第17話

 朝。少し早い時間に目が覚めた俺は、先に支度を済ませてしまおうと静かに起き上がった。



 反対側のベッドではティーニャが昨日の睡眠不足を取り戻そうとスヤスヤと眠っている。



「……夢じゃないよな」




 昨晩ティーニャから想いを伝えられ、俺たちは無事旅を続けられることになった。


 腕の中の小さく柔らかい身体の感触、柔らかく香ってくる甘い匂い。未だに鮮明に思い出されるティーニャの温かさに寝起きの頭が急激に冴えていくのが分かった。仕方ない。あれは少し刺激的だった。



「んん……」



 小さな呻き声が聞こえて思わず動きが止まる。


 起こしたか?だとしたら申し訳ないし、何よりまだ身支度が済んでない。髭だって生えてるし寝癖も残ってる。

 今までは意識してこなかったことが妙に気になるようになっていた。


 どうやら寝返りを打っただけらしいティーニャにホッとして、物音を立てないように忍び足で支度を進める。


 先に寝癖を直して、髭はその後にしよう。見られときのダメージは髭の方がマシだし。



「……ん?」



 剃刀を出そうと荷物に手を突っ込んで、ふとあの装飾品店で買った髪飾りをまだ渡せていないことを思い出した。


 ……宿を出る前に渡してしまおう。外に出たらまた俺たちはグエンとティーニャとしてじゃなく、ウェインとグエンとして振る舞わないといけない。

 ティーニャがティーニャとして過ごせるときに渡すのが一番良いはずだ。






 そうして身支度を終えた頃、ティーニャが目を覚ました。



「おはようティーニャ」

「……おはようございます……」



 とろんと俺を見上げる榛色の目を見て朝の挨拶をすると、ティーニャも昨晩のことを思い出してきたのかあわあわと顔を隠してもう一度ベッドに逆戻りしてしまった。



「ハグくらいで何恥ずかしがってんの。これからもっとすごいことするかもしれないのに」

「す、すごいこと……?グエンは経験あるのかもしれないですけど、私は本当に初心者なんです!」

「俺だってないけど」



 その言葉に「え……?あれだけモテるって豪語してたのに?」とでも言いたげな顔でベッドから顔を上げたティーニャ。


 どうやら俺の苦労溢れる女性関係を知らないらしい。



「あのね、モテるって大変なの。俺騎士の位あるし、ちょっと顔見ただけで私に気があるんだわって思われるのなんてしょっちゅうなわけ。覚えのない赤子連れてこられないようにするので必死だよ」

「はぁ」

「そもそも俺は人と深い仲になるのがそんなに好きじゃない。下手に欲に負けて身を滅ぼすのなんて馬鹿らしいからね」

「……つまり、モテたけど交際経験がないってことですか」

「うるせ」



 当たり前じゃん、俺を何だと思ってたのティーニャは。男だって病気うつるし、自己防衛するのに必死なんだよ。言っとくけど男以外に触れたことなんて家族以外一度もないから。


 なのにティーニャは「初心者同士お揃いですね」なんて分かったのか分かってないのか若干ズレたことを言うから、頭をぐりぐりと押さえつけてやる。



「痛い!お揃いって言っただけなのに!」

「お子様なティーニャが悪い」



 お子様じゃないです!とプンスコと頬を膨らませてベッドから立ち上がったティーニャはフンフンと怒りながら身支度を進めていく。怒ってるのになぜか絶妙に面白い。



「私だってこの旅が終わったらちゃんと閨のことは教えてもらえるんです。人よりちょっと教えてもらうのが遅いだけで、別にお子様じゃありませんから」

「はーん」



 つまりお子様じゃん。


 揶揄ってやろうと思ったけど、顔を拭って口を濯ぎ終え髪に櫛を通しているティーニャを見て、今がチャンスだと懐に髪飾りを隠した。揶揄ってる場合じゃない!




「ティーニャ、俺に編ませてくれない?」

「いいですけど……変な悪戯はしないでくださいね」

「生意気」



 黒い髪の先をいつものように編んでやって、その上から真珠糸の花レースのヘアバンドを被せてやる。



「わわっ、何ですかこれ」

「いいから……はいできた。鏡見てごらん」



 頭巾のようにもヴェールのようにも見える髪飾りをつけると、どこからどう見ても女の子にしか見えなかった。


 まるで花嫁みたいだな。もしかして重い?と内心ドキドキしていたけど、鏡を見てパッと綻んだ笑顔に思わずこちらも笑顔になってしまった。



「すごい、かわいいです!こんなものどこで手に入れたんですか?」

「初日にティーニャが外から眺めてたお店。俺一人なら入っても目立たないし、良さげだったら教えてあげようと思ったんだけど、その……似合うと思ったから買っちゃった。趣味じゃなかったらごめん」

