第7話 幽霊部長、家庭訪問する 後編


「ご飯も食べたことだし、そろそろ見せてほしいなー」


 俺が食事を終えると、雨宮あまみや部長はそう言って立ち上がった。


「だから、男の子の秘密はどこにもありませんってば」

「違うよ。私が見たいのは……内川くんの描いた絵」


 彼女は一瞬間を置いたあと、両手を後ろに組みながら言った。


「これまでに描いた絵、見せて。狭い部屋なんだから、隠しても無駄だぞ」


 そう言うと、まるで獲物を狙うような目で室内を見渡す。

 ひょっとして、わざわざ家まで押しかけてきた理由はこれなのかな。


「以前見せたじゃないですか。あれがそうですよ」

「あんな破られた作品じゃなくて、きちんとしたのが見たいの。部長として、部員の実力は把握しておかなくちゃ。どこだ? やっぱりここか?」


 そう口にしながら、本当にベッドの下を覗き込んでいた。そんなところには置いてない。


「わかりましたよ。見せますから、少し待っていてください」

「やた」


 俺はため息をついて立ち上がり、クローゼットの横にある押し入れを開ける。

 そして、そこにしまい込まれたいくつかの絵を引っ張り出す。具体的には、風景画や静物画、人物のデッサンなどだ。


「おお、上手」

「中学の時に描いたやつです。荷物になるので、大した数は持ってこれませんでしたが」

「こういうのもいいけど、イラストは? イラストはないの?」


 さっき以上に目を輝かせて、彼女は押し入れの中を覗き込む。


「ないですよ。俺、元々美術部志望だったんですから。こういうのばっかりです」

「あそっか。でも、これからはイラスト描いてもらわないと」

「わかってますよ」

「じゃあ、今から描いてみよう」

「え、今から?」


 思わず聞き返すも、彼女は本気のようで、押し入れの奥からスケッチブックを引っ張り出していた。


「描くって言われても……何を描けばいいのやら。モデルもないですし」

「何を言っているのかね。ここにかわいいモデルがいるではないか」


 そう言って、彼女は期待に満ちた表情で自分を指差す。

 ……かわいいとか、自分で言っちゃうんだ。


「まあ、いいですけど。軽く描くだけですよ?」

「うんうん。よろしくお願いするよ」


 スケッチブックと鉛筆を持って、俺はベッドに腰を落ち着ける。対する部長はクッションを手に移動し、その対面に座り込んだ。

 それを確認してから、俺は描写対象の特徴を掴むため、部長の顔をじっくりと観察する。

 大きくぱっちりとしたマリンブルーの瞳と、ふわりとした黒髪のショートボブ。顔立ちも整っている。

 やっぱり、部長はかわいい。とても幽霊だなんて思えない。

 ……って、何を考えているんだろう俺は。

 突如として湧き上がってきた謎の感情を振り払うように、俺は鉛筆を走らせる。

 最近はあまり描けていなかったけど、手はしっかりと覚えているようだった。大した時間もかからず、部長の肖像画を完成させる。


「……できました。どうですか?」

「さすが上手いとは思うけど……なんか硬いね」

「硬い?」


 完成した作品を本人に見せると、彼女はわずかに眉をひそめた。


「内川くんの絵は、イラストっていうよりデッサンに近いねぇ。物をそのままに描いてるの。だからなんか硬い。イラストは形や陰影より、描くモノの特徴を見つけるのが大事。多少形がデフォルメタッチでも、個性的なほうが味も出るというか」

「……もっと崩して描けってことです?」

「そうじゃなくて……うーん、説明が難しいなぁ」


 そう言った彼女の手が、もどかしそうに宙をさまよう。


「せっかくですし、部長も描いてみてくださいよ」

「あー、それができればしたいんだけどねぇ……ごめん」


 そう部長に謝られた直後、俺ははっとなる。

 彼女は先日、『意志を伝えられるものは持てない』と言っていた。

 つまり、画材――鉛筆や筆といった絵を描くための道具も、一切持つことができないということだ。

 イラスト部の部長までやる人だし、さぞかし絵を描くのが好きなはずだ。

 そんな部長が幽霊になったことで、大好きなイラストが描けなくなったとしたら。


「いえ……俺のほうこそ、すみません」


 その事実に気づくも、気の利いた言葉は見つけられず。俺はただ謝ることしかできなかった。


「気にしなくていいよ。それより目下の問題は、内川くんの画風だよ。もっとイラスト調にしないと」


 そんな俺に対して、彼女はあっけらかんと言い、手元の絵をじっと見る。


「とりあえず口頭で説明するから、頑張って描いてみよう!」


 部長はそう意気込みつつ、熱心に教えてくれるも……なかなか納得のいく絵を描くことはできなかった。


 ◇


 絵の練習に没頭していると、いつしか時間が過ぎ、時計は21時を回っていた。


「部長、さすがに夜遅くなりましたし、部室に戻らなくていいんです?」

「……今日は帰りたくない気分なの」

「雰囲気作りながら言ってもダメですよ。帰ってください」

「えー、夜の学校って怖いんだよー」

「幽霊が言う台詞ですか。それにお泊りなんてされたら、俺が眠れません」

「ちぇー」


 俺の必死の訴えが通じたのか、彼女は口を尖らせながらも立ち上がり、玄関へと向かう。


「バスももうないのにー。はぁー、一人で歩いて学校まで帰るのかー」


 その間も、頭を抱えながらわざとらしい声を出す。

 確かに心苦しいけど、さすがに泊めてあげるわけにはいかない。俺たち、まだそんな関係じゃないし。

 そう自分に言い聞かせるも、部屋から出ていく部長の背中は寂しげだった。

 ……ああ、まったくもう。

 そんな彼女を見ていられず、俺はその後を追いかける。


「部長、学校まで送りますよ」


 そして彼女に追いついた直後、俺はそう告げた。


「そう言ってくれると思ってたよ。さすが、内川くんは優しいねぇ」


 部長は一瞬だけ驚いた表情をしたものの、すぐに笑顔になった。

 どうして追いかけたのか俺自身にもわからなかったけど、その表情を目にした時、その選択が間違っていなかったと確信することができた。

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