第30話 普通の夫婦

 次の週の女性週刊誌に高野景子の密会写真が載った記事が出た。


 結花は兄から記事を鵜呑みにするなと言われていた。だがこの記事には写真が付いている。ホテルの一室から出てくる景子の写真、もう1枚はその部屋から顔を出した馨とドアの前に立つ景子。どう見てもホテルで会っていたとしか思えない写真だ。


 朝食の席で週刊誌を開きながら結花は詰め寄った。


「兄さん、これ何なの?」

「結花、記事を信じるなって言っただろ」


「でもこの写真!」

「部屋で少し話をしただけだ。ものの15分も一緒にいなかったよ」


「沙耶さんは知ってるの?」

「ちゃんと話したさ。彼女も疑ってない」 


 そこへ当の沙耶が入って来た。


「どうしたの? そんな深刻そうな顔をして」

「だって・・あんな記事が」


「結花は高野景子と俺の事を疑ってるらしい」

「大丈夫よ結花ちゃん。私はそんな事ないって分かってるから」


 沙耶の笑顔を見て、結花はひとまず頷いた。(でも沙耶さんは兄さんを庇っているのかもしれない。兄さんを疑いたくないけど・・)


 結花は自分の部屋へ戻る振りをしてそっと2階の踊り場から出掛ける兄の動向を見張った。食堂から馨が先に出て、すぐ沙耶も見送りに出てきた。


 沙耶はまた『行ってらっしゃい』を復活させようと馨の頬にキスしようとした。すると「今日からはこっち」と、沙耶を抱き寄せると馨の方から沙耶の唇に口づけた。


 沙耶は恥ずかしそうにしながらも「あ・・はい、明日からはそうします」と返事している。


(なぁんだ、普通のラブラブ夫婦じゃない。心配して損した。だけど兄さんってあんなデレデレだったんだ。ちょっと意外、ちょっと面白い)


 クククッと忍び笑いをしながら、安心した結花はまた階下に降りて来た。今日は学校は休みだ、外には記者が張ってるから映画館には行けないけど沙耶さんと一緒にお家でロードショーだ!


「沙耶さん、今日はどの映画見る?」




_______




 景子から沙耶へ連絡があったのはそれから2、3日後だった。大事な話があるから○○橋まで来て欲しいとの呼び出しだった。


 11月の初めだが夕刻のこの時間は気温も下がり土手には人通りがほとんど無かった。


 シンプルだが上質なコートを着込んだ沙耶が景子の待つ橋の近くの土手へやって来た。


「時間通りね」景子は沙耶をジロっと上から下まで睨み付けた。――高そうなコートね、髪も随分伸びて綺麗になってる・・なんて生意気なのかしら。


「どうしたの景子、こんな所に呼び出して。大事な話って何?」


「沙耶、五瀬馨と別れなさい」

「えっ、いきなり何言うの、そんな事・・」

「週刊誌にも報道されてるけど馨さんの本命は私なの、沙耶は邪魔なのよ」


 来た時は困惑した表情だった沙耶も景子の発言に真顔になった。


「私・・そんなの信じないわ」

「写真見てないの? 馨さんの家であんたがお茶を淹れてる間、庭で馨さんは私を抱きしめてくれたのよ」


「それは転んだ拍子にそうなっただけだって聞いたわ」


「博多では? 用事もないのに私とホテルの部屋で会ってたっていうの? ふふ、バカね。あの日私と馨さんは結ばれたのよ」


「うそ! 馨さんはこの契約が終わっても景子とは結婚しないって言ってたわ!」


 言ってしまってから沙耶はあっ、という顔をした。 


(契約? 契約が終わっても私とは結婚しない・・って・・まさか契約結婚だったの? 降って湧いた様な結婚話だと思っていたけど、そういう事だったのね・・ふふふ、なるほどねぇ)


 景子は急に勝ち誇った態度になった。


「気が変わったみたいよ。私は契約期間の話は聞いてないけど、彼は期間満了の前にあんたとの契約を解除して私と結婚するって言ってくれたわ」


 さも元から契約結婚の話を知っていたかのように話す景子の態度に、沙耶は不安が押し寄せるのを感じて動揺した。


「そ、そんなの・・」


「私の出まかせだって言うの? 考えてもごご覧なさいよ、なんの取り柄もない沙耶なんかより私の方を彼が好きになるのは当たり前でしょ? 契約結婚なんて誰でも良かったのよ、本命の私が現れた今はあんたなんて用済みなの」


 沙耶の自分は馨にとって特別な存在だという自信が揺らぎ始めた。景子が言っている事はもっともな気がしてきた。


(美人で華やかで人気女優の景子。それに比べて私は・・私にはなんの取り柄があるだろう? 馨さんと別れたらまた私は一人ぼっちになってしまう。高野家の人達は家族なんかじゃなかった。五瀬家に来てそれがよく分かったわ。私に本当によくしてくれるお義父さまや可愛い結花ちゃんと離れたくない・・馨さんを景子に渡したくない!)


 沙耶は今はっきりと自分のこの気持ちが何か理解できた。(私は馨さんを愛してるんだ。契約だと分かっていたけれど私は馨さんを愛してしまったんだ)


 自分の気持ちに気づいた沙耶は冷静さを取り戻した。


「景子、私はやっぱり馨さんを信じるわ。私は特別だって彼は言ってくれたの。景子のおかげで私も自分の気持ちに気づけたわ。私も馨さんが好きなの、帰ったらこの気持ちをきちんと彼に伝えるわ」


「なっ、これだけ言っても分からないの?!」

「ごめんね景子、私、馨さんだけは譲りたくない」


 今までに見た事の無い様な強い沙耶がそこに居た。バカでお人好しで、何でも自分の言う事を聴いて来た沙耶が今は別人に見える。


「いいから私の言う事を聞きなさいよっ!」


 沙耶のくせに、生意気なっ! カッとなった景子が沙耶の腕を強く引っ張ると沙耶の手からバッグが吹っ飛んだ。


 バッグを拾おうと沙耶は景子に背を向けて屈んだ。


(このまま帰すもんですか!)景子はその沙耶の背中を両手で力いっぱい突き飛ばした・・。


 


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