第4話

「ところで、あなたのことはなんて呼べばいいんですか?グエンなんて呼んだらバレちゃいますよね」



 そう言ってこちらを見据える少女、恐らくはどこかの貴族の令嬢であろうティーニャは落ち着いた黒髪を耳にかけて所在なげに指をいじいじと動かした。



「ウェイン、とかどう?」

「なるほど……それならまぁバレませんかね」

「勿論二人きりの時はグエンって呼んでいいよ」



 俺の言葉に表情をコロコロ変えて、林檎みたいに顔を赤くするティーニャは揶揄い甲斐がある。貴族の令嬢は皆そうだというけど、多分身内以外の男性と話したことなんて殆どないはずだ。


 正直現体制の庇護のもとで育った彼女にあまり良い印象はないけど、こうして揶揄うくらいなら許されるだろう。



 念の為、確認の意味も込めてヘーゼルナッツの瞳をじっと見つめる。



「?、なにかついてますか?」

「いや?」



 不思議そうに首を傾げるその瞳はどこからどう見ても榛色。彼女の瞳が桃色ではなかったことに内心安堵しつつ、そのままぼんやりと日の暮れていく薄紫色の空を眺める。



 俺が旅をする目的、それはフェアリーダイヤの乙女の暗殺だった。






「おい、グエナエル。除隊なんて正気か!」



 全ての始まりは5年前、南方の戦線で俺が英雄として騎士の位をもらった時のことだった。



 軍の同期のレイモンドとオイゲンを呼び出して俺が告げたのは、軍を辞めるという一言だった。


 信じられないとでも言いたげなオイゲンは真面目で国への忠義も厚い騎士中の騎士。一方で俺の発言に頷いたレイモンドは、俺と同じくこの戦争で現王政に不満を抱いていた。



「第一皇子のことだろ。僕も気持ちは分からないでもない」

「レイモンド!お前までなにを!」

「よく分かってるじゃん。正直今の王室は俺の肌には合わない。オイゲン、お前もこの戦争で思ったでしょ?」

「う……そ、それは」



 短く切り揃えた短髪を掻いてオイゲンが口籠る。


 この国には王室に加え、御三家と呼ばれる三つの有力貴族がいる。

 建国に携わったという四つの家は天馬から祝福を受け、東の爛漫の都を治める王家には華を、西の穀倉地帯である豊沃の平原を治める公爵家には天の星を、北の光輝の渓谷を治める侯爵家には宝石を、南の錦鱗の港を治める侯爵家には海の力を与えたと言われている。



 今では王室は内政全般を、光輝は国防を、錦鱗は外交を、豊沃は学術・産業を司るとされているが、実際のところ国を動かしているのは御三家であり、国民からの王室の支持は低下する一方だ。



「この戦争を勝利に導いたのは王室じゃあない。グレース侯女だ。それはみんな分かってるはずだよ」



 グレース侯女は光輝の侯爵家の第二子、女性の身でありながら第一線で指揮を取りこの戦の勝利に多大なる貢献をした。


 俺たちは新兵として比較的安全な場所にいたから彼女の姿は直接は見たことがない。だがそんな遠く離れた前線の噂話が本陣まで届くほど侯女は飛ぶ鳥を落とす勢いで無人島を次々に奪還していったのだ。



「グレース侯女が戦地で戦っている頃、第一皇子は何をしていた?強襲に遭って第一皇子は何をできた?俺たちが必死で戦う中、本人は震えてただけだったじゃん」

「だが、大将はそもそも前線に出るものでは……」

「作戦や補給は軍師任せ、指揮は侯女任せのお飾りのあの人はあの場所ではお荷物でしかなかった。グエナエルが不満なのはそこなんだろ」



 前線で陽動を行い迂回していた遊撃隊が本陣を奇襲したとき、俺は偶然伝令を任されて本陣にいた。


 皇子が平民は信用できないからという理由で貴族で固めた近衛兵は次々と倒され、残された俺は無我夢中で第一皇子を守った。槍が折れたら短剣で、短剣が折れたら本陣の木片で、時には死んだ敵兵から武器を奪って死力を尽くした。



