第26話 馨を追いかける景子

「今日はまっすぐ博多へ向かうことになった。大阪へ寄らなくていい分、早く帰れると思う」

「今日は火曜だから・・本当なら土曜に帰宅でしたね?」

「ああ、でも金曜に戻れると思う」


 玄関で小さな旅行バッグを持った馨はまだ何か言いたげだった。


「その・・週刊誌に載った高野景子との事だが、あの写真はつまづいた彼女を抱きとめた時に撮られただけで・・だから・・」


「私は気にしてません。いえ・・気にするのはおかしいですよね、私たちは契約の間柄なのに」


沙耶は少し寂しそうな顔をして言った。沙耶の表情を見た馨は急いで次の言葉を探した。


「契約が終わった後も高野景子と俺が結婚するなんて有り得ないし・・いやそうじゃなくて俺が言いたいのは・・」


 玄関のドアが開き運転手が入って来て馨のカバンを受け取った。「お車のご用意が出来ました」

 仕方なく話を切り上げ馨は出掛けて行った。



 新幹線の駅に向かう車中で馨は自分の不甲斐なさに嫌気がさしていた。


(どうしてあんな事を言ったんだ・・『契約が終わった後も』なんて言ったら終わる事を前提として一緒にいるみたいじゃないか。いや、そもそもそういう契約なんだが・・。でもあんな言い方をしたらますます沙耶は俺と距離を置こうとするだろう。俺が望んでいるのはそんな事じゃない。契約だとしても俺は沙耶との距離を縮めたい。こんな契約なんてさっさと破棄してしまいたい!


 だが沙耶はどうだ? 距離を置こうとしているのは契約期間が終わったら、俺の元から去りたいと思ってるからじゃないのか。俺にははそれを引き留める権利なんてない‥)



 沙耶も馨を送り出した後、自分の部屋でひとり考え事にふけっていた。


(本当は馨さんと景子の写真を見た時は胸が苦しかった。今まで景子と一緒に居て、彼女に嫉妬したり羨んだことは一度もなかったのに、あの写真を見た瞬間景子に対する不快な感情が沸き起こるのを感じてしまったわ。その黒い感情はまだ自分の中で渦巻いている。


 だめよ沙耶、考えてもみて、私と馨さんは契約結婚なのよ。いずれは別れて別の人生を歩んで行くの。馨さんはさっきあんな風に言ってたけど景子と馨さんはお似合いだわ。そうだ、良い方に考えるのよ。あれがきっかけで馨さんと景子が結ばれて、馨さんが幸せになってくれるならそれに越したことは無いじゃない)


 子供の頃、継母に虐められて辛い思いをした馨がやっと幸せになるなら、それは自分の喜びでもある。そう沙耶は何度も自分に言い聞かせていた。



______



 グリーン車の社内が少しだけざわついた。車内はほぼサラリーマンで皆静かに乗降していたのだが、発車間際に乗り込んで来た乗客がそのざわめきの原因だった。


 サングラスを掛けていたが景子からは女優のオーラが滲み出ていた。堂々とした足取りで景子が座ったのは馨の席の通路を挟んだ隣の座席だった。


(どうして高野景子がこの列車に・・しかも俺の隣だと?!)


 無駄だとは分かっていたが馨は努めて景子の方を見ない様にしていた。案の定景子は馨の姿を認め、空いていた隣の席に座り込んで来た。


「五瀬さんじゃありません? やっぱりそうだ! 同じ新幹線に乗り合わせるなんて、なんて偶然かしらね。今日はお仕事ですの?」


「ええ、仕事ですね」馨は景子に視線もくれず目の前のPCを見ながら答えた。


 だが景子もすんなり引き下がりはしなかった。「私は博多まで行きますの。五瀬さんは?」


「私も・・博多ですよ」

「まぁホントに奇遇ですわね。向こうでお時間があったらお食事でもどうですか?」

「どうでしょう、スケジュールが詰まってますから。時間が取れるかどうか」


(冷徹社長と言われるだけの事はあるわね・・。私の誘いにも全く興味を示さないし、ムカつく程の素っ気ない態度! 仕方ないわ・・)


「私ね五瀬さん、沙耶の事で少しお話したい事があるんです」


 馨のPCを打つ手が反応した。「沙耶の事ですか? どんな事でしょう?」


「それはちょっとここでは・・」


 またもや思わせぶりな景子の態度に馨は腹が立った。


(高野景子は一体どういうつもりで俺に近づいてくるんだ。週刊誌にあんな記事が出て、普通なら俺を避けるはずだろう? まさか俺を売名行為のだしにするつもりか?)


