第18話「ひとり」
「行ってきます」
制服に身を包んで、家を出る。
学生の義務を怠るわけはいかない。
それに、来週から定期試験が始まる以上、これまで以上に授業に集中する必要がある。
ただ、普段から勉強はちゃんとしているし、よもや赤点になるということはないだろうけど。
それでも油断をしていたらおじいちゃんに怒られるから、気は抜かない。
「お、桃華ちゃん。おはよう」
「おはようございます」
「今日も頑張ってるねぇ」
「ええ、まぁ」
「その調子で頑張るんだぞー」
「あはは……はい、ありがとうございます」
「あ、桃華お姉ちゃん!」
「おはよう」
「ねーねー、一体いつになったら戦ってくれるのさ」
「そのうちね」
「またでたよ。お姉ちゃんの『そのうち』!」
「そ、そう?」
「最近そればっかだよ!」
「そうかな……」
「そうだよ!」
「はいはい、わかったわかった。でもその話はまた後でね。じゃないと、置いてかれちゃうよ?」
「あっ、やばっ!」
「ちゃんと勉強もするんだよ?」
「はぁい」
そうして彼の背中を見送る。
「エンも同じようにしてるのかな?」
ふと、そんな疑問が浮かんでくる。
彼がもしNPCでなかったら、今の子みたいに誰かと一緒に勉強したり、遊んだりしているのだろうか?
「っと、私も急がないと」
駅に続く道を急ぐ。人に注意をしておいて自分が遅刻したら目も当てられない。
そうしていつも通りの時間の電車に乗って、しばらく揺られる。
「…………」
一駅、また一駅と過ぎていくにつれて、同じ制服を着た学園生の数が増えていく。
やがて電車が学園生で満員になる頃に、ようやく最寄り駅に到着。
電車を降りて、人の波に紛れて学園へと歩いていく。
「……あれだよね」
「なんでこの時間なんだ……」
「近づかない方がいいって」
周囲からの視線を感じる。
「…………はぁ」
その視線を感じるたびに、ちょっとずつ足取りを早くする。
本当に、嫌になる。
どうせなら空気扱いされる方がまだマシだ。
でも、みんな必要以上に私のことを注視――警戒してくる。
(はぁ……)
その度に心の中でも溜息を吐く。
みんなが警戒していること。できるはずも、するはずもないというのに。
でもこれは仕方ないこと。これは私が背負うべきもの。
しかし。
「……鬱陶しい」
それが煩わしいものであることには、変わりない。
視線から逃れるために、一刻も早く学園にたどり着くために、もう一段、足を速めた。
*
「つまりここはさっき教えた解法を応用して……」
一度授業が始まってしまえば、さっきまでの視線はなくなる。
特に来週から試験が始まるということもあって、黒板への集中の方が遥かに勝る。
「…………」
私もその内の一人……ではなく。
(あの時……)
頭の中では、柱状節理との戦いの反省会を繰り広げていた。
(あの人たちを、もっと有用に動かす手があったんじゃないかな?)
正直、私は用兵学には疎いところがある。
どこまでも戦場の人で、大軍を動かす将というのは肌に合わない。
それに彼らの特性も、人となりさえも分からないのだから、指揮を取れるはずもない。
つまるところ、あの場の用兵に文句をつけることはできない。
なら反省するべきは、やはり私自身のことに帰結する。
(……やっぱり、危機察知が遅いよね)
あのレーザーの雨の中、ブラインドに焼かれそうになった。
昔の私だったら、避けることもできなかったかもしれないけれど。
それでも、まだまだ精度が足りていない。
(それに、早さも取り戻さないと)
早さとは、例えば陸上の選手が目指す速さとは違う。
いかに相手の先を読んで、動き出すか。
今回の戦いで、改めてはっきりした。やはり、戦いの勘が鈍っていると。
それは実戦から数か月間離れていた弊害だ。一刻も早く、勘を取り戻さないと……。
「——おいっ、新島!」
「っ!?」
私を呼ぶ声に顔を上げて、周囲を見渡す。
「あ、れ……?」
そこはいつもの教室で、いつもの数学の授業。
「しまった……」
こういう反省会や、シミュレーションをしていると、映像が具体的に視覚に見えて、それ以外の景色が消える。
集中できている証拠だけど、それをやるべきタイミングを誤った。
「お前……」
改めて正面を向くと、若干引き気味の数学の担任の先生がいた。
(……失敗したな)
戦いの記憶に若干入り込みすぎて、視線や表情に鋭さが残っていたかもしれない。
「「「「…………」」」」
クラスメイトたちも、似たような反応をしている。
