山寺の岩 第2話

 さて、皆様は円堂に足をお運びいただいたことがございますでしょうか。本寺自体があまり大きな寺院ではございませんので、円堂も同様、こぢんまりと境内の西方に位置しております。円堂は半分森の中にあるようなものですので、こちらにいらっしゃる方を私はあまり見ませんが、立ち入りを禁じているわけではございませんのでもしかすると見学されたことがあるという方もいらっしゃるやもわかりません。

 円堂というものは、円と名がついておりますが八角形をしており、八角円堂と呼称するのが正式でございます。この建物の機能については仏塔あるいは供養堂でございまして、概ねそのお寺に深く関わる人物の供養のため使われております。本寺の円堂もそのように供養を目的としており、鎌倉時代から室町時代に本寺の住職をお勤めになっておりました条眼和尚という仏僧が供養されております。円堂には故人ゆかりの仏像を安置するのが通例でございまして、この円堂にも一座の弥勒如来坐像が置かれております。大変安らかなほほ笑みを浮かべた弥勒坐像でございまして、言葉に表すにはあまりに難しい、人を引き付ける得も言えぬ魅力のある仏像でございます。

 ですが、この円堂の中を見渡しますと、少し奇妙な状態であることに気が付きます。本来円堂に置かれる仏像というものは、円堂の中心、もしくは入って少し奥にございます。これは仏尊を拝む為の諸々物品が手前に置かれるためです。しかしこちらの弥勒坐像は円堂の手前側にいらっしゃることがわかります。そしてその奥、本来この像が置かれるはずであった場所には、円堂の屋根にも届かんばかりの大きさがある岩があるのです。

 この岩の下には床はありません。まるでこの岩を避けるように床板が貼られており、おそらくこの岩がまずあり、それを取り囲むようにこの円堂を建設したのでしょう。そしてよく観察いたしますと、この岩はどこか他の場所から動かされたということが見て取れます。といいますのも、岩の底面、その縁に引きずったときについたであろう溝のようなものが、細くいくつも並んで同じ方向についております。そして岩の置かれた地面を、こちらもまた注意深く観察いたしますと、岩が山の方から引きずられたということがわかる痕跡がございます。土が岩と同じ幅だけ、すこし凹んでいるのです。それはまるで道のようで、岩がこの場所までズリズリと動いたようにも見えます。残念ながら、円堂の外にはもう溝は残っておりません。もう何百年も昔のことでしょうから、円堂内部にある程度の痕跡があるだけでも奇跡的だと言ってよろしいのではないでしょうか。


 岩がどこからやってきたのかということはさておきまして、次にこの岩自体をよく観察いたしますと、また新たな発見をすることができます。「視力の悪い人にしか見えない文字」というようなだまし絵がございますね。私も近頃老眼が出てまいりまして、残念ながらあの手のトリックアートを楽しめるようになってしまいました。しかし、あのだまし絵は、実は目の良い方でも楽しむことができるのです。その方法とは、絵を少し遠くに離して、目を細めるとだんだん見えるようになる、というものです。「群盲象を評す」というインド発祥の寓話がございます。これは『数人の盲人がそれぞれゾウの鼻や牙など別々の一部分だけを触り、その感想について語り合うが、触った部位により感想が異なり、象の全体を知ることができない』というものです。これは盲人ですので少しニュアンスが異なりますが、物事の全体を知るためには、少し引いて見ることが大事だという教訓にも取ることができます。

 さて、この教訓を活かして一歩後ろに下がり、岩の表面を見てみますと、なにやら不思議なものが見えてきます。まるで人の顔のような、怒りの表情の様子がぼんやりと見えるのです。

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