第33話

 昔、大陸には多くの小国があった。


 中でもその中央に位置する地域は肥沃な穀倉地帯であり、彼の地は土地の貧しい北国からの侵略にあい滅亡の憂き目を見た。



 勢力を増す軍勢に豊沃の村の人々は虐殺され、何人もの男が殺され、女が嬲られ、子供たちが売られていった。


 その国では王室である草の一族や貴族である石の一族、天の一族や海の一族を始めとした多様な能力を持つ一族がいたこともあり、多くの人々が売買され、能力を持つ一族は激減したとされている。



 そんなときに立ち上がったのがある一人の娘であった。

 彼女は北にある光輝の渓谷に物見や城郭を築き、そこから北の侵略軍を見張っていたのだ。


 多くの貴族は彼女の元に集い、そこで難を逃れた。



 しかし奪われた土地を奪還したい人々は、ただそこに住むだけではなかった。

 それぞれの能力を掛け合わせ、あるものを作り上げたのだ。


 力の海、知恵の天、永遠の石、そして命の草。水晶の輝きを放つそれは方々に羽を伸ばす天馬の様にも見え、戦火から人々と国を守ったという。



 その後彼の国は現在に至るまで繁栄の歴史を辿り、現在では天馬が国の守護神として信仰を集めている。


 これが彼の国の建国神話である。




(某国、某都市、某資料館一階A書架所蔵『天馬伝説から見る国家形成とその政治体制』)






 影が満月を覆い隠して、星の光だけがこの世界を照らす。

 いつもなら見えないような暗い星も今日なら見える。満点の星空だった。



「準備はよろしいですか」



 真っ白な真珠のドレスに身を包み、足元には雪のような靴が輝く。唇を淡く色づけて花模様の髪飾りをつけた私は、一見すると嫁入り前の娘のように見えた。


 けれど、残念ながら私が心を捧げる相手は人間ではない。



「それでは儀式を始めます」



 時が来るのはあっという間だった。


 髪を黒から元の白に戻した私は、ピンクゴールドの艶に彩られた瞼を瞬かせて高らかに宣言する。


 この儀式に進行役はいない。進めるのは乙女である私本人だ。



「殿下、グレース侯女、前に」



 軍がうまく過激派を抑制できているのか礼拝堂の中は不気味なほど静かで、私の声がよく反響した。



 私と違って真っ黒な服を着た二人が進むのは、天から光が降り注ぐ大きな水晶の前。


 キラキラと星の光を浴びて輝く石。青白く幻想的なそれがこの儀式の要。


 方々に伸びた結晶が翼のように見えることから天馬と呼ばれるようになった、これこそが人々の信仰する天馬の正体だ。



「光輝の侯爵家第二子、グレース。白金の天秤をここに」



 姉様が美しい天秤を天馬の前に置く。均衡の取れていたその天秤は天馬の前に置かれた瞬間に片側が落ちるように傾いてしまうが、これも含めて予定通りだ。



 というのも、この天秤は天馬の力に釣り合うものを捧げなければ決して釣り合うことはない。つまりそれを捧げることができなければ天馬の加護は得られないのだ。



「絢爛の王室、第一皇子。生命の花を捧げる」



 そして姉様が置いた天秤の軽い方に第一皇子がふっと息を吹きかけて、皿の上にひらひらと可憐な白の花弁が舞い降りた。


 王室の花は命の花。眉目秀麗な第一皇子だがその運命はやはり薄命だとされている。勿論ここで花を数枚出した程度で寿命が何年も縮まることはないけれど、短命な一族にとってこの儀式で命を少しでも捧げることは痛手だろう。



