機械仕掛けの国

たけもとピアニスト

序Ⅰ~或る国の少女~

美秘(メイヒー)が父と最後に会ったのは、

今からもう九年も前も話だった。

十歳にも満たない頃であったが、彼女の記憶には

父の言葉が赤々と錆びついていた。


「お前の名前は、私から見たお前を

そのままに名付けたんだよ。」


珠のように美しく、この世で最も

大切な宝という意味。

謳うようにそう言われてきたメイヒは、

父につけてもらった自分の名前が誇らしかった。


父が忽然と姿を消したのも、同じく九年前だった。

もともと家に戻らないことの多かった父だったが、

ある日を境に連絡は途絶え、消息は絶たれ

どこで何をしているのかも分らぬようになった。

そうしている間に母が病を患い、十六歳になった今年、

メイヒは一人になった。


資産は潤沢にあった。

彼女は彼女自身のルーツをよく知らない。

しかし実家に並んでいた数々の書物や絵画、

何より父が残した莫大な資金がそれを物語っていた。

生前母は父の家系が過去に成した偉業によるものだといっていたが、

子細については口を噤まれてしまった。


「私、この国を出て父を探しに行こうと思います。」


メイヒはある日、天涯孤独となったのち、

一人での生活を援助してくれていた世話役にそう伝えた。

彼は彼女の決意に、強く反対をした。


「そもそも生きているかどうかも分からない。

手がかりも皆無な、途方もない話です。一体どこへ行こうというのです。」


「海の向こう、ジェパーニの地へ向かうつもりです。

小さいころに一度だけ父といったことのある唯一の異邦の地…

大丈夫、土地勘はないけれど、前もっていろんなことは調べているわ。」


世話役は信じられないと首を振った。


「あまりにも無茶な話だ。無鉄砲としかいえない。

前もって調べられたなら、あの国が今どんな状況か、

あなたが見落としているはずもないでしょう?

