第7話 ひばりちゃん
味方だと思っていた人物がスパイだった、黒幕だったなんてのはありふれている。漫画に限らず、ゲームやドラマにもよくある展開だ。
でも、現実にその可能性があるなんて思わなかった。しかし、リーダーとしてはみんなを疑いたくない。ひばりちゃんは大事な友達だし、梨央ちゃんは明るくて可愛い。竜野さんは頼りになるし、乱橋さんもいい人だ。長谷川さんも気さくな人だし、間宮くんはちょっと人間性に問題があるけれど、若さゆえのものだと思う。矢田さんがもし運営だとしたら、あんなことをわたしに伝えたりはしないだろうから、そもそも疑うべき人物が見当たらなかった。
「月葉さん、大丈夫?」
名前を呼ばれてはっと我に返る。
「え、何?」
と、顔を向けると、心配そうな表情のひばりちゃんが見えた。
「さっきから、考えこんでるみたいだから。もし悩みがあるなら、聞くよ」
彼女の優しい言葉に気持ちが少し軽くなるが、わたしは頭を左右へ振った。
「ううん、何でもないの。ちょっと、気になることがあるだけ」
そう返して、目の前の鍋へ意識を向けた。今日の夕食はカレーライスだった。調理はほとんど終わり、あとはじっくりと煮込むだけだ。
ひばりちゃんはサラダを作りながら言う。
「もしかして、矢田さんのこと?」
「えっ」
無意識にびくっとして、声まで出てしまった。
ひばりちゃんが静かな口調で問う。
「やっぱり好きなの?」
心臓がどくんと跳ねる。そんなつもりはないのに、頬が熱くなってきた。
彼女はくすりとからかうように言った。
「月葉さん、矢田さんとよく話してるもんね」
「そ、そういうわけじゃ……」
言い返そうとするけれど、うまい言葉が出てこなかった。ごまかすようにお玉で鍋をかき回す。
すると、ひばりちゃんはつぶやいた。
「わたしも恋、してみたいなぁ」
わたしはどう返したらいいか分からず、黙りこんでしまった。
これまでに何度も恋愛をして、彼氏のいた経験もあるわたしには、彼女の気持ちがいまいち想像できない。それに恋はするものではなくて落ちるものだ。気づけば恋い慕っている、そういうものだと思う。
「あっ、そろそろ時間だ。火、止めて」
と、ひばりちゃんに言われて、わたしはすぐに火を止めた。
「あとはサラダを盛りつけるだけだから、月葉さんはもういいよ」
「あ、うん。ありがとう」
お玉をそっと鍋から出して、脇に置いた小皿の上へ戻す。カレーはいい匂いを漂わせていたけれど、どうにも居心地が悪いわたしは、逃げるように厨房から出た。
ここへ来てから、二週間が経過した。
意外なことに間宮くんは大人しくしており、梨央ちゃんに近づく様子も見られなかった。それより、長谷川さんが間宮くんとよくいるようになっていた。二人で一階へ下りてくることも増え、自ずとわたしたちは長谷川さんともよく話すようになった。
同性愛者とはいえ、彼は根が優しくて気さくな人だった。最初は偏見で見てしまっていたけれど、それが申し訳なくなるくらいに彼は普通の人だった。食材の入ったダンボールを、何度か厨房まで運んでもらったこともあり、以前に比べて仲は深まっていた。
