第四節 王子の自負、紳士の意地
第百話
週明けの朝は冷え込みが一段と厳しくて、初めてコートを羽織って登校した。初冬の今はこれで十分だが、真冬になったらタイツもはくことになるだろう。
先日広夢さんと話をしたことで、僕は倉石君と会って自分の思いを伝えようという決意を固め直した。問題はそれをどうやって実行するかだ。
もはや、街中で見かけるまで待ってはいられないし、スマホで呼び出そうにも一切応答してくれないのだから、こちらから倉石君の現れそうな場所へ押しかけるだけだ。とはいえ彼の自宅は知らないから、他に会える可能性があるとすれば、直接森野宮に行くしかない。
それでも倉石君の迷惑になるのではという気持ちは、いまだにあった。だがここまで来た以上はそれ以外に方法はないし、うまくいくかどうかはやってみなくてはわからない。こんな覚悟を胸に秘めつつ、僕は舶用の校門を通り抜けた。
昇降口に入れば、親衛隊と突撃隊が『お出迎え』してくれる。放課後の『お見送り』と同様、恒例の行事だ。
「お早うございます!」
「おはよう、今朝は寒いね」
笑顔で取り囲む彼女達に愛想を振りまいていると、どこかから聞えよがしな声が届く。
「……王子のくせに男と付き合ってるんだってよ」
その声は取り巻きにも聞こえたようで、わずかに眉をひそめたり、頬がピクリと動いていたりした。僕は何も聞かなかった素振りで、靴を履き替える。
あんな揶揄をしたということは、明らかに僕と倉石君の噂を知った上でのことだろう。先週の社交的女子の口ぶりだと、森野宮の生徒から舶用にいる僕へ探りを入れているらしいから、向こうから言いふらしてきたとしか思えない。
そのまま教室に入ると、クラスメイトの間に漂う空気が微妙におかしい。元から好意的でなかった者達は何かを耳打ちしていたり、最低限でも朝のあいさつをしてくれた者でさえ余所余所しい態度をあらわにしていた。絶交状態になってしまった社交的女子は、チラリと僕を一瞥してから友人AとBに視線を戻す。
どうやら噂は、このクラスにも流布しているようだ。苦々しい気分で席に着くと、いつもと同じように話しかけてくる生徒が、一人だけ現れる。
「こないだの、あの綺麗な大人の人だけど、何か知ってる情報はないか?」
男友達が鼻の穴を広げて尋ねてきた。ここまで興味を持つとは、よほど惚れ込んだようだ。
「あの人は広夢さんと言って、広い夢と書く。そう名乗ったけど、本名じゃないと思う」
「広夢さん、か……いい名前だなぁ」
彼はのぼせ上がった表情で、その名を噛み締めていた。いまさら広夢さんの真実を伝えるつもりはないが、彼が僕の噂より自分の興味に没頭していることを知って、ホッとしてしまう。
午前に体育の授業が校庭で行われた。それが終わって手洗い場に行くと、すでに親衛隊の『秘書』と突撃隊の『外国の姫』がそれぞれミニタオルと消臭効果があるウェットティッシュを持って控えていた。いわゆる『今日の体育当番』というやつだ。
顔や手を洗った後、取り巻きから受け取ったミニタオルで水気を拭き取っていると、ある男子が舌打ちする。
「王子気取ってるくせに、他に男まで作ってるんだから、いい身分だな」
明らかに敵意に満ちた口調だ。今までほとんど口を利いたこともなかった相手を、僕は手を止めて睨み返す。
「……どういう意味だ?」
周囲の空気が一変したのがわかった。視線が集まる中、相手は下卑な笑いを浮かべる。
「去年まで男だったくせに、女の色気も使って男も口説いたのか?」
「何を言ってるか知らないが、そういう偏見はやめてくれないか」
「もう噂だぜ。お前が他校の男と付き合ってるってな」
すでに舶用でも、倉石君との関係が知れ渡っていたようだ。より一層苛立ちが強くなる。
「誰と付き合おうが、こっちの勝手だ。お前に言われる筋合いはない」
