第19話
馬車に乗って2日目の夕方、私たちは葡萄畑で有名なとある村に泊まることになった。
「見てみんな!やっぱり都会から来る人はみんな素敵ねぇ」
「線の細い美少年と雄々しい男前……選べないわ」
酒場の若い女性のグエンへの黄色い声がよく聞こえる。
村唯一の食堂、というか酒場。
朝晩の寒暖差が激しいこの村ではワイン作りが盛んで、村の人々はみな水代わりにワインを飲んでいると聞く。
その噂通り村の人は男女問わず大人はワインを、子供は葡萄ジュースを飲むのが習慣なようで、私たちも一杯ずつワインを頼んだ。
「みんな意外と性別には気づかないもんなんだね」
「そうだよ、変なところ見て初見で見抜いたどっかの誰かさんがおかしいだけだから」
「ごめんって」
女性たちがサービスしてくれたらしいチーズをつまみながらワインに口をつける。成人してから何度か家でも飲んだことはあるけど、父や姉の好むワインはかなり渋くて私の口には合わなかった。
さて、このワインはどうかな。
「……うん、飲みやすい」
赤ワインなのに甘口で渋みが抑えられているおかげで、お酒に慣れていない私でもそこまで抵抗なく飲める。喉を通る熱さは度数通りの威力だけど、まるでデザートみたいな口当たりは今まで飲んだ中で一番私の口に合っていた。
ワインは値段よりも好みって言うけど、本当にその通りなんだな。
「肉食っていい?絶対合うよコレ」
「いいよ、僕も食べたい」
「すんませーん、この歓喜鶏とマロンのソテー一つ」
「はいよ!」
先に頼んでおいたピクルスを頬張りながら、食堂の中をぐるりと見渡す。
ほんのりと明るい店内にアルコールの匂い、畑仕事を終えた男性たちの大きな笑い声や女性たちの喋り声が酒場独特の雰囲気を出していた。
「あんまり飲み過ぎたらすぐに酔うから気をつけなよ」
「は〜い」
誰かがお金を払ったのか、アコーディオンの音も聞こえてきた。自分がそんなにお酒に強いわけじゃないのは知ってるから、飲むのはこの一杯だけにしておこう。
そう思ってちまちま肉を啄ばみ野菜を突き、グエンと楽しく話すこと1時間。
「だから言ったのに」
私はすっかり酔い潰れていた。
「らって〜、たのしかったんれすもん」
「ああいう飲みやすいやつに限って度数えげつないもんなの、ほら帰るよ」
困ったように私を担ごうとするグエンには悪いけど、もう脚に力が入らないから立つこともできない。
本当に楽しかったのだ。こんな場所に来るのなんて初めてだし、音楽も初めて聞くものばっかりで……
「らっこ〜」
「ラッコ?」
都にもそりゃ初めて見るものは沢山あった。でもやっぱり住んでいた街だと思うと他の街よりは気分も落ち着いていたし、そこまで興奮することはなかったのだ。
やっぱり街の外に出るのは楽しい。グエンもいるし、新しいことばっかだし、生きてるって感じがする。
「兄ちゃん!弟くんは抱っこしてくれって甘えてんだよ!」
「ガキ酔わせたんだからちゃんと寝かしつけてやれよ!ガハハハ!!」
「ああ、抱っこね……」
もう周りのおじさん達が何を言っているのかも分からない、眠くて眠くてしょうがなかった。
困った顔のグエンが私の脇に手を入れて、ふっと身体が持ち上がる。
「げぇん……」
「誰だよそれ」
あったかい身体に抱き上げられている。ああ、これグエンの肩だ。
「ほら、宿に戻るよ」
ゆらゆらと身体が揺れて心地よい。酒場を出ると一気に田舎特有の静寂が訪れて、冷たい空気が熱った頬を冷やしてくれた。
「あんまり外で飲まないこと。危ないからね」
「はぁ〜い!」
「飲みきれないときは俺に頂戴。飲めそうなら飲んだげるから」
「はぁ〜い!」
くふくふと笑いながら挙手をすると、呆れたように口元だけグエンが笑った。
大きな体の安定感とリズミカルな揺れにすっかり安心しきってしまった私は、その体温を感じながら心地の良い微睡に身を任せたのだった。
「はい、到着」
「ありがとうございました〜」
どさりとベッドにティーニャを落とす。その衝撃で目を覚ましたらしいティーニャは、まだまだ重い瞼をぱちぱちとゆっくり動かすと起き上がって礼を言ってきた。
少し寝たのと時間が経ったのでアルコールもちょっとは抜けたのか、酒場にいたときよりかは随分身体も動くようになっているらしい。
「眠いでしょ、今日はもうこのまま寝な」