乱橋さんと矢田さんはあいかわらずで、竜野さんや梨央ちゃんも以前と変わりはない。わたしも変わらず、ひばりちゃんと毎日一緒に料理をし、時間のある時には一緒に庭を散歩したり、おしゃべりをして過ごしていた。
そんな日々が続き、気づけば二十日が過ぎた。季節はすっかり秋へ移り始めており、朝晩の肌寒さが増していた。
持ってきていた薄手のカーディガンを羽織りつつ、朝食を作るために部屋を出る。
いつもなら、ひばりちゃんも同じ頃に部屋を出てくるのだが、この日は違った。
「あ、ひばりちゃん」
廊下の先に彼女の姿が見えたのだ。わたしはいつもどおり、明るく声をかけた。
「おはよう、ひばりちゃん!」
ひばりちゃんははっとこちらを振り返ると、何故か逃げるように駆け出した。
「え?」
階段を下りるのではなく、何故だか三階へ上がっていく。
――何だか嫌な予感がした。
「ちょっと、ひばりちゃん!?」
と、声をかけるのと同時にわたしも走り出し、慌てて彼女を追った。
「どうしたの、ちょっと止まって!」
三階へつくと、テラスへ出ていく彼女が見えた。
「ひばりちゃん!!」
急いで追いかけていくが、ひばりちゃんはフェンスの前に立ち止まると、くるりとこちらを振り向いた。
「来ないで」
「え? どうしたの、ひばりちゃ――」
彼女の小さな体がフェンスを乗り越えようとする。
「きゃああああ!?」
悲鳴まじりに叫ぶわたしだが、恐怖で身体が動かなかった。
彼女は乗り越えるのをあきらめて体を戻すと、遠くを見つめてつぶやく。
「もう、無理なの」
彼女が何をしようとしているのか、理解した途端に心臓の鼓動が早くなる。
「な、何が……?」
「どれだけ仲良くなっても、クリアできない」
はっとした直後、後ろから足音が近づいてきた。どうやら他の人たちが駆けつけたらしい。
「で、でも……」
清々しい朝の空気の中、彼女はやけに落ち着いた口調で言う。
「ごめんね、月葉さん。でも、どうせ殺されちゃうんでしょう? クリアできないなら、今ここで死んだって同じだよね」
足が震えてきた。どうしたらいいか分からない、嫌だ、怖い。
「佐藤さん、落ち着いて」
と、わたしの横から乱橋さんが声をかける。
ひばりちゃんは振り返り、みんなの顔を見てからにこりと微笑んだ。
「ごめんなさい。でも、やっぱり私、生きてちゃダメだったんだよ」
「えっ?」
「ずるいよね、分かってる。でも、私はもう無理なの」
彼女が再びフェンスの上へ上ろうとし、矢田さんが腕を伸ばす。
「早まるな――っ!」
いきおいよく身を乗り出した彼女が、一瞬のうちに頭から落ちていく。その表情は今までにないほど、冷たく残酷な笑みだった。
すぐに鈍い音があたりに響く。
「やっちまった……」
状況を理解した途端、わたしは腰が抜けてしゃがみこんだ。誰かが無言でわたしの肩を抱いてくれたが、震えがおさまらない。
「なん、で……なんで」
分からない。どうしてこんなことになってしまったのだろう。
「くそ、どうするんだよこれ」
「……分からないが、運営が対処するだろう。まさか、佐藤さんが自死を選ぶとは」
死んじゃった? ひばりちゃん、本当に死んじゃったの? あの一瞬で?
