第35話

「阻止するって……それじゃあ儀式は」

「私が代行する。元々は王室がやるべき務めだ。私には国を守る覚悟が十分にある、そうだなアレクシス?」

「はい、過去の事例から検証するに恐らく十分かと」



 ティーニャの儀式を阻止する。

 言っていることはレイモンドや辺境伯と同じはずなのに、俺にとってはこの上なく希望に満ちた言葉だった。



「それじゃあ……ティーニャの心は無くならないんですか」



 唇が、声が、喉が震えるのを抑えきれない。


 穏やかな目で頷いたアレクシスに胸が熱くなった。


 こんな夢みたいなことが本当にあるんだろうか。もしかすると本当に寝ぼけた俺が見た夢なんじゃないのか。


 それでもツンと痛む鼻を押さえれば目が覚めるような涼しげな薔薇の匂いが漂ってきて、これが現実だと教えてくれた。



「こら、まだそうと決まったわけじゃないぞ。現場は我々とエグランティーノを守る王立軍、過激派の三つ巴になることが決まっている」

「王立軍が過激派を抑えてみせます」

「馬鹿を言うな。過激派は士気も高い、リーブラの中に突入されることは間違いないだろう」



 二人の提案に乗らない理由はなかった。でも心から賛同できるわけではない。


 今の体制に見切りをつけて新しい時代を作ろうとしているレイモンドやその仲間たちを思うと、彼らに与するのは罪悪感が伴った。



「複雑な顔だな。仲間が心配か?」

「儀式を乗っ取れたとしても、俺もあいつらも反逆者であることに変わりはありませんから。俺はティーニャを助けるためなら協力は惜しまないけど、現体制はやっぱり支持できない。下に生まれた人間は癒着した政治体制の言われるがままに税を納めて、上の人間にものを言うこともできないなんて間違ってる」



 ティーニャに心を奪われたからって、その考えが変わったわけじゃない。俺はティーニャのためなら故郷を捨ててもいいと思っているけど、志のために戦うことを決めた仲間たちのことだって忘れてはいない。



 二人にとっては理解できないことかもしれないけど、その気持ちは変えられなかった。




 けれど予測に反して二人は俺の言葉を聞いても不快そうにすることは一切なく、むしろ感心したように頷いた。



「それについては私も同意だ。士官学校で多くの平民出身の友人ができたが、中には当然私よりも優秀な人間もいた」

「我々は短命ゆえに多くの貴族や商家に色々と依存しているからな。それゆれ我々は内密に内政改革の準備を進めているんだが……アレクシス、彼にも言って構わないかな」

「はい」




 それから彼女が話したのは、俺が考えもしなかった新しい政治の話だった。



「……は?」



 正直それが現実になるのかは俺には分からないけど、少なくとも現時点でレイモンド達と敵対してでもこの二人に与していいと思えるような、そんな話だった。



「これ以上のことは言えないが、我々は元より過激派の面々を死罪にするつもりは毛頭ないんだよ。危険に晒されていたエグランティーノには悪いが、暗殺未遂で終えれば精々辺境伯の爵位剥奪と国外追放が現実的なところだな……で、協力してもらえるかい?」

