最終話

「俺とティーニャのことを本にする?別に全然構いませんけど、ちょっと子供には読ませられない出来になるような……」




 予想外の提案をする殿下に驚きつつも快く頷く。

 なんでも、子供の頃からそういう話に触れさせることで身分差別の撤廃に活用したいらしい。


 そういうことなら大歓迎だ。色っぽいシーンだけ除外して思う存分ロマンチックに仕上げてほしい。



「ありがとう。心配するな、老若男女問わず読める安心安全のロマンチックなラブストーリーで進めるつもりだ」

「二人が主役となると、僕たちは悪役か?男前に書いてくださいね殿下」



 ケラケラと笑う殿下と自分の役柄を心配するレイモンド。

 薔薇園の間横の一室でそんな二人と談笑していると、殿下の迎えにアレクシスも現れた。



「殿下、その辺にしておいてください。そろそろエグランティーノがここに来ます」



 それはいけないと殿下とレイモンドが立ち上がる。

 ティーニャの支度が終わるまでしばらくかかると思っていたけど、代わる代わる来る親兄弟や知り合いに挨拶をしているとあっという間だった。



「アレクシス、今日は石出さなくていいのか?泣くだろう?」

「今日くらいは普通に泣きます、揶揄わないでください」



 心が戻ったアレクシスはいつもより雰囲気が穏やか……というか頼りない感じで、通りでいつも殿下が石を預かっていた訳だと得心する。


 気弱なアレクシスは殿下とレイモンドを部屋から出すと、俺を一瞥して気まずそうに小さく呟いた。



「……子供に読ませられないようなことをしたのか」

「あっ」



 しまった、そこから聞かれてたのか。



 いくら儀式のときに俺とティーニャの関係が全員に知られているとはいえ、やはりティーニャの家族にそういうことを知られるのは気まずい。


 怒られるか?と身構えたものの、玉心の雫を外に出していないアレクシスは複雑そうな顔をしたものの意外に穏やかだった。



「いや、気にするな。お前たちはもう夫婦になったんだ……結婚おめでとう」



 その言葉と共に差し出された手を握り締め、握手をする。



 そう。今日、俺たちは結婚式を挙げる。


 春の麗らかな木漏れ日が美しい、野花が咲き誇る絶好の結婚式日和だ。



「ありがとうございます。こんなただの平民を受け入れてくださって」

「思ってもない謙遜はやめろ。むしろよかったんだ……君が相手で。元々実力主義の軍人一家だ、我々は喜んで君を歓迎する」



 ティーニャと俺は殿下直属の視察団に選出され、夏からの視察に向けて準備を進めている。レイモンドも仕事の関係でたまに会うが、地方行政をゆくゆくは任されたいと晴々とした顔で言っていた。



 全てがお伽話のように丸く収まって、俺たちの結婚も意外なことにすんなり決まった。



 恨みを作らず恩を売って働かせるのが殿下のモットーだかららしいが、本当に有り難かった。



「そろそろ私は親族席に戻らねばならない。君のご家族にご挨拶したいからな……だが、くれぐれも式には遅れるなよ」

「勿論」



 遠回しにいちゃつくなと忠告をしてアレクシスが出て行く。


 思えば彼は副軍将、軍にいた頃なら顔を見ることさえ叶わなかった人物だ。


 そんな人と話をするようになるなんて人生は分からないな、と感傷に浸っていると小さなノックが響いた。



「ティーニャ?どうぞ」



 白い扉に向かって応える。

 ……返事はない。扉が開くこともない。



 ちょうどアレクシスと入れ違いになるのかと思ったけど、扉はいつまで経っても開かなかった。



「ティーニャ?」



 もしかして手が塞がってドアが開けられない?いや、それなら使用人あたりが付き添うだろう。


 不思議に思ってドアを開けるも、そこには誰もいなかった。



 ここじゃない?じゃあいったいどこに……



「ふふ……グエン、こっちです。こっち」



 揶揄うような声が聞こえて反射的に振り返る。


 庭だ、そっちからノックをしていたんだ。



「びっくりした、ドア開けても誰もいないんだもん」

「ごめんなさい。でもこの庭がすごく綺麗だからここで見せたくて」



 庭に出る扉を開いて外に出ると、キラキラと眩しい陽光に目が眩んだ。


 地面を踏み締めて声の元へと歩いて行く。

 一面に咲く真っ白な薔薇を抜けた先、そこにいたティーニャは薔薇色の瞳を太陽に輝かせて俺を見つめていた。



「ティーニャ……」



 美しい刺繍の施された真っ白なドレス。儀式の時に着ていたマーメイドラインのそれとはまた違う、首元から肩、腕をレースで覆った華奢なドレスはティーニャによく似合っていた。


