異世界へ転生したのに、最弱スキルを貰った勇者はどうしたらいいですか?

月見里さん

Act.1「努力友情裏切り」


 ――努力に勝る夢中はなし。夢中になれる努力はなし。


 

 この場面において、この世界において。自分の見えているものが全てなんてのは気狂いの気まぐれ以上に、気の迷いだったのだろう。あの時、あの瞬間、刹那の切り抜きに思っていたのは天国があるならば、どんな場所だろうという曖昧な妄想と空想と現実逃避である。

 なんてことはない。

 車に轢かれたわけではない。

 電車に轢かれただけだ。

 そう、轢かれただけ。

 現実なんてそんなものさ。気づいた時には自分の体は線路の上に落とされていたのだから。その時、俺を押したであろう人間の姿は確認できなかったが、周りの人間が驚いていたり、悲鳴を上げたり、無関心にスマホを眺めていたのを覚えている。そこからは、描写するのも躊躇ってしまうほど、強烈な痛みと体を縛り付けていた重みから解放される感覚と、目の前が暗転する視界。意識だけはここにあるはずが、そこにないような不安定な状態を経ていた俺だった。

 そう、俺こと無防むぼう黄昏こうこんは電車に轢かれ、絶命した。そして、なぜか知らない。なぜかは分からない。どうやってそうなったのかもしれないし、ここにあるということ、息をしていること、目は見えないけどなぜか無性にしゃぶりつきたくなる匂いに釣られていること、それらを加味してもよく分からないどころか、飲み込めない状況の中、判明したのは。


 ――俺は異世界へ転生した、ということだ。


 それが分かったのは物心つく前のこと。それこそ、赤ん坊が物心を覚えるよりも早くに、目が開けば現状が見える。見えなければよかったのかもしれないし、見えていなければ余計な不安で殺されそうになっていたのかもしれない。どちらにせよ、俺の目の前に広がる光景というのは、決して今までの世界とは一変していたのは確かだった。

 天井には蜘蛛の巣が張っている。

 床は所々穴が空いている。体重を掛ければ軋む音が響き、たまにぶっこ抜ける。

 そして、家具の至るところはボロボロ。

 あまり裕福な家庭でないことは確かだった。それでも、金髪と白髪の両親と思わしき女性と男性は、俺が産まれたことを大層喜んでいた。

 ハイハイができれば、家中を駆け回る。

 「あう」と言えば、歓喜の叫びを轟かせる。

 非常に賑やかで、非常にうるさい。

 ただ、悪い気はしなかった。自分のできることをこれだけ褒めてくれるのだから、気持ちいい。これなら、ずっと赤ん坊でいいと思えるほどに。いや、小さな体は体で面倒な事ばっかりだからある程度自立していた方がいい。やっぱり、大きくなりたい。

 そう思っていれば、いつの間にか五歳の誕生日を迎えたのだ。

 いつも通り、祝いのために近所の農園から拝借してきた苺が一つ乗ったカッピカピのパン。それが俺の誕生日ケーキもといプレゼントであった。

 それでいい。もう贅沢なんて言っていられない。なにせ、両親は生きるのに精一杯どころではないのだ。俺が産まれてから五年間。二人はみるみる痩せていった。頬はこけ、肋は浮き上がり、腹にはよく分からない水が溜まり始めていた。それでも、俺にだけは良いものを食べさせようとしてくれた。

 だから、贅沢なんていえない。いえなかった。むしろ、迷惑をかけているのは俺なんだから、我儘を言ってはいけない気持ちが強かった。

 そんな俺が我儘を言うとすれば、父親に生き残る術を教えてもらう。これに尽きた。それこそ、転生する前であれば、父親のすることはキャッチボールや肩車、車で遠出させてくれたりと父親らしいことなのだろう。ここで、そんな話をしてしまえば、色んな人から顰蹙をかうのは言うまでもない。しかし、ここは元いた世界ではない。異世界なのだ。男尊女卑とか云々はよく分からない。ただ、弱肉強食なのは言うまでもない。

 で、だ。父親に生き残る術を聞いた時、まっさきに教えてもらったのは『バレない盗み方』であった。

 言うまでもない。父親は貧乏暮しをしている以上、仕事をしたところで貰える給金は少ない。ならば、簡単な方法に逃げてしまうのは当然でもある。それが、遠くの農園から野菜を拝借すること。あくまで借りるだけ、と父親は言っていたが返すつもりは毛頭ないのだろう。

 なにせ帰り道に、トマトを一つかじり付きながらあまりの酸っぱさに道端へ投げ捨てたのだから。

 さて、そんな父親がいれば母親はどうなのかと言われれば、母親はこれまた可哀想としかいえないものであった。内職をしていたらしい。ただ、どこでしていたのかは教えてくれなかった。家ではなかったのだ。家で内職をしないのは、それはそもそも職業と言えるのでは無いかと思えたが、母親は頑なに内職だと言い張った。帰ってくれば、身体中のどこかに切り傷ができていたり、首には締められた跡が残っているのを内職だとはとても思えなかったが、それをどうにかできるだけの力が俺にはなかった。

 さて、そんな両親の元で育った俺に関して何か言えるなら、大層大人しい子どもだったらしい。だから、両親とも夜泣きの酷さに怯えていたのに、なにもなくて拍子抜けした。時折寝返りをうたせたり、オシメをかえるだけで済むから非常に楽だったと。誇らしいね。大人しい子どもだってよ。心のなかでは小うるさいくらいなのにね。たまーに喋ってみると両親共血相を変えるものだから、やっぱり黙っていたわけだけど。ただ、ただ。そんな俺でも、豊かといえなくともそれとなく充実した生活に、終わりがやってくるとすれば家庭の崩壊である。

 七歳の頃。いつも通り農園へ野菜を拝借しに行っていた父親の帰りが遅かった。日も暮れて、真っ黒な闇夜の中、父親は一向に姿を見せることはなかった。次の日になっても。次の次の日も。次の次の次の日も。それまでなんとか、近くの雑草を口に含んで耐え抜いていた俺達の元に、いかにも豪華な服を着た連中がやってきた。

 パリッと、身だしなみの整えられたその集団は、へんてこな仮面をつけていた。虫を連想させるものでなく、真っ白に塗り潰された面に一本の黒線が上から下にひかれていた。見たことない連中。ただ、母親は見たことがあるのだろう。酷く怯えて震えながら俺を庇うように抱きしめてきたのだ。痩せこけた骨が当たって痛かった。こんな体で決して守れるわけがないと思っていても、頼もしくもなかったが、必死な母親を見れば自然とその考えも引っ込んでしまう。

 それだけ、危険な相手だと母親の態度が物語っていた。

 そして、この出来事がきっかけで、俺の物語は始まるのだ。

 おや、いいことを言ったね。いいことなんてないのに、いいことを言うなんて虚勢だと怒られるだろうか。まぁ、怒ってくる人間がいればの話だが。

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