 役目を終えた二人がそれぞれ左右に移動し、天馬の前がにいるのは私だけになった。


 ……いよいよ心を捧げる時が来た。

 この皿の上に私の心を乗せれば天秤は釣り合って、私の心と殿下の花弁は光となり天馬の翼に宿る。



「フェアリーダイヤの乙女、エグランティーノ。私の心を捧げます」



 いつかグエンに見せたように胸元に手を当てる。


 眩い光がきらきらと集まり少しずつ大きな光となっていくのを、他人事のように眺めた。



 私の心は天馬に捧げるにはあまりにも人間の情欲を知りすぎてしまったのかもしれないけど、乙女に求められているのはその心だけ。


 ずっと心を温め続けたそれが大きく脈打って、眩い光を放つ。



 さようなら、私の心。




「私の心が覚悟の証です。どうか皆をお守りください」



 突然消えた光のあとには、桃色のダイヤモンドがちょこんと乗っている。


 これが私の心であり、情けであり、優しさであり、愛。


 それを嘘みたいにスッと冷えた心で口元に寄せて形式だけのキスを落とせば、その宝石はまるで生きているみたいに赤く脈打った。



 これを捧げれば全て終わる。過激派が来る前にさっさと終わらせてしまおう。



 桃色の小石を花弁の上に載せようと摘み上げた、正にそのとき。



「無礼者!この方をどなたと心得る!」

「おや、グレース侯女。お久しゅう」



 その声で過激派が礼拝堂内に入り込んできたことが分かった。


 あぁ、王立軍は突破されたのか。


 過激派は意外と士気が高いらしい。

 けれども必要以上の殺生はしないつもりなのか、殿下も姉様も拘束されてはいるが殺されてはいない。


 人が来る前に早く置いてしまおう。そうすればあとは私が捕らわれようと殺されようと、何の影響もなくなる。



「エグランティーノ殿!その手を退けていただきましょうか。でなければ皇子の命も姉上の命もありませんよ」



 二人が死ぬ?それはまずい。

 あの二人が死ぬことは国にとっても一大事だ……けど、二人のために手を止めれば儀式が失敗することは必至。


 二人の命と国家の守護など、天秤にかけるまでもない。



「チッ、利口な女だ……総員かかれ!水晶はくれぐれも壊さないように!」



 水晶に反射した背後の様子をちらりと窺う。

 兵士たちが走ってくるけど大丈夫、入り口からここまでに距離はある。


 兵士たちの顔はどれも見たことがないものばかりで、あの人は来なかったのかと内心首を傾げた。


 でもまあ儀式には関係ない。彼がどこでどうしていようと私と彼の人生が交わることは二度とないし、私の心が彼を欲することもあり得ない。



「あの阿婆擦れを馬鹿な男と同じところに連れて行ってやれ」



 雄叫びに紛れた床に何かが落ちる音に反射的に振り向けば、見覚えのある勲章が見るも無惨な姿で投げ捨てられていた。



 手のひらの中の玉心の雫が急激に冷えていくのを感じる。


 先に死んでしまった? 私と一緒にいたせいで?



「旅を共にした相手が死んだと聞いても表情も変えんとは冷たい女だ。やはりあの男は馬鹿だな!」



 その言葉に一瞬だけグエンの笑顔を思い出したけど。すぐに首を横に振った。


 最初から死ぬと分かってた相手だ、関係ない。動揺する心もないのだ、私は私の責務を全うすればいい。宝石が氷のように凍えていようと早く儀式を終わらせよう。早く、早く。




 そうして急いてしまったのがいけなかったのだろうか。




「落としたぞ!あれが儀式の宝石だ!」



 手元から滑り落ちた玉心の雫がカラカラと音を立てて水晶の奥に転がっていく。


 焦るな、石は割れてない。今から取りに行ってあの上に載せれば全てが終わる。



「その石を壊せ!粉々に砕いて山分けにしろ!その色のダイヤは高値で売れる。諸君らへの褒章だ!」



 辺境伯の檄に兵士たちの声が大きくなる。


 場の空気に飲まれるな、早く拾いに行くんだ。

 私の心なんてどうなってもいい。とにかく儀式さえなんとか終わらせなければ。



 足元にまとわりつくドレスに脚を取られながらも懸命に走り出す。



 大理石の上に転がる石はまるで私の都合なんて関係ないとでも言いたげに鈍く空の光を反射するのみ。


 でも、そんな私の心の都合だってこの儀式には関係ない。



 なんとしてでも儀式を成功させる。それが私の使命だから。

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