「そいつをバイト先に連れ込んで、イチャついてるんだろ? 男の娘ってのは結局オカマだし」
「もう一度言ってみろ! TSや男の娘が誰かと付き合っちゃいけないっていう理由があるのか!?」
倉石君だけでなくフェアリーパラダイスのことまで馬鹿にされては、もう堪忍袋の緒を切るしかなかった。
クラスメイト達や取り巻きが完全に固まっていた。そんな中、誰かが僕とそいつの間に素早く割って入る。
「二人共、そこまでよ」
社交的女子が両手を使って、僕とそいつを止めにかかった。彼女は一瞬だけ僕に目配せした後、反対側へ体を向け直す。
「あんたは言いすぎ。徳田が誰と付き合おうと、あんたに関係ないことじゃない」
「そっちの肩を持つのか!?」
「どう見ても、あんたの方に非があり過ぎるし、まるで徳田がモテることをひがんでるとしか聞こえないんだけど」
一方的に社交的女子から決めつけられて、そいつに狼狽の色が浮かんでいた。それでもまだ言い返してきやがる。
「俺は前から気に入らなかったんだよ!」
「そんなのそっちの勝手でしょうが。噂に乗っかって徳田に八つ当たりしたからって、あんたがモテるわけ無いでしょ!」
「んがっ」
真実という名のナイフで精神的にとどめを刺されたそいつは、口を開いたまま凝固していた。もはやそいつに構うことなく、社交的女子はその場にいたクラスメイト達をジロリと睨み回す。
「徳田が誰と付き合っても、それは二人の自由で、もちろんTSも男の娘も関係ない! だから私達がどうこう言うことじゃないのよ!!」
社交的女子からの一喝を受けて、僕を中傷してきた男も含めてクラスメイト達はすごすごと退散していった。残された僕と取り巻き二人は、唖然としたままだった。
せめて何か言うべきではないかと思いかけていると、社交的女子は一度だけ振り返ってから、早足で去っていく。
「……あの、そろそろ戻らないと~」
遠慮がちな声で『外国の姫』が言った。このままだと着替えの時間もなくなってしまう。
もしかすると、僕はあの女から庇ってもらったのか? あの厭味ったらしかった社交的女子が……いまだ信じられない気持ちに囚われつつ、僕達は校舎へ向かって歩く。
昼休み、弁当を食べ終えた僕は、取り巻きから呼び出しを受けた。
空き教室には、親衛隊及び突撃隊の全員が集まっていた。彼女達の表情には、不安と不信が混じり合って浮かび上がっている。
「徳田さん、森野宮の……あの彼とは、本当に付き合ってるの?」
親衛隊の『秘書』が切り出した。他の取り巻きは僕からの返事を待ち構えている。
こうなったからには、もう小手先の嘘や慰めを言ったところで納得はしてくれないだろう。ならば事実だけを話すしかない。
「彼から告白された。けど、まだ返事はしていない」
「……やっぱり、付き合うつもり?」
「そうなれば……いや、そうしたいって思ってる」
本心を明かした時、取り巻きから失望の声が上がりだす。
「先輩がそんなこと言うなんて!」
「徳田さんのこと、今まで慕い続けてたのに!」
「私達を裏切るんですかっ!?」
そこまで言われると、さすがに心外だ。王子様に対する取り巻きの心情というものがややこしいことは、『美幸ヶ丘の王子様』である榊七海の一件で知悉していたはずだった。でもそれが自分に対して向けられたなら、これほど始末に負えないものだとは思わなかった。
「僕は君達を嫌いになったわけじゃない。それとは別に、彼のことが好きなだけだ」
「私達は徳田さんを『理想の王子様』だと思ってたのよ。なのに、まるで普通の女みたいなこと言うなんて……見損ないました!」
「先輩、私達を置いてかないでください~」
なじるような口調の『幼馴染』に続いて、『外国の姫』が半泣きになって訴えかけてきた。『お気持ち表明』という名の吊し上げを食らって、うんざりとしてしまう。