何より、父君を探すのになぜこの広い我が国を出て、

あんな異邦の、小さな島国へ赴こうというのですか?」


彼の疑問はもっともだったが、メイヒは既に

国内での父の捜索をさっぱり諦めていた。情報を知る術がないのである。


「この国は人探しをするにあまりにも向かない。

警察はろくな調査結果を寄越してくれないし、正直まともに

調査されていないんじゃないかって錯覚さえ覚えている。」


「それだけ探して見つからないのなら国の外に、

もしくは国の内で探す術はもうないから意味がない…この二択だと思うの。」


「たったそれだけの理由で国を出ると?まったく荒唐無稽だ!」


説明することは出来なかったが、メイヒには確信があった。

父の書斎に溢れかえっていた幾多の書類の中には、

「ジェパーニ」という国の言葉が数え切れぬほど登場した。


書類の意味を知ろうと何度も何度も

穴が空くほど書物を読み漁ったが、肝心の内容は意味の解読できない

単語に言い換えてあったり、ペンで真っ黒に塗りつぶされていたりと

解読することは出来なかった。


これにはきっと意味があるに違いない。

そう確信した彼女は、その核心を自身の胸に伏せたまま、

毅然とした態度で言い切った。


「もうきめたことなの。私は行きます。どうか心配しないで。」




ジェパーニという島国への渡航は主に航空機だ。

かつては大型フェリーでのクルーズツツアーや観光船も出ていたそうだが、

数年前に起きた客船沈没の事件がきっかけで下火となり、

今はもうほとんど出ていない。


町から列車に揺られて片道七時間。

地方都市ターミナルで乗り継いでもう一時間ほど身をゆだねると、

国一番の国際空港が姿を現す。

都心部の一室に自分名義の部屋を持っていたので、

今夜はそこで一夜を過ごし明日の明朝に旅立つ。

メイヒの生まれ故郷であり母国のフォーテは、

今や世界国土面積の三割を占めようとしていた。


メイヒは自他ともに認める博識だった。

特別才能に秀でているわけでなく、生まれた環境下で

さまざまな知識を得ることが出来たのだ。

彼女は六年間の初等教育を都心の私立学校で学んだ。

休日には母が待つ町へ戻り、週末を過ぎると

再び都心部へ戻り学校へと通った。


失踪直前、彼は自室の名義を娘のものに変えていた。

最後の二年ほどは随行する父も不在のまま都会で過ごし、

おかげで彼女は満足のいく教養知識を同年代よりも深く学んだのだ。

メイヒは父の失踪後もたまに都市へ顔を出し、

流行りのファッションや趣味を楽しんだ。

というように、幼いころから病弱で

田舎にこもりがちだった母と失踪した父を持つ彼女は、

一人行動に対する慣れや生活能力を会得する環境に適合していた。

故に少々頑固で、硬く決めた意思を曲げない性格も同時に形成された。


早朝には余裕をもって目覚め、

顔を洗い歯を磨いて身支度を始める。

単身異邦の地へ向かうのはメイヒといえど初めての経験だったが、

彼女の胸中は不安よりも期待の分量がやや勝っていた。


「渡航歴がないけど、長期滞在か。お嬢ちゃん、間違いないかい?」


「はい。」


「そりゃまた急だね。」


「彼がジェパーニで駐屯兵をしているの。派遣されてもうすぐ半年だけど、

やっと落ち着いたみたいだから。」


「ああ、向こうに知り合いがいるのか。」


職員はひとり納得した。

ジェパーニの西部地方はフォーテの統治地区であり、

それぞれ十を超える駐屯基地・支部が存在する。

基本的にフォーテ本国からジェパーニへと渡航する人間の目的は、

統治地区に暮らす家族や恋人に会うことほとんどだ。


「向こうにお相手さんがいるなら心配ないと思うけど、

まあ形式だから伝えるだけ伝えるよ。」


「ジェパーニ国内の治安は今あまりよくない。

といっても、それは地上都市(クニウミ)っていうジェパーニ自治区より向こう、中央から北東にかけての話だ。だから西部統治地区へいくぶんには何にも心配ないんだけど、観光に出るときは気をつけな。必ず現地のツアーに参加するか、その軍人の彼と一緒にいること。頼むからテロとか何とかに巻き込まれないでくれよ。最近多いんだ、そういうの。」


「ええ、現地でのことは彼からも聞いてる。ありがとう。」


もちろん、メイヒには異邦の地で待つ彼などいない。

今のジェパーニの情勢と、それに関する報道や書物、

文献や記事を読み漁って「理解」し「演じて」いるだけだ。


「オーケィ、それじゃお嬢ちゃん、よい旅を。」


「ありがとう。」


これもまた形式ばった挨拶だが、

メイヒにとっては背中を押される一言になった。

まだフライトまでは時間がある。メイヒはスマートグラスをかけて、

渡航までの時間でこれまでの学習を再度反復することにした。




ジェパーニはフォーテからみて

東南の方角に位置する小さな島国である。

国家の総人口はおよそ四千と三百万人。

海を隔てて存在するその島国は、かつての大戦で

フォーテと戦火を交え、敗戦。

そして現在、属国として国土の一部を統治、支配下に置いている。

第四次世界紛争と呼ばれるその大戦で、フォーテは

世界の覇権を握り、現在の国力を身に着けるに至った。

今から四十八年も前の出来事である。


ジェパーニというのは当時から特殊な国で、

かの国を説明するのに欠かせないのが、近海で採取される

特殊な鉱物である。

「黒鉱石」と呼ばれるそれは、それが持つ特色や

ジェパーニの民たちが持つ加工技術によりあらゆるものに応用され、

一気に世界に名を轟かせるに至った。

当時の比較でも国土面積はフォーテの三分の一程度にしかなく、

大戦当初軍備も兵力も何もかもが違ったジェパーニが善戦した要因にも、

それは大きく関わっていたとメイヒは学んだ。


「からくり」と呼ばれる特殊近代技術と兵器。

それらを用いてジェパーニは独自の進化を遂げ、あの戦争を戦ったのだ。


「現地についたら適当なところで宿を借りて…

やっぱり、目的地は「クニウミ」よね。ジェパーニで一番の、

それも唯一の大都市だし。」


父がいるとしたら、そこしかない。

西部地方や北東の農村部よりずっと可能性が高いはずだ。


『まもなく国際線8便、ジェパーニ行きの乗入を開始します。』


フライトのアナウンスを聞き、メイヒは腰を上げた。




第四次世界紛争の敗戦後、

ジェパーニ政府は程なくして奮起し、国内統治を

計画していたフォーテ軍と衝突した。

長きにわたる紛争の果てに彼らは条約締結を行い、

西部地方を統治区に、中央都市を自治区として今日にいたるまで

緊張状態・睨みあいの状況が続いている。


大国であるフォーテに対しジェパーニが抵抗を続けられた材料、

フォーテがジェパーニに手間取った原因は「からくり」だった。

黒鉱石を使用した「からくり」兵器は非常に多彩かつ多種多様で、

多勢に無勢の状況に関わらず彼らの抵抗を手助けした。

要塞化された中央都市の陥落は困難で、条約締結後もそれは

常に進化・強化を続け現在でも街の様相を変え続けている。

その街並みは、かつての空想科学・サイエンスフィクション作品に似た

異様な雰囲気を醸し出しており、世界中の人々から侮蔑と畏怖合わさった

意を込めてこう呼ばれている。


「機械仕掛けの国」と。

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