Episode 3 蒼い賢者と黄色い愚者

智慧。生きる為の知識と経験。クリプティッドでも賢い者とそうでない者がいる。葉月はもちろん圧倒的に前者であった。賢いものとはどういうことか。危機に晒されたときにそれを回避する能力を持つもの。そして、自分の為すべきことを把握し、それに辿り着く計画を立てて実行するもののこと。葉月は利里がクリプジオン本部まで来たことにそれほど悦びの顔色を表さなかった。利里は葉月が組み立てようとしているパズルのピースのひとつ。重要なものではあるが、失くしてしまっても代わりのきく、扱いやすいピース。あくまで今の時点ではね。近い未来には利里は葉月の計画の邪魔になるとは想像もしていなかったわ。


 人外のものの渇望。人外のものの熱望。人がこの世に生まれてくるのは誰の意思でもなく、偶然の力が大きいのかもしれないがクリプティッドは人とは違う。生まれながらに目的を持つ。葉月の目的はふたつ。ひとつは彼女が生まれてきたときから抱えている使命とも言うべき目標。もうひとつは人が動植物を喰らうという不浄な行為をやめさせること。


 それはもともと、クリプジオンの前所長の岩城ダイスケの悲願と重なる。葉月は別にダイスケのことを認めていたわけではない。ただ、人の食事というものに虫唾が走るようになってきたのだ。人は動物を得るのに狩りなどしないから。動物を造って、肥やして喰らうから気味が悪い。あれは動物を育てているとは言わない。植物にだって同じことが言える。葉月が理想とする生きものはそんな不浄をしない。ふたつの目標はこの世の生物の浄化をするという共通点を持っているのよ。


葉月は利里に向かってあなたはジャナンになるのに適した才能を持っていると伝えた。葉月は何度もサナランを訪問してジャナンになる才能を有したみなもとを選別していたの。

 

 利里にジャナンになれと言う。そして、この世の平和を守れと言う。利里は迷わず首を縦に振った。もちろん利里の目的はこの世の平和を守るなどという高尚なものではないわ。利里自身がメディアに取りあげられて有名になればいつか両親が自分を引き取りにきてくれるのではないかという期待を持っていただけ。本当は赤色のジャナンスーツを身に纏いたかったが、それは神谷翔という少年が扱っているというので、イエローのジャナンスーツを与えられた。


 利里はもちろんおとなに対する嫌悪感や不信感を忘れてはいない。しかし、それ以上に期待を感じるようになっていた。ジャナンという自己実現をなせる為の道具を手にすることが出来るかもしれないのだから。それは利里は生まれて初めて得る武器なのだ。

 世の中に平和をもたらしたいという葉月の悲願など興味はない。それに従っているふりさえしていればいい。

 肝腎なのはそれを続けること。小さな努力を積み重ねていけばきっと利里の存在を両親が気付いてくれるだろう。「もの」と呼ばれる怪物に負けなければよいのだ。利里には自信があった。根拠はないけれど。利里は笑っていた。この子の特徴なのだ。希望が見えれば口角が下がる。瞳が少しだけ赤くなる。「もの」と戦うことが怖くはなかったのだろうか。「もの」を殺す能力が自分には備わっていると信じていた。利里はこれまで、なにものかに負けた経験がない。正確には負けたことはあるのだが、それは自分が本気になっていなかったのだ。「もの」を殺すことには本気になれるだろう。それは快楽だから。「もの」を殺すのはきっと愉しいことだろう。利里には容易に想像がついた。首を絞められて苦しむ「もの」の姿が。どれだけ苦しもうが、助けを請おうが容赦するはずなどない。生き残ってこそ両親に近付けるのだ。死にたくないと叫ぶ「もの」の声が聞きたくてしようがない。「もの」にも思知らせてやりたい。大事な人と離れ離れになる悲しみを。「もの」は、さぞかし苦しくて悲しい表情をするだろう。利里の手にかかっているのだ。やつ等の未来は。そんな顔をする自分とは違う「もの」を思い描き利里はまた笑った。