 そうして血まみれになって最後の敵兵が瀕死の状態で地に膝をついたそのとき、俺の後ろで震えていた第一皇子はこう言ったのだ。



 王族を守るのに敵に情けを与えるな、早く殺せ、と。




「殺すのはまだ分かるよ、戦争だしあの人を守るのが俺の仕事だから。でもいくら戦争でもできたらトドメなんて刺したくないじゃん……戦略も立てられない、援護もできない、指揮もできないどころか戦えもしないあの人をなんで俺は手を汚してまで守ったんだろうって思っちゃったんだよね」




 戦争が終わって、第一皇子を守った功績を讃えられて俺は平民でありながら騎士の位を賜った。


 歩兵だったはずの俺はいつの間にか士官学校卒業後第一皇子の慧眼により平民から唯一取り立てられた近衛兵だなんて王室に都合のいい経歴を与えられて、報奨金だってたんまり貰った。でも、次も頑張ろうと思えはしなかった。



「だから二人には悪いけど俺、辞めるわ」




 結局二人はそのまま俺を引き止めることはせず、俺は任期が終わるのと同時に軍を辞めた。



 田舎に帰ることも考えたけど、出戻りをするのが気まずくてちまちまと傭兵業をしながら都でのんびりと小さな部屋を間借りして気ままに暮らしていた。たまに実家に金を送りはするけど帰りはしない、気楽なものだった。


 歳を取るにつれて身体も完成して、そこそこ良い体格になったおかげで用心棒のようなこともしたことがある。



 遠回りはしたけどこういう暮らしの方が向いてたのかもしれない、そう思って部屋に戻ったある日のことだった。




「ん?レイモンド、なんでこんなところに」

「グエナエル、やっと見つけたぞ!」



 美しかった金髪を短く切り揃えたレイモンドがうちの前にいた。随分と深刻な様子だったから部屋に入れてやると、レイモンドはぽつりぽつりと首を垂れて語り始めた。



「もうすぐ天馬の乙女の祭りがあることは知ってるだろう?」

「勿論」

「その祭りの阻止……もっと言えばフェアリーダイヤの乙女の暗殺を、頼みたいんだ」

「はぁ?!」



 危ない組織の勧誘かと思ったけど、どうにも違うらしい。


 曰く、こういうことだった。

 天馬の乙女の祭りは単なる祭りではなく、国全体に結界を張る儀式を兼ねている。これがあるからこそこの国は侵略はすれどされることはなく、今まで無事国家を維持してこれたというわけだ。


 しかしそれについて御三家以外の貴族たちの中で革新派と呼ばれる面々が、結界頼みでしか国を維持できない無能な王族がトップに立ち続けるのは国を衰退させることにしかならない、と声を上げているらしい。



「でもそれとなんとかかんとかの乙女と何の関係があるってわけ?」

「彼女に罪はない、でもフェアリーダイヤと天馬は現体制維持の要であり象徴だ。血統主義を厭う商家や組合、若者達は現在の御三家や王室を廃して、優秀な実力者を集めた新しい体制を作ろうと既に密かに活動を始めている」

「……要は、そこに俺も加われってこと?」

「そうだ」



 言いたいことは分かった。世間には俺と同じような思想を持っている人間が思ったより沢山いたらしい。国家転覆を企むかなり危ない活動ではあるけど共感はできた。



「でも別に御三家を廃する必要まではねぇんじゃねーの?」

「王室も含めて各家に祝福があることはグエナエルも知っているだろう。革新派は天馬の祝福それ自体を無くそうとしているんだ」



 レイモンドや革新派の言い分は正直かなり共感できる。先の戦争で活躍したグレース侯女のような優秀な人間も確かに貴族の中にはいるのだろうが、殆どは血筋と利害関係で何百年も癒着してきた中で甘い汁を吸おうと必死になっている。


