31:親愛なるケイン(5)

「っん……ンンっ、ちゅっ」


 ピチャピチャと音を立てて、俺の肌を愛おしそうに舐めるラティ。

 あぁぁぁっ!こんなに俺だけを求めてくるヤツが、他に居るか?いや、居ない!だって、ラティは俺がクヌート家の嫡男だから、俺を求めているワケではない。ラティは、ただの“ケイン”を求めているのだ!


「んッ……っふ、っん。っはぁ、ぅ」


 腹部の傷にラティの小さな舌が触れる。同時に、鼻にかかったような甘えた声と鼻息が、俺の腹部を通り過ぎていく。

 あぁ、ゾクゾクする。本当に気持ちが良い。幼いながらに疼く下半身を、俺は本能的にラティの体に押し付けた。すると、俺の体が密着するのが嬉しいのか、ラティも更に俺の体に擦り寄ってくる。堪らない、堪らない、堪らない!


「……っはぁ、ラティ。こっちも」

「ん。わかったぁ……どこ?」

「早く!こっち!」


 急く気持ちに、俺はラティの顎を掴んで傷口の前へと無理やり連れて行った。


「んぐぅ」

「おい、早く舐めろよ」

「っぁい」


 とんでもない事をしている自覚はある。相手は王太子だ。その王太子に、俺は体の傷を舐めさせている。しかも毎日、毎日。体の至る所を。尊い存在である筈のラティに。こんなの、他の奴らに見られたら打ち首モノだ。


 でも、止められない。むしろ、そう思えば思う程、体を纏う熱は更に体温を上げていく。


「っん、っぅ……ちゅっ、ッン」

「っはぁ……ぁ」


 ラティの柔らかい舌の感触に、思わず声が漏れる。懸命に俺の痛みを慰めようとするラティの姿に、俺はいつの間にかラティの背中や髪の毛に手を回すようになっていた。尊い存在のラティの体に、俺は無遠慮に触れる。


「っはぁ、けいん……」


 すると、ラティの体が俺に密着し、同時にラティの口からは喜びの声が漏れる。俺の首筋に出来た傷を舐め終えたラティの顔が、頬を赤らめ潤んだ瞳で此方を見上げてくる。やっぱり、ラティの目には、俺しか映っていない。


「ねぇ、ケイン。これは……?」

「あ、あぁ。コレか」


 ラティは俺の口元に付いた傷口に首を傾げた。それはどう見ても鞭で受けた傷では無かった。


「これは……今日、父上に」

「な、殴られたの?」

「まぁ、いつもの事だ」


 そう、いつもの事だ。訓練で下手をこくと殴られる。これは当たり前の事で、その拳の痛みがあるからこそ、俺はあの父を前にすると緊張して呼吸が浅くなってしまうのだ。すると、いつの間にか俺の顔をラティの柔らかい手がソッと包み込んでいた。


「ケイン、僕はね……ダメな王子だから。誰かの為には頑張れないの」

「……なんだよ、急に」

「聞いて」


 急に、ラティが俺の目をジッと見ながら語りかけてくる。何を言いたいのだろうか。ラティはたまに、突拍子もない事を口にするので、俺でも理解が及ばない事が多々ある。


「顔も知らない“国民”って人達の為や、好きでもない人の為には頑張れない」


 あぁ、確かウィップにそんな事が書いてあった。俺は、いつか見たウィップに書かれていたラティの言葉を思い出した。


「僕は僕の為にしか頑張れないよ」と。

 そう、ラティは大人しそうに見えて、意外と太い所がある。そして、何も分かっていないのではなく、全てを分かった上で、ラティは拒否しているのだ。


「ケインのお腹の中には、おおかみが居るじゃない?」

「……それよく言うよな。いないよ、そんなモン」

「居るよ、大きくて優しいのが」


 ラティの澄んだ瞳がジッと俺の事を見据える。狼。俺の腹の中に隠した野心を、ラティはそう表現する。きっと本人もよく分かっていないのだろう。

 けれど、いつもラティは無意識に相手の本質を見抜く。目を逸らしたいのに。ラティの小さくて暖かい手が、それを許してくれない。


 ラティは、愚かでも、無知でもない。


「その狼を育てて、僕を噛み殺すのはいつだっていいよ。僕、ケインの事は大好きだから。いいの」

「……」

「それで、ケインのお父様がケインを殴らなくなるなら、いいよ」

「ラティ……」


 ラティは、出来損ないなんかではない。聡明で、ただただ、優しかった。

 ウィップを読んでいたら分かる。あそこには、ラティの王族としての葛藤、するどい洞察、そして強い意志がハッキリと宿っているから。ウィップはラティ自身。あれは、ラティの自問自答の歴史だ。


「ラティ……そこも、痛いんだ」

「うん」


 「鞭打ちの任」を言い渡された時に言われた、父からの命。

-----周囲に弱みを見せるな。


 その言葉が、父の言葉と共に頭を過る。けれど、殴られた痕にラティの舌が優しく触れた途端、もう我慢できなかった。


「っう、……っぁぁ」

「んッ……ケイン。ケイン……っふ」


 俺はラティの腕の中で泣いた。その間、ラティは俺の名前を呼びながら、何か愛おしいモノに触れるように何度も何度も俺の傷に口付けを落とした。


「ケイン、泣かないで。大好き」

「……らてぃ。おれも」

「ふふ、うれしい」


 可愛い可愛い、俺のラティ。

 その瞬間、俺の中の狼は新しい首輪を得た。その首輪の繋がる先にはラティが居る。ラティを傀儡にし、首輪を付ける筈だった俺は、まんまとラティに首輪を付けられてしまったのだ。


 その日から、俺は静かに腹の中の狼に餌をやり始めた。

 いつか来る、闘うべき時の為に。



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