「勿論です」



 二人と握手を交わした俺の心はもう決まっていた。


 必ずティーニャを助けて、皇女の儀式を成功させる。



「では早速作戦会議だ。と言っても大体はもう考えてあるんだが……君の意見が聞きたい」



 アレクシスの広げたリーブラの礼拝堂の図面を見ながら詳しい作戦を聞く。



 正直この作戦が上手くいくかは当日の辺境伯の動きによるところが大きい。

 でもやらなければいけない。ティーニャと一緒にいられる未来を得るためにはそれしかないんだ。



「任せてください。ティーニャのためなら何でもできます」








「その石を壊せ!粉々に砕いて山分けにしろ!その色のダイヤは高値で売れる。諸君らへの褒章だ!」



 私の邪魔をしないで。私はこのためにいきてきたんだから。



 そうして遠くに落ちた玉心の雫に向けて駆け出した、その時。



「王立軍である!辺境伯とその一派!武器を捨てて投降しろ!」



 聞き覚えのある声が礼拝堂の中に響いた。



「グレース、エグランティーノ、無事か」

「兄様!エグランティーノを助けて!」



 兄様だ。来ないと聞いていたけど儀式のために軍を率いてここまで来てくれていたんだ。



「何、王立軍はさっき破ったじゃないか!」

「辺境伯、こう言ってしまうのは申し訳ないが、お前がそうだから我々はグレース侯女達をお前の領地に派遣したんだよ」



 騒めく空間に突然響いたその女性の声に、礼拝堂にいる全ての人間の動きが止まった。


 決して大声をあげているわけではないのによく通る凛々しい声。妖艶さと知性溢れる声は、その正体を知らずとも人々の声を惹きつけた。



「お前……なんでここに」

「これは兄上、元気そうで何より」

「あ、あなたは……殿下……!」

「まんまと袋の鼠になってくれたね。こんな山の上までご苦労なことだ」



 まさか皇女までもここに駆けつけてくれるなんて、思わず反射的に振り返ってしまった。


 美しく玲瓏な声は争いに乱れ始めていたこの場をあるべき姿に鎮めるような力を持っていて、彼女の実力を実感した。



「お前はいつもそうだ、領地経営は上手いのだが戦のセンスは皆無。普通は麓に兵を置くなりするだろう。追い詰めたつもりが挟み撃ちになるのは軍を率いる者として一番避けなければならない事態だ」



 王立軍の兵士が兄様に何かを耳打ちする。特段表情を変えることなく頷いた兄様を見るに、おそらくこの礼拝堂以外の革新派の制圧が完了したのだろう。



「殿下、外の軍勢は投降しました」

「よろしい。中の者達も早く投降するんだ。今ならお前達も親兄弟も悪いようにはしない、ここで抵抗しても無駄死にするだけだぞ!」



 その言葉と味方の投降に士気を削がれたのか、兵士達が武器を捨てていく。



 そうだ、今のうちに儀式を済ませてしまおう。



 ハッと我に返って慌てて石の在処を探す。あそこだ、あの水晶の奥にある。

 いつの間にか遠くに転がっていってしまったらしい。



「あった……!」



 膝をついて手を伸ばすと、一つの傷もついていない私の心が漸く手のひらの中に戻った。



 よかった、これで儀式ができる。



 早く天秤の上にこれを置いてしまおうと立ち上がろうとして、何かに腕を強く引かれた。



「っ……!!な、なにっ!誰!」



 まさか奥に兵士が?と思ったけど違う。それなら私が声を上げる前に剣を振ったはずだ。


 じゃあ一体誰が……



「シィ……あれ、髪の色変わった?黒もいいけどそれも可愛いね」



 大きな手が私の肩を優しく抱いて、私の手の上からギュッと玉心の雫を握りしめた。


 嘘、なんでここに。死んだはずじゃなかったの。



「グエン……?」

「この間ぶりだねティーニャ。その服、縁起でもなくて胸糞悪いから早く脱いでくれる?」



 最後に会ったときとちっとも変わらない目で見下ろすグエンの笑顔に、手のひらの中の石がドクンと脈打った。


 生きてる、グエンが生きてる。


 その事実を認識するにつれて私の宝石は安堵したように温かくなって、その石越しに私は自分の感情を認識した。



 でも、この感情は今は出すべきじゃない。グエンは敵だ。



「本当に悪趣味な服だなこれ……天馬に嫁入りとでも言いたいのかよ」

「どうでもいいことをぐだぐだと……私を殺しにきたんですか。それともこの石を壊しに?」

「いや?嬉しいことに両方とも違う」



 油断させようとしているのか緊張感のない顔をするグエンに警戒心が募る。

 早くこの腕から抜け出して儀式を続けたい。どうすればグエンを出し抜けるんだろう。



「そんな顔しないの」

「ちょっ、やめっ…………んっ」



 突然グエンがキスをしてきて思わず思い切り胸板を叩く。もしかして月蝕が終わるまで引き留めようとしてる?


 けれども意外なことにグエンはあっさりと唇を離すと、私の肩を抱いたまま水晶の前に向かって歩き始めた。


 何がしたいのか全然分からないまま取り敢えずグエンについていく。



「……殿下?」



 なぜ皇女殿下がこの水晶の前にいるのかと首を傾げたけど、兎にも角にも危機は去ったのだ。



 早く儀式を済ませてしまおう。

 私はこのために生まれてきたんだから。




 天上では月があと少しで顔を出そうとしていた。

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