聶史

@Nabeshima_Goshaku

序章

前書き

歴史とは、明確にされた経験である。 ジェームズ・ラッセル・ローウェル



 歴史の中を生きている。そう感じながら日々を過ごしている者は少ないだろう。


 毎日、朝が来ればただ目覚め、ただ働き、ただ食し、ただ眠る。何も考えることはなく、普段通り、日常を送る。全ては惰性。かつては熱量があったのかも知れない、もしくは他人に流されたか、そのどちらか。共通していることは、その始動においては勢いがあったということだろう。そしてもう一つ、今はもうないということだ。

 賢いヒト、ホモ・サピエンス。知恵を持った猿。または、神の似姿として造られ、いのちを吹き込まれ、そして罪によって失った者、アダムの子孫。ヒトの発生について、もしくは世界の成り立ちについて、あなたがどのように思っていても構わない。そんなことはどうでもいい。つまり私の言わんとするところは、我々は愚かだということだ。「逆立ちしたって人間は神様にはなれないからな」これは機動戦士ガンダムに登場するキャラクター、カイ・シデンのセリフだ。的を得ているだろう。どんなに知恵を手に入れ、科学を発展させても、結局のところヒトは知恵のある猿でしか無く、全く以て愚かだ。

 ではなぜ、我々人類は神になり得ないのか。全知全能をここまで近くに見ながら、手が届かないのか。その答えははるか数千年昔に出ている。視野が狭いのだ。概ね、この手の命題にはイカロスのイメージがついて回る。ギリシア神話の人物であり、塔に幽閉されていた彼は蜜蝋で固めた翼によって自由自在に飛翔する能力を得て脱出を試みるが、太陽に接近し過ぎたことで蝋が溶けて翼がなくなり、墜落して死を迎えた。この物語から得られる教訓はこのようなものがほとんどだろう。「神に近づけたからといって、傲ってはならない」。だが、私の思う教訓は違う。「傲り」は確かに一つの大きなテーマだ。しかしもっと重要な点がある。現代を生きる我々だからこそ得ることができる教訓が、そこにはあるのだ。

 考えてみてほしい、イカロスは本当に神に近づけたのだろうか。蜜蝋で固めた翼によって飛翔するのであれば、高度はどんなに高く見積もっても8000m、これはアネハヅルという鳥の飛行高度だ。これに対して太陽が位置するのは高度(恒星に対しては「高度」というより「星間距離」といったほうが正しいのだろうが)約1兆4960億mだ。この数字を見れば、イカロスがどれほど神から遠い位置で飛行していたかがわかるだろう。地上にいても空を飛んでもほとんど差異はないのだ。誤差の範囲と言えよう。神話に対してこのような理屈をぶつけるのはいささか乱暴なのかもしれないが、私の真意はそこではない。

 重要な点は、「なぜ人々は『イカロスが神に近づいた』と思ったのか」ということだ。それは、俯瞰することができなかったからに違いない。彼らは遠く離れた全体を見通す観測地点を持つことをしなかった。視点を自分の中にしか持たず、視野が狭かった。だからこそ彼らは地上からイカロスを見上げ、はるか天空を舞う彼を見て「神に近づいた」と錯覚したのだ。


 愚かであることは、しばしば悪しきこと、正すべきことと直結して考えられてしまう。だが、愚かさを必ずしも矯正すべきだという理屈はない。愚かでありたいのなら愚かなままで

いれば良い。愚かであっても困らないのなら正す理由はひとつもない。

 ただ、我々人類が愚かであること自体は認めなくてはならない。あまりに愚かさの度が過ぎて、自らの愚かさに気がつくことができない、それだけは避けなくてはならない。なぜなら、我々の「愚か」という性質こそ、我々の惰性的日常を生み出しているからだ。

 先述した通り、人の愚かさとは視野の狭さだと私は考えている。すぐに忘却する癖と言い換えても良いかも知れない。つまり、空間的にも、時間的にも、「今、この場所」しかみえていないのだ。するとどうなるか。宇宙全体で考えることができない、時間全体で考えることができない。いつか持っていたあの熱く滾る熱意の炎を、いつの間にかどこかに置き忘れてしまっている。ただボートは進んでいるのだ。もう漕いではいないが、それでも慣性で動き続けているのだ。もしくは、進み続ける列車のように。なぜ乗ったのか、どこに向かっているのかはもう覚えていない。しかし、確かにいつの日か、自分の足で乗り込んだのだ。いつの間にかポケットに入っていた切符には、たしかに鋏が入っているのだ。