「趣味じゃないなんてそんな、むしろすっごく好きなデザインですよ!真珠糸かな、キラキラしててすごく綺麗……」



 小花や様々な花の刺繍があしらわれた真珠の光沢に目を輝かせるティーニャは想像してた以上に喜んでくれて、あげてよかったなと心の底から思った。


 うん、やっぱりすごく似合ってる。ティーニャは顔も可愛いから何でも似合うのかもしれないけど、それにしても可愛い。



 ……と思っていると、ふとティーニャの顔が赤いことに気づいた。



「あ、ありがとうございます……ちょっと褒めすぎな気もしますが」

「え、声に出してた?」



 林檎みたいな顔をこくんと縦に動かすティーニャにこちらまで赤面してしまう。


 え、俺ってこんな馬鹿なやつだった?

 思ってたのが無意識に声に出るとか初めてなんだけど……いや実は俺が気づいてないだけで言ってんのかな。

 どうしよう外でも同じようなこと言ってたら。



 まさかの自分の失態に冷や汗をかいていると、今度はティーニャが砂漠の月夜がデザインされた小箱を取り出した。



「あ、あの!私も用意してたんです、グエンへのプレゼント。本当は昨日渡そうと思ってたんですけど……」

「ハグしまくってたもんね」

「ウッ……」



 どんどん赤くなって頭から湯気を出しそうなティーニャの小さな手が俺に向けて小箱を開く。


 オリエンタルな匂いのする箱、その中に入っていたものに俺は腰を抜かしそうになった。



「ほ、宝石!?」

「はい、グエンの瞳みたいで綺麗だなって思って」

「こんな高価なもん受け取れないし!俺のあげたのと全然釣り合ってないから!」



 そう言って突っぱねようとしたけど、今度は顔を青くして泣きそうになっているティーニャにそんなことはできなかった。



「お、重いですか……?」

「いや、俺のあげたそれも大概だから重くは……でも高価すぎて申し訳ないっていうか」



 シンプルになんか釣り合ってないのが恥ずかしいというか……


 でもそれってつまらないただの俺のプライドだよな。


 ティーニャは俺のために選んでくれただけで、それがたまたま高価なものだった。俺だってティーニャのために髪飾りをあげたのはティーニャに似合うと思ったからだし、値段は違ってもどちらも込められた気持ちは一緒だ。



「高価すぎる……」



 分かりやすくしゅんと落ち込むティーニャの手にちょこんと乗った小箱、確かにその宝石は俺の瞳の色だった。可愛いじゃん、店でこれを見て俺の目と一緒だって思って買ってくれたなんて。



「取り乱してごめん。嬉しいよティーニャ、ありがとう」

「気を遣わないでください、グエンが欲しいものじゃなくて私があげたいものを買ってしまったから……返品して別のものを買ってきます」



 しまった、完全にしくじってしまった。


 世間知らずでダメですね、と頭を下げるティーニャの心を上向かせる方法を慌てて考える。返品なんてダメだ、折角俺のことを考えて選んでくれたプレゼントなのに俺がケチをつけたりしたから……



 完全に下を向いてしまったティーニャのつむじを見つめる。


 素直に言うしかない。



「本当に嬉しいんだよ、ただその……プレゼントなんて初めてもらったんだけど、自分のプレゼントがケチ臭く思えてさ。ティーニャにももっと高価なものをあげたらよかったなって焦っちゃって」

「グエンが選んでくれたら値段なんて関係ないです」

「それは俺もだよ。だからそれ、ちょうだい。ティーニャが俺のために選んでくれたんなら、それはもう俺のだし」



 不安そうに瞳を揺らしてティーニャが俺を見上げる。泣きそうなティーニャに罪悪感を覚えると同時に、その表情が自分を思ってのことだと思うと妙な高揚感に包まれた。


 泣きそうなのが可愛いなんて、キュートアグレッションってやつかもしれない。



「本当にこれでいいんですか?」

「それがいいの」



 それじゃあ……と漸く納得したらしいティーニャは、陽光のように煌めくその宝石に触れるだけのキスを落として俺にその小さな太陽を手渡した。



「ありがとうティーニャ、すごく嬉しい。一生持ち歩いて大事にするから」

「いえ、困った時には売ってくださいね」

「売るわけないだろ」



 まだ不安なのかと困っていると、下を向いているティーニャの口角がニヤリと上がっていることに気づいた。



「揶揄ったな?」

「仕返しです」

「こら」



 してやられた。意外とティーニャも意地悪が上手らしい。


 絶対に失くしたり落としたりしないように宝石を懐に入れて、鏡で二人身だしなみを確認する。



 さて、そろそろ準備をしないといけない。名残惜しいがティーニャのヘアバンドも外してやる。



「準備しよっか」

「そうですね」



 出発の時間まで、あと少しだった。

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