スナックママレード
「いらっしゃいませー。」
笑う時、喋る時、右手を軽く握り、口元に持っていく。
大きな目に茶色い瞳、少し垂れている。それよりも印象的なのは、お化けと揶揄されてもおかしくない、背中まで真っすぐに伸びた、細くて綺麗な、黒髪だった。
「今日はどうされたんですか?お勤めはどちらですか?」
一つ一つの動作、敬語を使うその言葉の端々に、洗練されていない、作りあげられたものを感じていた。その所作が少し、鼻についたけれど、純粋に悪くない顔立ちだと思った。
私が延岡に異動した時、正に感染症が拡大する、その時であった。間もなく緊急事態宣言が発令され、意気揚々と延岡にきた私は、突如として楽しみにしていた夜の街を取り上げられた。
しかしながら、宣言解除のタイミングでは、内々に街へ繰り出していた。業務課長とよく街へ出たが、積極的に開けている店も、また客も少なく、その窮屈な状況下で居酒屋からのスナック、ラウンジのコースを堪能していた。業務課長の方が延岡での生活は長かったのだが、彼は大人しい性格で、新しい店に入る事はしなかった。僕の方が「開拓しましょう」と誘って入ったのがスナックママレードだった。
入った瞬間に、若い女の子が二人、他に客もなく、迷う事なく入っていったのだった。
真理恵との会話は楽しかった。
彼女は25才の雇われママだと言った。
「お名前はなんていうんですか?」
「言ったら出身までばれるから言わない。」
「…ひょっとして、角田ですか?」
真理恵はずっと変わらず、右手を口元にあてたまま喋り続ける。
「…なんでわかったん?」
「私の父も出身がそこなんですよ~。」
その瞬間さえも、その仕草がうさん臭く、この話もまた嘘くさいと思ったが、後に彼女の名字を知って嘘ではないと推測する。その共通項があったからか否か、その日僕は真理恵と、課長はもう一人の女の子と、ほぼずっと相手される形になった。
「ライン教えて」
席を立とうと、中腰になりながら僕は真理恵に言った。
「え?いいんですか?」
と少し語尾を上げ、首を傾げながら、右手は口元のまま、そう言った。その僕の中の若干の違和感を、特にフォーカスする事もなく、僕たちは店を後にした。
翌日には真理恵から、
〔昨日はありがとうございました。〕
という内容のLINEがきて、僕もまた行く旨返信した。
ママレードは会社から歩いて1分の距離だった。
それから、僕たちは頻繁にママレードに足を運ぶようになっていった。
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