなら、そう問題も起きないはずだ。
やや思案してから、香は小さくうなずいた。
「旋さん。お願いしても?」
「はい。わかりました」
これからどうなるか分からない。
だが、少なくとも今まで通りというのが難しくなっていく予感は、漠然とながら香の中に生まれていた。
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【Idle Talk】
涼は翌日も、色々と態度と思考がよろしくかったので、心愛ちゃんにしこたま叱られた。
「マジで言うコト聞かねェなら~~、香クンに協力してもらって~~、一定期間の鶏肉摂取禁止を命じるからね~~~~~!!!」
秒で土下座した。
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