不意に僕は悟った。彼女達は、TSである僕を『男女を超越した理想の王子様』として持ち上げることで、自分達を『夢見るお姫様』としての立ち場に置きたいのだと……だから、僕が倉石君と親密になることは、自分達の特権を奪われる不法行為としか思えないのだ。
やはり榊とその取り巻きと同じか……ならば同じ方法で説得するしかあるまい。
「これまで僕は、君達に求められるまま『王子様』を演じてきた。でもそれだけが僕のすべてじゃない。僕の中には元からあった男の心と、彼に対する女心も存在する。『王子様』もその一つで、矛盾しているけどそれらは僕の心に共存している……それが今の僕なんだ」
「もう、私達だけの『王子様』ではいたくないって言うの?」
沈痛な表情を『秘書』があらわにした。自分達の心を弄んだ挙げ句、倉石君のために平然と捨てるのか……とでも言いたげだ。再度説得を試みる。
「今でも僕は、君達の『王子様』でいることに喜びはある。TSの僕を差別することなく、親切にしてくれたからこそ、今の僕がある。そして彼も、僕と仲良くしてくれた。感謝してるし、その気持ちには応えたいんだ」
「……そんなに、彼のことが」
青ざめていく『秘書』に、深くうなずいてみせる。
「僕の心には、男と女と『王子様』がそれぞれにある。そのどれもが僕なのであって、どれか一つだけで生きていくことはできない。こんな僕を認めたくないと言うのなら、それはもう君達の勝手だ」
突き放すように言うと、僕は取り巻き全員の顔を見た。憤懣で口をへの字に曲げる『メイド』、悲しげに眉をひそめる『魔女』、震えながら涙をこらえている『町娘』……僕の言い分は、彼女達には心底から受け入れがたいものだとわかる。
「……それでも僕は、君達と一緒にいた時は楽しかった。毎日学校で会う時も、店に『お嬢様』としてやってきた時も、コミケにコスプレを見に来てくれた時だって、全部そうだ」
彼女達の存在をウザいと思ったことは何度もあった。だけど今、僕が口にしているのは正直な言葉だ。
「TSにならなかったら、僕は皆と仲良くなることはなかった。ここまで優しくしてくれて、ありがとう」
一礼した後も、取り巻きは押し黙ったままだ。どうしてもわかってもらえないのか……失意のうちにその場を去ろうとした僕に、『秘書』が震えた声を出す。
「徳田さんが言ったことは……自分らしくあろう、ということだって、わかった……私も、楽しかった」
彼女だけは、わずかながらも僕の思いを受け入れようとしている。それがわかっただけでも、わずかな慰めにはなった。
引き戸を開けた時、スピーカーから午後の授業開始を告げるチャイムが廊下に鳴り響く。
今日は学校において、いろんなことが立て続けに起きたが、もはやそれらを気にかけてはいられない。いよいよ放課後は倉石君と直接会うために、森野宮へと向かわなくてはならないのだ。
昇降口を出て校門まで歩いていくと、親衛隊の『秘書』と突撃隊の『外国の姫』がいた。昼休みの件もあって、取り巻きは僕に愛想を尽かしただろうと思いこんでいただけに、二人でも『お見送り』してくれるとは意外な思いがする。
「きっと皆は、徳田さんの言ったことは、理解してるはず……それを受け入れるのに、時間がかかってるだけだと思う」
他の取り巻きの気持ちを『秘書』が代弁してくれた。『外国の姫』は今にも泣き出しそうにしている。
「すごくショックだったけど……先輩は、ずっと『王子様』です~」
「そう言ってくれただけで、嬉しいよ」
微笑みを返すと、彼女はコクンとうなずいた。
「いってらっしゃいませ、王子様」
二人だけの、寂しさのこもる『お見送り』を受けて、僕は手を上げてから校門を抜けていく。
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