第18話 地味聖女の実力


  ◇◇◇◇◇



 人間、得体の知れないものに恐怖を抱くと言うのは聞いた事がある。でも声を大にして叫ぼう。


 理解していたはずのものが得体の知れないものに変換された時の恐怖に比べたら、前述の仮説は取るに足らない小事に成り果てると……。



「旦那様? この馬車は椅子が硬いです。旦那様の膝の上に乗っても? もしくはレイラに乗られますか?」



 カラカラカラカラッ……



 馬車に取り合わせた乗客たち(男ども)は俺を睨み殺そうとして来ている。美しすぎる妻の隣には、ごく『普通』の“冒険者A”が座っているのだから、それも納得はできる。



「……えっと、俺の上着を座席に敷くか?」



 俺は羽織っていた上着を丸めてレイラに手渡すが、どこまでも壊れてしまった地雷女は自重という言葉をゴミ箱にぶん投げたらしい。



「……旦那様に乗って欲しいです……。いつ、いかなる時も……」



 コテンッと俺の肩に頭を預け、腕を拘束され胸の感触を確かめさせられる。



「チィッ……死ねよ」

「乗合馬車でイチャついてんじゃねぇよ」

「なんであんな男が……」


 顔を引き攣らせた俺は乗客の視線に刺される。


 “冒険者A”どころか、世の中の憎悪を詰め込んだ魔王のように殺意を向けられている。



 パチッ……



 不意に、少し離れた位置に座って読書をしている“地味な村娘”の分厚い眼鏡と視線が合えば、スッと躱される。


 何やら責められているような気分にさせられるのだから、何やら心地が悪い。



(……や、厄介なことになった、クソッ!!)



 俺は心の中で叫びながら、寝たフリをしながら頭を整理する事に勤しんだ。





   ※※※※※



 昨晩は冒険者ギルドで楽しく酒を飲み、別れを惜しみ、再会を約束したところまでは覚えている。


 そこからの記憶は曖昧だ。


 あやふやな記憶を手繰り寄せ、レイラに抱きつきながら「またここに帰ってこような」なんて恥ずかしい事を言ってしまったような気もしないでもない。


 だが、気がついたらレイラは裸で、エリスが来て、頭はふわふわしてて、とりあえず寝たフリをしたはいいが、


(えっ、いや、はっ!? レイラに手を出しちゃったのか!?)


 正直、内心は焦りに焦りまくっていた。


 俺がいないところで進む話し合いの内容に、「まあ、これはコレで……」と放置を決め込む。


 レイラはエリスを殺す事はできないと知っておくべきだし、エリスもレイラを殺すような事もしない。


 いつまでもエリスに噛み付かれるのも面倒だし、少し暴走気味なレイラを落ち着かせられるならいっかと現実逃避して、狸寝入りを継続。



 だが、エリスが聖属性の魔法を展開した瞬間に俺の思考は完璧に覚醒させられ、声をかけられた事で、嫌々ながら起き上がった。


 ここからの記憶はしっかりしている。

 全てが終わり、泣き続けるレイラを寝かしつけて、オーウェンが生きてる事を確認して拘束を解いてやってから、俺も就寝した。



 明け方には、何事も無かったように目を覚ましたオーウェン。


 ーーでは、私はアルト様の影を追っておりますので。


 と村人に変装して部屋を後にした姿に、レイラの『薬師』の才能に恐怖しか感じなかった。


 うん。あの時もレイラを確認した。

 その時もレイラは自分のベッドで寝ていたはずだ。

 


 で……、そこからがわからない。



 ――“コレ”は何がどうなっているの? アルト君。



 迎えにきたエリスの言葉は、俺が聞きたいくらいだ。朝、キスで起こされてからも、レイラは俺にべったりで“旦那様”と呼び始めた。


 「説明しろ」と言っても、「愛してます」しか返ってこないからもうお手上げだ。


 あれよあれよと流され、この馬車の状況が出来上がったのだが……、もう怖くて仕方がない。


 完璧にレイラが壊れてしまった。

 いや、元からぶっ飛んでいるんだが……。


 何が厄介って、「もうこれはコレでいっか!」と諦めてしまいそうな事だ。


 実際のところ、俺はレイラを本当の妹のように思っている。小さい頃からずっと一緒。血のつがながりもなくて立場も全く違うが、もう本当の家族のように感じている。


 この2年。妹役を与えたレイラに、自分でも驚くほどしっくりきた。なにより、母さんが死んだ時、レイラがいなければ壊れていたのは俺の方だった。


 そばで支えてくれた恩は返したい。


 俺だって男だ。

 性欲がないわけじゃないし、美人は好きだ。


 それはもちろん、レイラのような美女を抱いてみたいとなるのだが、それ以上に、俺は……“俺の血”が嫌いだ。


 俺がアイツの息子である事は変わらない。

 『快楽』を覚えてしまうのが怖くて仕方ない。


 ……『アイツの血を俺が残してしまう』のが嫌で嫌で仕方がない。

 

