第15話 鶴亀コンビは町の情報通

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 那美川家の近所に住む情報通マダム達に話を聞くため、僕は群咲市役所を訪れていた。パートタイム職員として勤務する鶴見つるみさんと亀谷かめやさんの昼休憩を見計らい、食堂の一隅で落ち合う。


 被害者である那美川和咲について尋ねると、陽気な鶴見さんは嬉々として話し出してくれた。


「和咲さんってとっても美人さんなの。ほら、これ、この前の市民大清掃の時に撮った写真。何着てもお洒落に見えるのは本物の美人さんよね」


 差し出されたスマートフォンの画面には、地味な色のジャージに身を包んだ和咲の生前の姿が映し出されていた。薄化粧だがはっきりとした目鼻立ちと均整の取れた身体は、なるほど美女と呼んで差支えない。お亡くなりになる前に知り合いたかった。


 鶴見さんの相方であり、無二の親友でもある亀谷さんは、持参していたお弁当を広げながら言った。


「旦那さんと結婚するまでは、キャビンアテンダントさんだったらしいです。結婚を機に家庭に入られて、ずっと専業主婦をされてました。気さくで穏やかな、感じの良い方でした」


「さすが良く知っていらっしゃる。お二人は那美川家と交流があったとお見受けしますが、周囲と何かトラブルを抱えていたこととかありませんか?」


 交流と言えるほどでは……と、二人は首を振った。亀谷さんが続ける。


「旦那さんはお仕事が忙しいらしくてあまり顔を合わせることもなかったし、和咲さんとも自治会の活動で顔を合わせるくらいでした。物静かな方達だったけど、孤立していたわけじゃないし、周囲から疎まれてたこともないですね」


「なるほど。ちなみに親御さんやお子さんの話とか聞いてますか?」


「二人ともご実家は県外って言ってたかな。お子さんはいらっしゃらないわね」


 つまり、優飛も和咲もお互い以外に心許せる人が周りにいなかった、ということになる。それは両者の結びつきを強くする反面、一度、関係性が壊れてしまえば逃げ場がない分、凄惨な末路を辿ることになる。今回の事件の痛ましさはまさにそこにある。


「たとえば、最近、夫婦間の折り合いが悪くなったとか、そんな話はありませんでしたか? 巷では痴情のもつれ、なんて言説がまかり通ってますけど」


 自信作だと言う卵焼きを美味しそうに食べていた鶴見さんが身を乗り出す。


「それ! 根も葉もない酷い噂だと思う。とても仲睦まじいご夫婦で、先週だってお二人で一日お出かけされてたし、自治会で会う度、和咲さんは旦那さんとの生活を楽しそうに話してくれたもの。仮面夫婦ならそこまで演じられないでしょう? だから本当のおしどり夫婦なんだって思ってたの。だからこそ、事件のことが信じられなくて」


 鶴見さんと同じく、亀谷さんも表情を曇らせた。


「和咲さんと一緒にいた男性、前に勤めていた航空会社の人事課長さんなんですよね? 最近よく会っていたみたいですけど、たぶん、復職を考えていたんじゃないでしょうか。前に和咲さんから聞いたことがあるんです。旦那さんが朝早くから夜遅くまで働きづめで心配だから、自分が働けば少しでも助けてあげられるって。これ以上、負担をかけたくなくて、復職の話も内緒で進めていたのかもしれません」


「その気遣いが、逆に不信の芽を育ててしまったかもしれないっていうのは悲しい話ですね」


「夫婦だからって、隠し事なく、明け透けに何でも話せるわけじゃないですから」

 

 然もありなん、誰にでも人には言えない隠し事の一つや二つあるものだ。それはやましいものだけじゃない。和咲のように夫の身を案じ、あえて口にしない気遣いによるものだってあるだろう。だけど、見ず知らずの人間の心無い一言が善意を反転させて、ありもしない悪意の存在をちらつかせることがある。大抵、取り返しのつかない事態になってようやく、僕達はその悪意がまやかしだと知るのだ。


 言葉で人を生かすこともできるし、殺すこともできる。バベルの塔建設以前から、言葉は人々の正常な生命律動バイオリズムを混乱させる力を持っていて、僕達はいつの時代もその力に振り回されてきた。自分で自分の魔法を制御できなくなった魔法使いと同じで、その姿は見ようによっては滑稽なのかもしれない。