 こども。未成熟なもの。ジャナンとなるのに適したもの。悦びを得るのが難しいもの。おとなや友達や異性に悦ばれるのが生きがいであるもの。あたしはそうではなかった。人を悦ばせるのが苦手だった。それもこども。悦びを探しているもの。幸せを模索しているもの。利里とあたしは同じ。人を悦ばせるより、自分の目標を優先するもの。珍しいことども。生意気だと言われるもの。夢を持てと言われるけど、自己中心的な考えを持つことを咎められるもの。だから自分の真の目標を口にすることが叶わない。おとなとは決して相容れないもの。あたしはこどもでいることが幸せだった。おとなと馴れ合うより、あたしの目標だけの為に動きたかったから。利里は少しだけおとなの世界に足を踏み入れた。だから同情もするし、哀れだとも想うし、尊敬もする。


 拒絶反応。マザーに受け容れられない女。なついて貰えない女。なぜだろう。利里はジャナンスーツにたいそう嫌われていたようだ。ジャナンスーツを纏うには手首にベルトを巻いて起動スイッチを入れるだけでよい。それで、スーツを纏うものの体型に合わせてスーツが伸縮するはずなのだが、まるでスーツが利里を拒んでいるかのように馴染まない。利里をここまで連れてきた副指令の佐々木ケイコは難しい顔をしたわ。ジャナンスーツとは繊細なもの。イエロージャナンスーツが今はまだ利里に心を許してくれないのか、スーツがこの女は適格者ではないと判断したのだろうか。利里がスーツを着こなすのには時間がかかるかもしれない。こんな事態は初めてだったのでケイコをはじめクリプジオンの職員の誰もが疑問を持った。なにが利里を拒んでいるのだろうか。


 そんなに難しく考えなくても答えは出るでしょう。ふたつのものの間に繋がりがないからよ。利里は「もの」を殺したいと願っているが、イエロースーツのマザーは利里に長く生きて欲しいと感じているのかもしれない。


 利里はとても苛立っていたわ。早く「もの」という敵と戦いたい。ここを自分の居場所にしなければならないからね。探し物に近付きたい。幸い新しい「もの」の存在はまだ確認されていない。利里は来るべき日に備えて、毎日クリプジオンに通ってスーツを着用する努力を続けた。やはり利里は明らかにイエロースーツのマザーに撥ね付けられ続けた。身体に合うスーツが纏えない苛立ちをベルトに向けた。何度もベルトを外し、蹴飛ばしたり踏みつけたりして怒りを表わすのよ。

「バカ。役立たず。さっさとわたしを認めなさいよ。わたしにはやらなくてはいけないことがたくさんあるのよ。あんたも協力しなさいよ。あんたはわたしの願いを叶える道具なのだから。あなたの為にわたしがいるのではない。わたしの為にあなたがいるのよ。」

 こんなに乱暴で粗暴な性格をしていたので、マザーに嫌われていたのかもね。だけど、利里がイエロースーツを着こなそう、同化しようという意思は確実にマザーにも伝わってきたようだわ。少しずつだがスーツが身体に馴染んできた。数週間かけてなんとか身体をスーツで覆うことが出来るようになった。


 利里とあたしの共通点。自分の目標をはっきりと定めているの。利里は両親と再会すること。あたしは元気な子供を生むこと。あたしが目的を達成する為には元気に生きていればよいだけだったけど、利里は努力も工夫もしなければいけない。あたし達の大きな違い。あたしはずっと恐怖に震えていた。生きていることに自信がなかった。利里は強い希望を持っていた。期待もしていた。利里も決して強い女ではなかったけれど希望を持ち続けられたので心が折れない。利里が希望を持っているからではなく、希望が利里を生かしているようだった。あたしはそんな利里が羨ましくもあり、大好きだ。


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