 そう思いながらも沙耶の事を持ち出された馨は断り切れなかった。「では博多に到着したら〇〇ホテルで。あまり時間はとれませんよ」


「分かりました。私もそこに泊まる予定なのでちょうど良かったですわ」


 馨との約束を取り付けた景子はやっと自分の席に戻って行った。



_______




 馨がホテルにチェックインして少し経つと連絡が来て部屋に景子がやって来た。


「ホテルの最上階にいいレストランがあるんですって、そちらでお食事はいかがですか? 私が誘ったのですから私におごらせて貰えません?」眩しいほどの笑顔で景子は首を傾げてみせた。


 その笑顔に眉一つ動かさずに馨は返事をした。「夕食は先約があるんだ。それより用件を話してくれませんか」


 景子は今度も誘いをはね付けられて少しムッとしていたが仕方なく勧められた椅子に座った。


「五瀬さんはご存じだと思いますけど、沙耶は小学生の時に私の両親が養女として迎え入れた子なんです。父親は誰か不明な上に幼くして母親を亡くしたせいか時々問題行動を起こしていましたの。その都度父が沙耶を庇っていたので大事にはならなかったんですけど・・」


(問題行動だって? そんな事は涼の報告にはなかったが・・)


「それは具体的にはどんな事でしょうか?」


「ひとつは盗癖ですわ。家の中でもよく物やお金が無くなって・・そのうち外でも万引きで捕まるようになってしまって・・。それから・・」


 上目遣いに馨の顔を見た景子は次を言いよどんだ。


「それから?」


「中学の終わり頃から外泊が多くなって・・それはずっと続いてますの。外泊の相手もころころ変わって。その・・男性とですわ」


 馨は少し考えたが、表情も変えずに返答した。


「沙耶の過去について口出すつもりはありません。今はあなたの言う様な男性との付き合いはないと知っています。それに・・病的な盗癖ならきちんと病院で治療をさせます。もちろん最上の治療をね」


 一呼吸置いて、馨は傲慢ともいえる様な言い方で付け足した。


「ですが、病的な盗癖でなくただ物やお金が足りなかっただけなら・・彼女が多すぎると思える位、私が与えられますからご心配なく」


 ここまで言われては景子は何も言い返せなかった。もうネタは尽きてしまって、何か馨の気を引く話題を探したが咄嗟には何も浮かんでこない。


「話は終わったようですね、私はこの後も用事がありますからお引き取り下さい」


 苦々しい顔をして景子は立ち上がった。馨の部屋を出て廊下を歩いていた景子はふと立ち止まりバッグの中身を確かめた後、踵を返して馨の部屋のドアをノックした。


「ごめんなさい、私です。スマホを忘れたみたいなの、クッションの後ろに無いかしら?」


 ノックが聞こえてドアを開けた馨はフラッシュの眩しさに目を細めた。カシャッカシャッとカメラのデジタル音がわずかに聞こえてきた。


「くっそ・・」馨は毒づいた。そして記者に向かって怒鳴りつけた「他の客の迷惑になるから帰ってくれ!」


 写真を撮った男は非常階段の扉を開けてさっさと逃げて行った。

 

 景子は困った顔をして言い訳した。


「ごめんなさい、私スマホを忘れたと思って引き返したらこんな事に」

「もういい、君も早く帰ってくれ」


 けんもほろろな馨の態度に景子は足早にエレベーターに向かった。


(ふふふ、なんてタイトルが付くかしらねぇ。『ホテルで密会?!』かしら? それとも・・)


 エレベーターの中の景子の顔は意地の悪い笑みで歪んでいた。



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