「ところで最近、不気味な手紙が市内で出回っているみたいなんです。人の不安を煽るような内容で、僕はこれをなんとかしたいと思ってるんですが、お二人は聞いたことあります?」


 僕に届いた手紙の画像を二人に見せると、鶴見さんが目を見張った。


「あ、不幸の手紙!」


「不幸の手紙? そんな風に呼ばれているんですか」


「そう。受け取った人をみんな不幸にさせてるから。二週間くらい前かな、近所の美里ちゃんのお家に届いたって言ってたんだけど、その手紙見て、最近羽振りの良い旦那さんのことが気になったらしいの。まさか会社のお金を横領しているんじゃないか、誰かがそれを知らせようとしているじゃないかと思って喧嘩になっちゃったらしくて。結局、旦那さんは無実だから悪戯だってことで落ち着いたみたいだけどね」


「他の方ですけど、私も聞きました。その方はゴミの収集日を間違えてしまったことがあって、あとでそれを知ったそうですが、ゴミステーションからゴミを引き揚げるのも恥ずかしくて、気付かない振りをしたそうなんです。それは良くないことだって自分でもわかってたからこそ、その手紙を受け取ってから、近所の人達の視線が気になって、外出することができなくなって……家族の方々が手紙は悪戯だって突き止めて、少しずつ元の生活を取り戻しているようですが」


 そう言えば、と鶴見さんが視線を中空に投げる。


「那美川さんの家にも手紙が届いたみたいで、何度か警察の方も見えてたわね」


「警察? 通報したんですか?」


「かもしれないけど、不幸の手紙の所為で揉め事も多く起きているから、警察の方も注意喚起のチラシを配っているみたいよ。ほらこれ、亀谷さんももらった?」


「ええ、一軒一軒回って丁寧に周知しているみたいです」


「へぇ、ちょっと見せてもらえます?」


 警察が頒布しているというチラシには、『悪質な悪戯にご注意ください』というメッセージとともに、例の手紙の文言が一例として掲載されている。投書が始まったのは少なくとも二週間ほど前だから、警察の対応は迅速だと言える。それだけ被害者が多いということなのか。


 一通り世間話をしてから、鶴亀コンビと別れて役所の外に出た。ミサは音もなく僕の背後に現れる。


「収穫はあったか?」


「うん。那美川優飛と和咲は絵に描いたようなおしどり夫婦っぽいね。それだけにあの不気味な手紙の影響力は強すぎた。複数回の投書の事実を考え合わせると、やっぱり無差別ではなく狙った感がある」


「偶然じゃないか? 意図的だとしたら回りくどすぎる」


「そうなんだけどさ、適当にばら撒いて誰彼構わず困らせてやろうっていう愉快犯とは違うと思うんだよ」


 ミサは顔を顰める。納得できないのも無理はない。僕もまだ、漠然とした印象を抱いたに過ぎないのだ。ただ、ねっとりと絡みつくこの違和感は、どうにもやり過ごすことができそうにない。


「ちなみにあの投書は、巷では不幸の手紙って呼ばれているらしい」


「携帯電話が普及する前、流行ったらしいな。期限内に指示された人数へ同じ内容の手紙を出さないと不幸になるとか」


「チェーンメールも同じ類だね。よく考えれば馬鹿馬鹿しい内容だけど、いざ自分宛に届くと、何とも言えない不気味さに動揺しちゃうんだよね、あれ。客観的事実と合理的思考、どちらも揺さぶられて正常な判断ができなくなる。デジタル化が合言葉の今日日、紙媒体が出回るなんて懐古主義的だけど」


 或いはそれも計算されているのか。紙に温かみを感じるのが人の性なら、不気味さもデジタル媒体のそれより強く感じるのかもしれない。そういった些細な、しかし悪辣な思惑で人間の感情を弄んでいるのだとしたら、不幸の手紙の主は全く脅威だ。このまま野放しにするには危険すぎる。


「じゃ、次はまさき社に行く。ミサ、記者の前でうっかり口を滑らせてスキャンダラスなことをすっぱ抜かれないようにな」


「お前と違って身綺麗だからその心配はない」

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