いつもなら体を拭いたり服を明日着るものに替えたりしてから寝るけど、まぁ明日の朝やればいいだろう。
取り敢えず自分の身体だけ拭いとくかと手拭いと水を用意してシャツを脱いだところで、ベッドの上でティーニャがごそごそと動いていることに気づいた。
「私が拭きます!」
「吐かれたら困るから寝てて」
「運んでくれたお礼です」
随分と口は回るようになったらしいけど、まだ目がぐるぐると熱を持っている。厄介な酔っ払いだと無理やり寝ころばせようとするも、ジタバタと元気な手足はやる気満々らしい。
いつもの恥じらいはどこへ消えたのか、すっかりお転婆になってしまったティーニャは勢いよく起き上がると俺から濡れた手拭いをふんだくった。
「お背中流しますね〜」
「どこで覚えたのそれ……」
思ったより強い力で背中を擦られて少し痛い。
拭くなんて可愛いもんじゃないけど、それでも好きな子に自分から触られるものは嬉しいもので。
「痒いところありませんか〜」
「もうちょい右、あと少し、その上……そこそこ」
ヒリヒリと痛む肌を我慢しながら、不意に触れる手拭いを持っていない方の手にドキっと鼓動を早めた。
これなんかやらしくない?別に俺が無理やりさせてるわけじゃないけど、身体拭いてもらうってよく考えなくても俺の身体にティーニャが触れてるんだよな。
あんまり意識してしまうと頭がおかしくなりそうで、なんとか冷静になろうと歯を食いしばる。
……と、ふとティーニャが手を止めて俺の顔を覗き込んできた。
「ティーニャ?」
「ふふふ、グエン真っ赤」
「……悪い?」
ふにゃふにゃと無防備に笑う酔っ払った顔さえ可愛い。ヒリヒリと痛い背中の皮膚のおかげでなんとか変な気分にならないで済んでるけど、正直汗が止まらない。
惚れた方が負けなんだ、諦めるしかない。
さっきよりはしっかりした足取りで俺の前に立ったティーニャに思い切り胸も擦ってもらって煩悩ごと削ぎ落としてもらおうと姿勢を正す。
なのに、ティーニャのタチの悪さは俺の想像を遥かに超えていた。
「グエン大好き〜」
何を思ったのかティーニャは俺の胸に抱きつくと、むぎゅむぎゅと背に手を回して密着してきた。
待て、これはダメでしょ。俺上裸だし、ティーニャは酔っ払ってるし、これはよろしくない。
「あ、ティーニャ、身体拭いてくれないかな」
「後で拭きます〜」
「俺汚いから、離れて」
ティーニャが裸じゃないことがせめてもの救い……いやティーニャも裸だったら逆に行くところまで行けるからいいのか……
服越しとはいえ小さくて柔らかい身体が無遠慮に押し付けられて息が詰まりそうになる。
あ〜ダメダメ、まだ拭いてなくて汗臭いのに顔を擦り付けないで。俺の胸筋はベッドじゃないからね?
「ね、離れよう」
「やぁだ」
「ヤダじゃない」
ん〜可愛い!可愛いけど可愛いのがダメだ。流石にこんなにすぐ手を出す男にはなりたくない。
背中にギュッとしがみつく小さな手を引き剥がそうとするけど、あんまり強くすると折れてしまいそうで力を込められない。
「なんでダメなんですか?」
「……チューしたくなっちゃうから」
もうプライドなんてない。兎に角こんな流れで手を出したくなくて必死だった。
なのにティーニャはまた俺の気も知らないでぽやんと笑ってこう言ったのだ。
「チュー、してもいいですよ」
ダメに決まってんだろ!このお馬鹿!
もう何の拷問か分からなかった。戦場でもこんなに息を潜めたことなんてない。普通に息をしたら変質者みたいな呼吸になるのが分かってたから、必死で堪えた。
「グエン、だいすき」
でももうダメだ。耐えきれない。俺はよくやったよ、限界まで頑張った。
そうして誘われるままに身を屈めて唇に吸い寄せられた、はずだった。
「……おい」
「ぐぅ」
俺に抱きついたままずるずると床に落ちていくティーニャに急激に現実に引き戻される。
寝るの?そんなお決まりの展開本当にあんの?飲み過ぎだろ、これで明日全部忘れられてたらマジで困るんだけど。
とはいえ折角の初めてのキスを意識のない状態で済ませる訳にもいかない。
「はぁ……呑気なお嬢さんだよ」
ぐでんぐでんの身体をベッドに寝かせてやって、少し乾いた手拭いをもう一度濡らす。
摩擦の熱で熱い肌に、硬水の冷たさが突き刺さように染み渡った。
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