 「歴史とは、明確にされた経験である。」これはローウェルの言葉だ。ひとつずつ紐解いていこう。

 経験。経験とは。それは今このとき、この場所、この事である。ペンを紙の上で滑らせる感覚、頬に当たる涼しい風、少し眩しい昼下がりの曇り空。あなたが今見ているもの、感じていること。ただ何も考えること無く積み重ねる日常も経験にほかならない。そのすべてが経験であり、それらが積み重なることで歴史は構築される。それはまるで巨大な筒状の金型に流し込まれたコンクリートの塔のように、ずっしりと濃密に要素が積み込まれ、何かを挟み込むようなことは全く不可能だ。すり抜けることも、倒すこともできない。そこに確かに存在している。では明確にされた、とはなんだろう。明確にされた経験が歴史である

ならば、明確にされてない経験が存在するはずだ。それは彼の言う歴史ではない。

 私は自分なりに歴史というものへのイメージを持っている。それは概ねローウェルの提唱したものと同じだと言えるだろう。歴史の全体像は巨大な塔だ。先述したような、重く、濃密で、存在感のある塔。そこに「記録」というスポットライトを当てる。照明係はその時代の勝者たち。彼らによって照らされ、明確になった塔の一部分、それこそがいわゆる「歴史」というものだ。


 つまり、我々が歴史と呼ぶものは、実際に積み上げられた歴史のほんの一部分でしかない。それも、恣意的に選択された一部分。それだけを見ていても歴史のすべてを知ることはできない。だが、それで良いのだ。結局のところ人間は画像的に、もしくは表面的にしか物事を捉えられない。もし歴史全体に光を当てたとしても、我々は自分の見たい方向からそれを見、恣意的に解釈するだろう。それはもう目も当てられないほど利己的に、都合よく解釈するのだ。それが人間という生き物だ。

 私が思うことはもう少し細やかな、一つ一つの部分に対しての着目。スポットライトが当たった歴史と、暗闇に潜む経験。注目すべきはその構成要素。どちらもひとつの物体を違う方面から見ているに過ぎない。つまり、それらは「人間の経験」が積み上がったひとつの塔なのだ。2つの歴史があるわけではない、1つの巨大なものを見ているのだ。

 「歴史にはロマンがある」というセリフを度々耳にする。本能寺の変における明智光秀の心境に焦点を当て、その激情に思いを馳せるのも良いだろう。もし人類が絶滅したら、そんな起こりうる歴史を妄想するのも楽しかろう。ただそれは、明確にされた経験としての歴史。

 私はスポットライトが当たらない歴史にこそロマンを感じる。記録に残らない歴史。忘れ去られた歴史。誰も知らない歴史。それはもう知り得ない。誰の記憶にも残っていない。それらは何もかもが土となってしまった。神のみぞ知る、そんな歴史。その歴史は表面的な「歴史」と同じだけの濃度を持ち、同じだけの浪漫があり、同じように輝きを放っている。おそらく私も、そんな歴史の中のひとりになるのだろう。ほとんどはそうだ。どの出来事も、どの人物も忘れ去られる。未来永劫、私が彼の顔を見ることはない。だが、彼にもあったはずなのだ。熱意が、想いが、感情が。名も知れぬ彼も、まるで羽が生えたように浮足立ち、飛び跳ねるほどに喜んだはずなのだ。火山の岩さえ煮えたぎる火口のようにふつふつと、こめかみに血管を浮かべながら怒ったはずなのだ。心がぐしゃぐしゃに裂かれてしまうように感じ、膝をついて顔中に涙を流しながら哀しんだはずなのだ。自分でも気が付かないうちに笑みがこぼれるような幸せを楽しんだはずなのだ。それは時間という長い巻物の中では目にも見えぬようなほんの僅かな、たった一瞬のことだったのかも知れない。だが確かに、光った。


 その熱意、その情動。その輝きに私は美しさを見出している。その輝きにこそ人間の、歴史の、宇宙のすばらしさがある。一瞬のうちに消えてしまうとしても、まばゆく光るその輝きを、私はそれを皆様にお見せしたいと思う。


 最後に、作品名「𦻙史」の由来について書き記す。「もののけ姫」という映像作品をご存知だろうか。これは私の敬愛する作家、宮崎駿氏の作品であり、この作品には隠された原題がある。それが「アシタカ𦻙記」である。「𦻙記」は「せっき」と読み、「草に埋もれながら人の耳から耳へと語り継がれていく物語」を意味する宮崎監督の造語だ。私はここから一字を借り、「草に埋もれながら人の耳から耳へと語り継がれていく歴史」として「𦻙史」という言葉を造った。どうかこの歴史が埋もれないよう。忘れ去られないよう。それでいて、誰も知らない密かな場所に、気高く厳かにあることを切に願う。

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