頭が痛い。気持ち悪い。意味が分からない。怖い。ひばりちゃん、わたしの大事な友達だったはずなのに。
「ひ、ひばりちゃ……うあ、うわあああああっ」
涙が勝手にあふれ出た。自分でも分からない言葉が口から次々に出ていき、わたしは誰かにぎゅっと抱きしめられる。
「なんで、なんでなんで」
ちっとも分からない。わたしは彼女の友達になれたはずなのに。どんなことでも話し合える、最高の友達になれれば、きっとクリアだってできたのに。
なんでなんでなんで。
ああ、やだやだやだ。
心臓が鼓動を打つ感覚すらも気持ち悪くて、涙と
分からない。分からない、分からない。分からない。両目を閉じても涙があふれる。
「ひばり、ちゃ……なんでぇ、なんでなんでなんでぇ」
「誰か、若島さんを部屋まで運んでくれる? 気持ちが落ち着くまで待つしかないわ」
「それなら俺が運ぶよ」
「ありがとう、長谷川さん」
大きくて優しいぬくもりがわたしを抱き上げた。何だか小さな子どもに戻ったみたいで、ますます涙があふれてきた。
「交代で様子を見ましょう。こんな状況だし、若島さんまでいなくなっちゃったら嫌だもの」
「そうだな。彼女が落ち着くまで、目を離さないようにしよう」
「ったく、朝っぱらからなんてことしやがるんだ。オレだって平常心じゃいられねぇよ」
気づけば部屋のベッドで眠っていた。
ぼーっとするわたしに、乱橋さんが優しく問いかける。
「目が覚めたようだな。気持ちは落ち着いたか?」
「……」
わたしは何も答えられず、彼の方を向くので精一杯だった。
乱橋さんの横には矢田さんもおり、心配そうにこちらを見ていた。
「今日の食事は、間宮が作ってくれている。若島さんは何も気にしなくていい」
「……はい」
小さな声で返事をし、わたしは天井へと視線を向ける。すっかり見慣れてきた木目の模様が、わたしを嘲笑していた。
「今回のことは残念だった。だが、もう起きてしまったことはどうしようもない」
乱橋さんの冷静でありながら、どこか震えている声が風のように吹き抜ける。
「運営側がこの件をどう思っているかは知らないが、あれからすぐに動いてくれたようだ。佐藤さんの遺体が回収されていたと、竜野さんから聞いたよ」
「そう、ですか。ちゃんとお家に、帰れたならいいんですけど」
言葉を口にすると、また涙があふれてきた。木目がにじんで見えなくなり、わたしは泣きじゃくる。
「昨日、ひばりちゃん、家に帰りたがってた。家族に会いたいって、言って……」
ああ、わたしはもしかしたら、彼女の支えになんて、ちっともなれていなかったんだ。ひばりちゃんのこと、ちっとも分かっていなかった。間宮くんのしていたように、わたしも一方通行だったんだ。
「オレだって家に帰りたいぜ」
と、矢田さんがつぶやき、乱橋さんも息をつく。
「僕だって同じ気持ちだ。だが、この状況から抜け出すには、ゲームをクリアするしかない」
はっとして涙がついと止まる。
「わたし、彼女と友達になったんです。東くんと唐木くんのように、友愛でクリアしようと、思って……でも、ダメだった。ダメになっちゃった」
ああ、どうしよう。わたしはひばりちゃんのことが好きだったけど、きっとひばりちゃんはそうじゃなかった。二人の思いが一致しなかったから、いつまで経ってもクリアできなかったんだ。
時間はわたしたちにかまわず、刻々と過ぎていく。残り時間は、二ヶ月と十日しかない。気持ちが焦る。
矢田さんが舌打ちをし、苦々しく言った。
「やっぱり情報が少なすぎるな。現時点で判断するなら、クリアできるかできないかは、運営の裁量次第ってことじゃねぇか」
乱橋さんは神妙に彼へたずねる。
「言い換えると、運営の気分次第、とも言えそうだな?」
「まったくだ。そんな、ルールのテキトーなゲームに放りこまれたなら、そりゃ死にたくもなるさ」
吐き捨てるように矢田さんが言い、乱橋さんはため息をついた。
「もしかすると、そうやってじわじわと、僕らを追いつめているのかもしれないな」
「クソ、性格悪いぜ」
そっか、わたしたちが少しずつ壊れていくのを見ているんだ。ひばりちゃんのように自ら命を絶つ人が、これから先にもいるかもしれないんだ。
「……わたしは、負けたくないです」
負けたくない、負けない。こんなゲーム、さっさとクリアして外の世界に帰りたい。
わたしの言葉に、二人はそれぞれうなずいた。
「ああ、絶対に負けてやるかよ」
「僕も同感だ」
ごめんね、ひばりちゃん。でも、わたしはまだ、あなたのところへ行けそうにない。共に過ごした時間は短かったけれど、もう少しだけこの世界で、あなたのことを覚えていさせてね。
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