35:狼の首輪の先はどこへ


「なんだ、ラティ。また泣くのか?」


 しかし、僕の心配など余所に、クツクツとケインは楽しそうに笑ってみせます。


「ケイン、笑いごとじゃないよ!いっつも、こんな傷を作って……」

「こんな傷、大した事ない」

「大した事あるよ!」



 そう、僕はラティ。ただのラティです。

 一年前、敵国バーグから無事に母国であるスピルに帰還する事が出来ました。と言っても、帰還する際に気を失っていた僕は何も覚えていません。


 気付いた時には、僕はケインの部屋で目を覚ましました。最初は天国かと思ったのですが、僕はまだ死んでいません。ケインによると、戦争は一時休戦になったと聞かされました。あぁ、良かった。

 そう、思っていたのに。


「ケイン、お願いだから危ない事はしないで」


 また、バーグとの戦争が始まってしまったなんて。

 そういえば、最近妙にケインの体に傷が増えていると思いました。ここ一年くらいの間は、ケインの体も綺麗なモノだったのに。幸せな時間というのは、いつもひと時の夢のように終わってしまいます。


「……ケイン。もし必要なら、すぐに僕を人質にでも何でも使うんだよ」

「は?」


 ケインの呆けた顔に、僕は首輪に繋がれた鎖にソッと触れました。そう、こういう時の為に、ケインは僕に鎖を付けている筈なのです。必要になった時に、また王族のコマとして僕を使えるように。逃げないように。


 その役割があるからこそ、僕はこうしてケインの傍に置いて貰えている。僕はちゃんと自分の役割を弁えています。僕はケインの揺れる瞳を見つめながら「僕、ちゃんと分かってるよ」と伝えます。


「僕、体はこんなだけど、一応王族だしまだ使えると思う。陛下やフルスタは何て?」

「……ラティ」


 けれど、そんな僕にケインの表情は更に歪みます。先程まで嬉しそうに微笑んでいたのに。ケインは一体どうしてしまったのでしょう。


「ぁっ!」


 その顔に、僕はようやく気付きました。まったく僕ときたら!フルスタはケインの仕える相手。次期国王陛下です。きちんと弁えた呼び方をしなくてはなりませんでした。


「あ、いや……そうだ。彼は次期国王なのだから呼び捨てはいけなかったね。えっと、フルスタ様は何ておっしゃってるの?まだ人質は必要ないって?」

「っ!」


 しかし、僕がどう弁えてもケインの表情から眉間の皺が取れる事はありません。むしろ、更に深くなるばかり。どういうワケか、その瞳には深い後悔のようなモノが見え隠れしているように見えます。


「……ラティ、もう人質になんて行かなくていい。そんなに酷くはならないだろうから」

「そうなの?」

「あぁ、そうだよ」


 ケインは僕の鎖に触れながら、苦し気に言いました。シャラシャラとケインの手の中で音を奏でる鎖の音が、妙な存在感を持って部屋に響きます。


「ほんとうに?」

「本当だ」


 ジッとケインの瞳を見つめます。確かに、大きな戦争となれば、こんなに毎日僕の所になど来れないでしょう。どうやら、今の所は安心してよさそうです。僕がホッとしていると、それまで眉間に皺を寄せていたケインが、俺の頬に触れました。


「ラティ。もうそんな話は良いだろ?」

「そんな話って……」

「なぁ、傷が痛いんだよ。口の中も切ったみたいなんだ」


 そう言うと、ケインは口元の傷を僕に差し出してきました。その、どこか甘えたような仕草に、僕は思わず笑ってしまいました。こうしてケインが僕に“役割”を与えてくれると、僕はとてもホッとしてしまいます。


「舐めて」

「ん」


 今や僕がケインに出来るのはコレだけ。そう、この治療だけなのです。

 僕はケインの口元にある傷に、いつものように舌を這わせます。ペロペロと音を立てて傷を舐める僕の舌に、ヌルリとケインの舌が巻き付いていました。


「っふ、っぁん……んぁ」


 僕がケインの傷を舐める筈が、今や僕の舌がケインによって音を立てて吸われています。唇の端から、飲み込みきれなかった唾液が零れ落ちそうになると、それごと吸い上げるように口の中へと深く入り込まれました。


「っふぁ……っはぁ、っふ……っぁ!」


 気付けば、僕はケインにベッドの中に押し倒されていました。ここからはいつもの流れ。僕とケインは夢中で互いの舌を吸い、最後には、体の傷を舐め合います。


「っはぁ、けいんっ……んっ、っはあ」

「ラティッ……っは」


 もう消える事などない互いの傷痕に舌を這わせ。ただただ、貪るように体を重ね合います。傷の舐め合いはとても気持ちが良く、その熱は、僕のナカに空いた穴をピタリと埋めてくれる。あぁ、とても。とても気持ちが良い。


 そう思った時でした。僕の首筋の傷を舐めていたケインが吐き出すように言います。


「は、ぁ。ラティ、ラティ……愛してる。だから、もう……勝手にどこへも行かないでくれ」

「っぁ」


 耳元で囁かれた、その狼の唸り声のような声に、思わず背筋がヒクンと跳ねました。同時に、首に繋がれた鎖がシャラリと音を立てます。


「ぁ、あ……けいん。僕も……ぼくもっ」


 視界が歪み、キラキラと光っていたケインの金色の髪が、更に星のように光りました。あぁ、やっぱりケインは綺麗。本当に、お星様みたい。

 僕はそのままケインの首に腕を回すと、必死に自らの体の奥深くへと誘いました。この腕が、ケインを縛る首輪になればいいと、切に願いながら。



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 親愛なる、ケイン。

 僕はもう日記を書きません。これからは、全てキミに直接伝えていく事にします。だから……自問自答はもう終わりにします。

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 大国スピルには、一匹の狼が居ます。王の手綱すら食いちぎったその狼は、自らに仇なす者を全て食い尽くし、武力と恐怖で全てを圧倒していきました。今やスピルは王政国家ではありません。狼に統治された独裁国家です。


 故に、人々は知る由もありません。その狼に首輪が付けられている事を。たった一人の人間によって、見事に飼い殺されている事を。


 その狼に首輪を付けている当の本人すら、知る由もありません。







おわり

次頁:あとがき

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