8.ノースジブル領への旅立ち
「本当によかったの?エマ」
「何を仰るんですか?私はアリス様のためでしたら何処までも着いていきますよ」
「…でも、あなたは怖くないの?」
私はエマに髪を整えてもらいながら彼女の顔を伺った。今回のノースジブル領への遊学の件で侍女を数名連れていくことになったが、一番先に名乗り出たのは侍女長であるエマだった。
エマが着いてきてくれることはとても嬉しいのだが私には不安が募った。
「そんなに心配をなさることがございますか?」
「心配よ」
「だってシオンは」と言いかけて私は口をつぐむ。エマの方を見ると少し困ったように笑いながら私を見つめていた。
「シオンお姉様のことでしたら何度もお話ししたはずでしょ?アリス様のせいではありません。」
「だけど、私はあの時シオンを助けられなくて」
「アリス様が助けられなかったのではなくシオンお姉様がアリス様を助けたかったのでしょう?」
私はエマに話しを続けようとするとエマはヘヘアブラシで私の髪を少し強く梳かした。そのせいで私は顔を上げるように鏡を見た。
「アリスお嬢様、私はお姉様の件でアリス様を恨んだことなどありません。…貴方に仕えたい思いで必死だったのですから。それにまだ姉の安否も正式には分かりません。」
エマは笑いながら話しを続けた。
「私は案外、シオンお姉様は何処かの地で生きているのではないかと思っています。シオンお姉様はしっかり者でしたから」
「エマ」
「お嬢様は私より年上でしっかりなさっているのにたまに私の妹と重なる時があります。」
「そんな!」
エマはくすくす笑うと私の身支度を進めた。
「とにかく大丈夫ですよ。いくら噂に聞くノースジブル領でもヴェンガルデン公爵家の後ろ盾があれば気安く襲うこともできないはずです。」
「それはそうかもしれないけど…」
「私の兄妹は皆、アリスお嬢様に救われたのですよ。もっと堂々となさって下さい。」
「エマ、ありがとう」
私は再びエマのほうを振り返るとエマに感謝を伝えた。5年前、私はシオンのことを伝えるべくノーブル家に向かった。どんな罵声を浴びても仕方がないと思っていたのにノーブル家の人々は私に頭まで下げてくれた。「わざわさ娘のためにアリス様に来ていただきありがとうございます」と言った夫人の顔を私は忘れることが出来なかった。
エマはあの一件以降、「一家の働き手になりたい。アンリゼット家で働きたい」とアンリゼット家の屋敷の門を叩き、若くして私専属の侍女長にまでなった。私よりも幼いのに仕事は早く、いつも冷静なため周りの侍女達も彼女のことを慕っていた。
「それでお嬢様、本当にお嬢様のお召し物はあちらだけでよろしいのですか?」
「ええ、遊学といっても私の誕生日までですから」
エマは私の荷物を見るとため息をついた。
「もう、お嬢様は本当に欲がなくて困ります。他の侍女たちがお召し物を多く持つようにいっても断わったそうじゃないですか」
「だってそんなにドレスを持っていてもしょうがないじゃない。それに今回はヴェンガルデン公爵家の馬車に乗せてもらうのだから荷物は少ないほうがいいでしょう?」
「そういう問題ではないのです!いいですか!アリスお嬢様!貴方様は婚約するかもしれない方に会いに行くのですよ。少しは見栄えも気にして下さい。」
「そんなにかしら?」
私の荷物を他の侍女達もみながら苦笑していた。荷物の中はドレスが2着とネグリジェ、室内用のドレスが2着入っていた。
「ご覧下さい。普通は子爵令嬢でもトランク3個でも足りませんのにアリスお嬢様のお荷物は1つに纏まっています。」
「ええ、それが?いいじゃない。とても運びやすいわ」
「侍女思いもそれくらいにして下さい。そんなことではないだろうかと思い、私が最低限必要な物を追加したトランクがありますのでそちらもお持ち下さい」
エマはそういうと他の侍女に頼んでトランクを追加で運び入れるように指示をした。
「いつもありがとう、エマ」
「私はアリスお嬢様に仕えるのが天命ですから」
エマは大袈裟なことを言うと私に微笑みかけた。
「それにしても今回ばかりはアリアお嬢様が嫌味の一つも言ってこないことに違和感があります。アリスお嬢様が婚約破棄された時はあんなに騒いでいたというのに」
「それだけ聖女としての準備が忙しくなってきたということよ」
アリアは屋敷にクリス殿下と訪れた後、アンリゼット家で茶会を開いて私とクリス殿下の婚約破棄のことを自慢気に語っていたが、それからというもの私に直接関わってくることはなかった。
きっと陛下がアリアを聖女と妃としての両面で迎え入れるのであれば準備に時間がかかり、そのようなことをしている暇もないのだろうと考えていた。実際に私とクリス殿下の婚約破棄後は王宮に向かう姿をよく目にしていた。
お父様から正式に2人が婚約したという話しは聞かないが、妃候補としての教育を始めたいという申し出はあったそうだ。きっとアリアのことだからそちらに手がかかっているのだろう。
―私とアリアも幼い頃は仲良くしていたというのにいつの間に互いを拒む関係になってしまったのだろう。
ふと考えこんだがエマの問いかけで私は現実に戻ってきた。
「まあアリア様も今日は王宮に行かれるそうですし、挨拶もせずに済むと思うと心が軽いです」
「そうなのね。」
「アリスお嬢様。それでは身支度も出来ましたし、参りましょう」
私はエマに言われると部屋を出るために立ち上がった。ふと自室を見ると暫くこの部屋には来ないのだと思うと寂しくもあった。
「お嬢様?」
「いえ、何でもないわ。行きましょう、エマ」
婚約破棄をされてから涙を零した日もあったことを懐かしく思いながら私は自室を後にした。
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