 今の体制を覆したいという気持ちは、もしかすると今の民衆皆が心の奥底に抱いているものなのかもしれない。



「革新派って具体的に言うと誰がいるの?」

「都の商会、労働組合、婦人協会はほぼ全ての団体だな。貴族の中では辺境伯や外遊で国外で学ばれた子弟が主体となっているらしい」

「結構な規模じゃん。リーダーは辺境伯?」

「あぁ、そうだ。曰く、自領の警護に御三家の娘が来るのが不満なんだとか……まぁ、みんな今の生活にはもう耐えられないんだろう」



 脳裏に貧しい幼少期の景色が過ぎる。沢山いる下の兄弟や、子供を養うために必死で働く親の姿。みんなを楽にしてやりたくて報奨金を目当てに必死で戦った。



 そうして見たのが、あの第一皇子の姿だった。



「分かった。俺も参加する」



 気づけば俺は無意識にそう言っていた。国家転覆に加担するという自分の人生を左右する一大決心だけど、後悔はない。自分の心の声が出たようなものだったから。



「よかった、お前がいてくれると心強い」



 嬉しそうに破顔したレイモンドはその足で俺をメンバーのいるとある商人の屋敷に招いてくれた。城の中で一度見た有力貴族や国内最大手の商会の一族、そして志ある若者。そこにいる人は皆国を良くしようとする意思にあふれた人間ばかりで、久しぶりに俺は真剣に人と話をすることができた。



「それで標的なんだが……やはり暗殺は気乗りしないか」

「うーん……でもやるよ。娘一人を殺してこの国が変わるかもしれないなら。それに一番場慣れしてて、かつお前と違って革新派としての顔も割れてないのは俺でしょ?」

「嫌な役目を押し付けてすまない」



 レイモンドや貴族様に渡された標的の情報に目を通す。中肉中背、銀髪、祭り中は単独行動しかできない、乙女の瞳は代々ピンク色……割と目立つ見た目じゃないのコレ。



「こんなんその辺歩いてたらすぐ分かりそうだけど」

「流石にそれは無いだろう。忘れがちだが乙女はあのグレース侯女の妹だ。恐らく侯女から俺達の情報を仕入れている」

「グレース侯女、味方だと頼もしいけど敵になると怖いねぇ」

「同感だ。殺すのが彼女の身内でなければ是非味方になってほしかったんだが」



 恐らく瞳の色は変えられないから髪を染めて変装しているのだろう。確かにこの眩しい髪を隠されると、彼女を見つけるのはなかなかに至難の業だ。



「ねぇ、これ失敗したら俺死ぬ?」

「家族もろとも死ぬだろうな。それに僕や他のメンバーも死ぬ」

「だよねぇ……あ、騎士じゃないことにしたらどうだろ」

「実行犯のお前はどちらにせよ死ぬな。まぁ身元を隠して活動すれば、家族は助かる可能性が高い」



 それなら身元を隠した方が断然良い。とはいえ騎士がどこにいるのかについては、噂が立った方が仲間も行動しやすくなるし……そうだ、隠れ蓑を見つければいいんだ。


 騎士は祭りを見に乙女と同じルートで北に向かった。その現場で偶然身元不明の男が巫女を暗殺した。失敗してもただの男が一人処刑されるだけ。隠れ蓑にはそのまま騎士として都に戻ってもらえば俺の家族の安全は保障されたも同然ってわけだ。




 そうして味方から出来るだけ多くの情報を得たのが数日前。



 そして俺は乙女の出立の地である港町にやってきた。



 街を出るとしたら馬車に乗るだろうとあたりをつけて辻馬車に乗って待っていたときに拾ったのが、このチビっ子と言うわけだ。



「う〜ん」

「どうかしましたか?」

「いや……」



 男装をしているというのは一発で分かった。そもそも男と女では脂肪のつき方だけでなく骨格も違う。もしかするとこいつが乙女かと思ったけど、ありふれた榛色の瞳にただのお忍びかと落胆した。まあ、丁度いい隠れ蓑をゲットできてよかったんだけど。



「ティーニャ」

「もう、だからなんですか!」



 プンスコと怒るこの少女を殺さなくていいなら、それに越したことはない。

 今日一日目を使いすぎたせいかどうにも眠くて欠伸が出る。



「え、呼びかけといて寝るんですか」




 そんな呆れた声を聞きながらゆらゆらと馬車の揺れに身を任せて、俺はそっと目を閉じたのだった。

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