 その時、俺が「俺のまま」で居られる確信が持てないからやってられない。


 でも、それでも……、案外、俺の全てを赦(ゆる)してくれるのはレイラしかいないのかもしれない。俺が偽らずにいられるのは……結局、レイラだけ……。



   ※※※※※



 馬車に揺られながらレイラを見やると、それに気づいたレイラは嬉しそうに頬を染めて「ん?」と小首を傾げる。



(……“依存”、か……)


 深くため息を吐きながら昨晩のエリスの言葉を思い出す。……なんてことはない。俺とレイラに相応しすぎる言葉だなと思ったりしただけだ。



「ん……?」



 そんな俺を他所に、馬車の周りに複数の魔力を感知する。

 

 【黒雷】はまだエリスには内緒にしているので、普通に無属性魔法である《魔力感知》を展開しているので間違えようがない。


 魔力が均一な事からして盗賊よりも魔物だろう。おおかた、ゴブリンの群れと言ったところか……。


 俺はチラリとエリスを見やるが、エリスは本から一切目を離さずに、地味な村娘を貫いている。聖女のローブを羽織っていないし、一目で聖女だとわかる者もまずいないだろうと思わされるのは流石だ。


 だがまあ……、


(お前も何やら展開しているくせに……)


 それはそれで気づいてしまうわけで。


 はいはい。俺の実力を見てみたいって事だろ?

 ただでさえ、レイラに思考を持って行かれてるのに、働かせるのかよ。「本来、私に護衛は必要ない」とかなんとか言ってたくせに、ちゃっかり働かせるんだな。



 声に出せない悪態を吐きながら俺はレイラから腕を抜き取り、その場に立ち上がるが……、




 ……パッパッパッ……!!



 感知していたゴブリンたちの気配が順々に消えていき、全てが消滅した。



「……」


 これは間違いなくエリスの仕業だろうが、いまいち仕組みがわからない。属性魔法は本人にしかわからないが、コレがただの聖属性魔法でない事は容易にわかる。

 


(……さすがは“聖女”ってところか)



 少しだけ呆気に取られてエリスの様子を確認するが、顔色一つ変えず、読書を続ける地味な女が座っているだけ。



 ジトォオ……



 残ったのは、走行中の馬車で無意味に立ち上がった冒険者A……いや、“全乗客の敵”がいるだけ。



「……旦那様? 膝枕で休みますか?」


「……い、いや、大丈夫」



 座り直した俺に、「なんだよ、コイツ。気持ち悪りぃ」なんて陰口が聞こえてくる。


 あまりの居心地の悪さに、小さくため息を吐き目を閉じようとしたら、本で顔を隠して震えている“エリス様”。



(ツボってんじゃねぇよ!)



 わざと俺が護衛に動くように振る舞って、俺が立ち上がった瞬間に……って……、あぁ。なるほど、そうか……。


 俺は、“してやられた”経験が異常に少ない。

 それは常に目的があり、常に思考し続けていたからだ。


 まったく……。

 習慣が人を作るとは良く言ったものだ。

 この2年で、俺はすっかり“冒険者A”になったんだな。



 ハ、ハハッ……、上等だよ、クソが。



 目的のない行動や思考は面倒だ。


 だが、俺はやられたらやり返す男。

 死ぬほど嗤(わら)ってやるよ、聖女様。



「……旦那様?」


「……ん? どうした、“お嫁さん”?」


「……い、い、いい、いえ!」



 顔を真っ赤にしたレイラの肩にコテンッと頭を乗せる。



 ガタッ……!!



 乗客が反応するが、よくよく考えれば今後2度と関わらないような連中だ。魔力量、容姿、立ち振る舞い……その全てがこの場限りの付き合いだと理解する。



「ふっ、自重しすぎる必要ももうないな」


「……だ、旦那様?」


「いや、気にするな。肩、少し借りるぞ?」


「は、はぃ……どうぞ……!」



 俺はスッと目を閉じた。

 視線は相変わらずだが知った事か。


 お前らがどう思おうが関係ない。

 どうだ? 羨ましいだろ、ばぁか!!


 俺はニヤリと微笑みながら、エリスへの仕返しとレイラの事。完璧に変装して荷馬車を引いているオーウェンの事と、『勇者パーティー』の事を考えた。



 ……エリスで“持っている”可能性が濃厚か。



 重要なのは、顔色一つ変えずにゴブリンを殲滅したエリス。地味聖女の力量の再認定が必要と言うこと。


 俺は勇者パーティーの面々の事を考察しながら、数年ぶりに足を踏み入れる王都に警戒を強めた。


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