13.体裁
天と地が逆さになっても起こりえない出来事に、私は完全にパニックになった。
思考はグルグルと回ってまとまらない。呼吸も止まっている気がする。もうアーサーのダンスについて行くことで精一杯。彼のリードが上手いことと、しっかりと体を支えられているお陰でなんとか無様な姿を晒さずに済んでいる状態だ。
(落ち着け、落ち着け、落ち着け・・・)
念仏のように自分に言い聞かせる。
何度か言い聞かせているうちに次第に気持ちが落ち着き、呼吸もまともにできるようになってきた。だが、心臓が無駄に早打ちしている。それが治まらない。
「あ、あの・・・、どうしました? アーサー様?」
やっとのことで絞り出した声は変に裏返ってしまった。
「・・・」
そんな私の問いにアーサーは返事をしない。顔もこちらに向けない。
また、無視かよ・・・。
そんな彼の態度に早鳴りしていた心臓が急速に正常に戻っていった。
はあ~と溜息が出そうになった時、
「・・・あのままクロードが引き下がるとは思えないからな・・・」
アーサーが小さい声で答えた。
「へ?」
私は驚いてアーサーを見た。
アーサーも私に振り向いたが、またすぐ顔を逸らした。
「・・・きっと、また貴女にダンスを申し込んでくるだろう。一度でも先に私と踊っていれば体を成す」
はい? 何それ? まあ、確かに私もさっきそう思いましたけど?
サーっと音を立てて気持ちが冷えていく。
「クロード様と踊れとおっしゃるのですね?」
私もアーサーに習ってそっぽを向いた。
「い、いや・・・、そういうわけでは・・・。貴方が断れなかった時のため・・・」
「クロード様は本日の主役ですもの。断りませんわよ」
「な・・・っ」
「ありがとうございます。私の立場を気遣って頂いて」
「・・・」
「触りもしたくないほど嫌っている女の手を取らせてしまって、申し訳ありませんわね」
「な、何を・・・言って・・・」
「ご気分は悪くなっておりません? 大丈夫ですか? 私なんかに触れて」
「ローゼ、私は・・・っ!」
「吐き気を催しているかもしれませんが、この曲が終わるまでは我慢してくださいませ」
私は顔を背けたまま素っ気なく言った。
アーサーの方が私に見入っている。いつもと真逆だ。どこか懇願するようにこちらを見ているようだが、きっと気のせいだ。私は振り向くことなく、ひたすらステップに集中した。
婚約時代のローゼだったら、アーサーに抱かれるように引き寄せられて踊っているこの状況は天国のようだと思ったろう。だが、今の私には正直言って地獄のようだ。
体裁を保つ為だけに相手をしてくれたという事実に、腹正しさと苛立ちと、そして、どうしようもない切なさが湧き上がってくる。
この「切ない」という気持ちが、私の中に未練があることを証明しているようで、さらに苛立ちが増す。
この屈辱を忘れるもんか!
目の前がうっすらと霞んできた。
私は絶対に涙を流すまいと、この一曲が終わるまで必死に耐えた。
★
永遠かと思うほど長く感じた一曲が終わり、ダンスから解放された。
私はさっさとアーサーの元を離れるはずだった・・・。
しかし、解放されたのはダンスだけで、アーサーからは解放されなかった。
何故か分からないが、私はアーサーに腰を抱かれたまま、飲み物を片手に彼の知り合いとの談笑に加わっている。
これまた、一体どういう状況?
彼の横でニコニコと愛想笑いを浮かべ、さりげなく彼から離れようとするも、その度にくいっと引き寄せられる。
一体何なのよ!?
体裁を保ちたいってなら、あのダンスだけで十分でしょうが!
ってか、そもそもそれだって今更感満載だから! 今までの私への扱い覚えてる?
もともとダンス一曲踊ったぐらいじゃ、不仲説なんて消えやしないわっ!
あ、もしかして、だから今こうして頑張っちゃってる?
いやいやいや、もう
心の中で思いっきり暴言を吐きながら、満面の営業スマイルを頑張って保っていた。
しかし、紳士の会話が想像していた以上に長い。
イライラマックスの私の似非スマイルがそんなに長持ちする訳も無く、ヒビが入り始めてきた。
会話のタイミングを見計らって、アーサーに話しかけた。
「ごめんなさい。アーサー様。私、少々疲れましたの。あちらで休んでもよろしいでしょうか?」
わざとらしくも丁寧に、且つ可愛らしく首を傾げてほほ笑んでみせる。
「そうか・・・」
「はい」
私はにっこりと返事をすると彼から距離を取ろうとした。それなのに・・・。
「すまない。ちょっと妻を休ませたいので、失礼する」
アーサーは私を放すどころかグイっと引き寄せると一緒に歩き出した。
って、おいっ!
あんたは残ってていいんだって!
一人になりたいんだっての! 空気読めや!
本当に、今日のアーサーは一体どうしちゃったの?!
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