 それに真珠のような髪を覆うヴェールには俺が贈ったあのときの髪飾りが上から重ねられていて、二重のそれの神秘的な雰囲気がティーニャのイメージにぴったりだった。



「どうです?グエンのお嫁さんですよ」



 揶揄うような声色の陰に恥じらいが見え隠れする。


 自分のための花嫁姿を前にすると、どんな言葉も安っぽくなってしまう気がして俺は何も言えなくなってしまった。


 綺麗?そんな軽い見た目だけの話じゃない。可愛い?言いすぎて違う気がする。



「ティーニャ……すごく素敵だ。なんて言えばいいんだろう……言葉が出てこない」



 気の利いた褒め言葉が出てこない自分に嫌になりつつも、思い浮かんだ精一杯の気持ちを伝える。

 はにかむティーニャを目に焼き付けるように見つめると、その目が夢を見るように心地良さげにうっとり細められた。



「グエンの方が素敵ですよ。出会ったときからずっと」




 その言葉に居ても立っても居られなくなって、ティーニャを抱きしめる。



 真っ白なティーニャのドレスに対して俺が着ているのは黒の儀礼服。


 一見ちぐはぐなように見えても横に立つと意外と馴染むようで、それがまるで俺たち自身のように感じられて思わず笑ってしまった。



「グエン。これからの人生、どんなにグエンが嫌だって言っても離してあげませんからね」

「それはこっちの台詞だよ」



 俺の腕の中でティーニャが幸せそうに笑っている。その途方もない多幸感に涙が出そうになってしまう。


 ティーニャが生きている、笑っている、俺を好きだと全身で表してくれている。



「グエン、大好き」

「俺は愛してるかな」

「あ、ずるい。私も愛してますよ」



 キラキラと笑顔に細められた薔薇色の瞳。俺に愛を告げるたびに色濃く輝くその瞳がこの上なく愛しくて、その瞼にキスをした。



「お化粧してるのに」

「大丈夫、取れてないから」



 薄い薔薇色の口紅と揃いの淡い目元。薄いまぶたをキラキラと彩るシャンパンゴールドの輝きはまるで俺とお揃いだった榛色が陽に照らされたときのようで、込み上げてくる万感の思いがため息となって漏れてしまった。



「グエン、その騎士の勲章……見つかったんですか?」



 ティーニャの目線の先は俺の服に取り付けられた騎士の勲章。



「うん、儀礼服着るのに勲章の一つもないんじゃカッコつかないでしょ」



 真新しい輝きを放つそれは、辺境伯の手でボロボロになっていたそれをアレクシスが回収して新たに作り直すよう取り計らってくれたらしい。



「そんなことないです。式場にはグエンのことを勲章なんかで判断する人はいませんよ」

「分かってるよ。でもこれは俺の気持ちの問題だから」



 最初は俺が勲章を雑に扱うことに驚いていたティーニャが勲章なんかと言うようになったのは良い変化なのか悪い変化なのか分からないけど、でも俺の影響を受けてティーニャの考えが変わったと考えると気分が良かった。



「なんで笑ってるんですか?」

「や、なんでもない」



 幸せだ。多分俺は今世界で一番幸せだ。

 こんなことを言ったらティーニャに「私の方が幸せです」なんてバカップルみたいなことを言われてしまうんだろうけど断言できる。


 この先の人生、間違いなく俺は世界一の幸せ者だ。



「グエン……私の心をもらってくれてありがとう」

「こちらこそ。俺を選んでくれてありがとう」



 二人で額を寄せ合って、その柔らかな体温に浸る。トクトクと脈打つその心を俺がもう目視することはできないけど、ティーニャの顔を見ればそんなのは必要なかった。




 ふと、遠くで鐘の音が聞こえる。会場の準備が整った合図だ。




「お、みんな揃ったね」

「いよいよですね」



 式場には俺とティーニャの家族がいる。一生会うことのないと思っていた家族が、今ではティーニャの家族と並んで俺たちの門出を見守っているのだから人生は本当にどうなるか分からない。



 式場までの道のりはそう長くはない。

 その道のりを俺たちはゆっくりと噛み締めるように二人で歩いて行く。



「それじゃあ行きましょうか、グエン」

「うん、ティーニャ」




 溢れんばかりの拍手と眩い光の粒を一身に浴びる。


 二人で笑い合える、喧嘩もできる、ただの俺とティーニャで生きていける。


 この先の人生に怖いものなんて何もない。



 そうして俺たちは、新たな一歩を踏み出したのだった。

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