「その問題を答えればいいですか?」
「あ、あぁ……」
怯える目線を無視して、黒板を見て授業の進行状況を確認する。
「ヒッ……」
「こわ……」
ゆっくりと立ち上がるだけで、そんな声が周囲から漏れ出す。
「これでいいですか?」
「あぁ……正解だ……」
彼らの反応をすべて無視しつつ黒板に答えを記載して、踵を返して自席に戻る。
「…………」
さっきまでの視線は、困惑に変化する。
私は気にしていない、その事実を見せつけさえすれば、何の実害もない。
「と、とりあえず再開するが、今新島が解いたように……」
先生も我に返って、授業を再開する。
(反省はいったん、胸に仕舞っておかないと)
授業に集中できていなかったのは良くない。
小さく息を吐いて、改めて黒板に集中を向けた。
*
「……ごちそうさまでした」
持ってきたお弁当を、いつもの場所で食べ終える。
「はぁ……失敗した」
さっきは授業に集中していないどころか、戦いの空気まで持ち込んでしまった。
そんなことを続けていたら、警戒されて当然か。
別に今更弁明しようとか、誤解を解こうとか思わないけど。
「……これだったら、まだ向こうにいるほうが楽しいかも」
この煩わしさに比べたら、まだ向こうで戦っている時の方が————
「何言ってるの、私」
そんなのは、ただの逃避だ。
私が生きているのは、今この場所。捨てることなんて、できるはずないのに。
「……でも、そんなことを自然と口にするなんて」
変わった、と言うべきなのだろうか。
前の私なら、たかだがゲームと思っていたけれど。
今では、あのゲームはもう一つの戦場になりつつある。
『心を赦せる何かを見つけるように』
おじいちゃんに言われた言葉。
私に取ってその何かは、あのゲームなのかもしれない。
もっとも、あそこにいると心が休まるどころか、返って悩みが増えてるような気がするけど。
でも、そんな風に考える時間が生まれたのも、あのゲームに心を赦してるからだろうか。
「だとしたら、お父さんとエンに感謝しなくちゃ」
あのゲームを教えてくれたお父さんと、あのゲームで私を導いてくれたエン。
いつか二人にお礼を。折角なら、二人が揃っているタイミングで。
「……桃華」
「っ————」
私を呼ぶ声に、顔を向ける。
「……かぐや」
「うん」
そこに居たのは、下島かぐや。
中学生の頃から仲の良かった友達。
中学三年間と、去年も同じクラスだったから、よく話をしたりもした。
残念ながら今年はクラスが違って、その上私のこともあって、しばらく疎遠になっていた。
でもショートヘアーにトレードマークと自分で言っている左側のヘアピンは、相変わらず変わらない。
「えっと……久しぶり?」
「そう、だね……」
友達同士でも、嫌に緊張が走る。
普通に話せばいいはずなのに、それが出来ない。
「元気?」
「う、うん。まずまず、かな? かぐやは?」
「私もまずまず、かな?」
「そっか……」
「うん……」
やっぱり、会話が続かない。
どんな会話をすればいいのか、頭に浮かんでこない。
「あの……あのね、桃華」
「な、なに……?」
「実は……その、ね」
「うん……」
「今度、みんなで一緒に遊ぼうって話があって。桃華も、どうかなって、思って」
「遊ぶ……?」
「うん。だから桃華も一緒にどうかなって……」
「遠慮する」
「え……?」
ピシャリと断ったことで、かぐやの顔に曇りが指す。
「私が居ても、空気を壊すだけだから。かぐやだって、分かるでしょ?」
「そ、れは……。でもいつまでもこのままじゃ……」
「それは私自身の問題。かぐやが心配する必要なんてないんだよ」
「でも……」
「私はもう進んでいる。周りに目をくれる必要なんてないから」
そう、進んでいる。短い距離ではあるけれど、確実に。
「だから、私は大丈夫。でも、心配してくれてありがとう」
「桃華……」
「それじゃあね」
「…………」
その場を後にする。
かぐやもそれ以上、私に声をかけてくることはなかった。
これでいい。
彼女の前には無限に広がる道がある。
でも私には、剣を極めるための一本の道があるのみ。
その道が、交差することはあっても一本に交わることはない。
彼女たちと私とでは、生き方が違いすぎるのだから。
私に付き合って自分の道を閉ざすことはないし、私がそんなことをさせるわけにもいかないのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます