第8話
彼は一瞬口を開いて、そしてきっちりと閉じる。
わたしには言う価値もないということでしょうか。
「………俺とお前の婚姻は本物だ。だから、この婚姻にまやかしは存在していない」
いつになく真面目な顔で言う男、いいえ、旦那さまにちょっとだけどきっとしながら、わたしはすんと冷めた顔を作ります。
「ーーー、じゃあ、あなたは妻相手に何もするなと怒鳴っていたと」
「うぐっ、」
「………………」
割烹着を身につけた旦那さまは、頭をガリガリと掻いたあと、そっぽを向いて口を開きます。
「お、俺はお姫さまのあんたが苦労しないようにって思って………、」
「へぇ~、本人に聞かずに勝手にやったことを善意だから受け入れと。大層な言い草ですね」
「うぐっ、」
「ーー決めました。わたし、明日から家事をさせていただきます」
「は?」
あまりにも驚いたらしい旦那さまは目を見開いて固まっている。
やっぱりこの人、
「へっぴりごしで、意気地なしで、甲斐性なしで、不器用な“旦那さま”を見ていられませんので」
1つ1つの単語を区切るように言うと、旦那さまは1つ1つの単語に銃弾んで撃ち抜かれたような反応をしながら床に崩れ落ちました。なんと言うか本当に、
「あと、鏡が欲しいです。うんと大きな綺麗な鏡です」
「え?」
「鏡がないと、あなたがどんなふうに髪を結ってくれているのか、あなたが選んでくれた袴をどんなふうに着こなしているのか、まったくもって分からないんですもの。ほんのちょびっと気になっただけです」
「そ、そうか………」
わたしの言葉1つ1つに反応する憎い憎い人間の男は、いつのまにかわたしの中で甲斐性無しの可愛い旦那さまに変化していました。
絆されてしまった感が否めませんし、なんだか不服ですが、絆されてしまったものは仕方がありません。
くすっと笑ったわたしは、扇子を顎に当てて首を傾げながら、旦那さまに向けてくちびるに声を乗せます。
「お味噌汁の具材やお惣菜の具は今ぐらいの大きさがお口に入れやすく、そしてかみごたえがあってちょうど良いです。あと、旦那さまの言っていた通り、
旦那さまが独り言でぶつぶつと呟いていた疑問に1つ1つ丁寧に答え始めると、旦那さまは目を見開いてぱちぱちと瞬きを始めました。そんなに驚くようなことをしている覚えはないのですが………。
「故郷の味は存外恋しくなっていません。それどころか、あなたの作るこの地の料理がとってもおいしく、次はどんなものが食べられるのだろうかとわくわくする日々を過ごしています。でも、
途中から何だか気恥ずかしくなってきたわたしは、尻すぼみになりながら、しっかりと旦那さまの赤くなったお顔を見ながらお話しします。相手の目を見てお話しすることはとっても大事なことであるということを、わたしは改めて実感しました。
「あとあと、お着物はそんなにたくさんは要らないので、そこまでたくさん仕立てる必要はありませんよ?お金は無駄遣いしちゃダメです」
最後に言いたいことを扇子で旦那さまを指差しながらびしっと言ったわたしは、やりきった感万歳にふんすふんすと鼻で息をしながらにっこりと笑いました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます