第28話 馨の誕生日2

 自室に引き上げた馨が着替えを済ませているとノックがして沙耶が入って来た。


「お邪魔してすみません」

「大丈夫だ、明日は休みだから急いで寝る事もないし。久しぶりに本でも読もうかと思っていた所だ。どうした?」

「これ、お誕生日のプレゼントです。ありきたりですが・・」


 細長い箱の中身はネクタイだった。


「ああ、俺はスーツが多いから助かるよ。いい色だ、気に入ったよありがとう」


 ラフな部屋着の上からネクタイを当てる馨の姿は少し滑稽だったが、心から喜んでくれたのが沙耶には嬉しかった。


 ドーナツを作っている時もそうだった。「兄さんはイチゴも好きだよ」という結花の助言でハートのドーナツのトッピングはドライいちごを使った。


 馨が美味しそうに食べる姿を想像しながら作っていたから、自然と顔にも笑顔がこぼれたのだろう。


 鏡に向かってネクタイを当てる馨の髪にクラッカーの紙吹雪がまだひとつ付いているのに沙耶は気づいた。無意識に手が伸びたが、ハッとして手を引っ込めようとすると馨がその手を掴んだ。


「あの、ごめんなさい。髪にまだ紙吹雪の残りが付いてて・・」

「どうして君が取ってくれないんだ?」

「それは・・あまり触れられるのがお好きじゃないと思ったので」


(どうしよう・・女性恐怖症だって聞きましたとは言えないわ。馨さんが私に話す前に人づてに聞いたと知ったら気を悪くされるかもしれない)


「ええと、馨さんの会社に行った時に女性社員の方が噂されてたのを耳に挟んだんです」


「そういう事だったのか」馨はほっと息を吐いた。そして掴んでいた沙耶の手を自分の頬に当てた。


「確かに俺は女性に触れられるのを好まない」


 そう馨が言うと沙耶の手がぴくッと反応した。


「だが・・『君以外の女性』という条件が付くんだ」


「えっ」沙耶の目が丸くなった。少し困惑しているようにも見える。


「だから見送りの時のキスが無くなって寂しかった」


 普段仕事をしている時の冷徹な馨を知っている人間なら誰でも、この馨は偽物だと言うに違いない。それ程に優しく甘い眼差しで馨は沙耶を見つめていた。 


「俺は君に触れられたい。俺も・・君に触れたい」


 馨の手がそっと沙耶の唇に触れた。馨の情熱的な視線から沙耶も目が離せないでいた。二人の唇が重なるのは自然な流れだった。


「イチゴの味がする」


 沙耶は思わず口に手をやった。「あ・・残ってたドライいちごをさっきつまんだので・・」


 頬を染め、恥ずかしそうに目を伏せる沙耶に馨は本音を抑えきれなかった。


「君はほんとに可愛い人だ」




_____




「今日はせっかくの休日だからどこかへ出掛けるか?」


 結花が学校へ行った後、タブレットで新聞記事を読んでいた馨が顔を上げて沙耶に聞いた。「どこへ行きたい?」


「水族館へ行きたいです!」沙耶は即答した。

「水族館か。11月だから屋内の水族館がいいだろうな」


 

 二人がやって来たのはみすだ水族館。世界一高い電波塔、スカイウッドの中にある水族館だ。土曜日とあって観光スポットのスカイウッド周辺はどこも人でごった返していた。


「並んでますね、入るのに時間がかかりそう」

「大丈夫だ。年間パスポートを購入したから優先的に入場できる」


 館内も親子連れやカップルでひしめいていた。馨は沙耶の手を取り、二人は手を繋いで仲良く水族館を見て回った。


(私とだけは触れ合ってもいいのね。私とだけ・・。私は馨さんにとって特別ってことなの? 今もこうして手を繋いで笑っている。ここは人目があるから、仲のいい夫婦を装ってるの? ううん、それじゃあ昨日のキスはどうなるの? 馨さんには景子の方がふさわしいって思っていたけど、私が彼にとって特別なら、このまま新しい家族と一緒にいてもいいのかな。せめて契約期間が終わるまでは・・)


「疲れたか?」


 繋いだ手を見ながらぼんやりしている沙耶を気遣って馨が聞いて来た。


「いいえ大丈夫です。でも喉が渇きませんか?」

「ペンギンカフェっていうのがあるな。そこへ行ってみよう」




「うわー可愛い!」


 沙耶が頼んだ『すいぞくすいーつセット』には小さな動物をかたどった和菓子が付いて来た。馨が頼んだのは『ペンギンフロート』。澄んだ海の様に綺麗な青いドリンクに氷のペンギンが浮かんでいる。


「和菓子を一口欲しいな」


 沙耶が和菓子の器を馨に差し出そうとすると馨は首を振った。そしてあーん、と小さく口を開けた。


(かっ、馨さんてこういうキャラだったかしら?)沙耶は驚きつつも和菓子を一口に切って馨の口に入れた。馨はニコニコしながら和菓子を味わっている。


「ペンギンフロートも飲んでみるか?」

「はい! 飲んでみたいです」


 どこから見ても普通のラブラブなカップルだった。だが馨の存在に気づく人もチラホラ出始めた。


「ねぇ、あれ最近よく週刊誌に出てる大企業の新社長じゃない? イケメンね~芸能人みたい」

「ああ、高野景子と噂されてる人でしょ。でも相手は高野景子じゃないんじゃない?」


「週刊誌に載ってる事なんて嘘だらけなのね」

「そうね、あのラブラブが演技だったらアカデミー賞ものね」


 すれ違いざまに写メを取る者もいた。


「今、写真撮られましたけど・・」

「気にするな、好きなようにさせておけばいいさ」


 馨は本当に気にしてないようだった。それなら自分も馨とのデートを楽しもう、そう沙耶も割り切った。


「馨さん、これ結花ちゃんへのお土産にどうでしょう?」


 沙耶が指したのはチンアナゴの実寸大のパンだった。パンを買い込んだ後は人気のあるペンギンコーナーをを見て回り二人は帰宅した。

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