8.勘違い
『奥様をとても大切に思っているはずでございます!』
食後のお茶を一人飲みながら、さっきのマイクの言葉を思い出す。
本当に・・・?
本当にアーサーは私の事を大切に思っている?
同時に今までのアーサーの態度も思い出してみる。
私と目を合わせない。碌に口も効かない。近寄れば避ける。終いには逃げだす・・・そんな姿しか思い浮かばない。
・・・。
「いや、ないな・・・」
思わず独り言ちた。
まあ、でも、私の態度の急変に多少戸惑っているのは確かのようだ。
いつもニコニコご機嫌取っている私が当たり前と思っていたのだろう。
アーサーの塩対応に塩対応し返したら急に意識し始めたということか?
よく分からないが、今更焦っても
私には恋心はもちろん、情ですら1ミクロンも残ってないっつーの。
そう思っている・・・。前世の私は確実に。
そして、今の私を形成しているのは前世の私が八割、現世の私は二割だ。
でも、その二割のローゼの気持ちが揺れたようだ。
心の中で、ムクっとマイクを信じたい気持ちが芽生えた。
その私が、アーサーが帰ってきたら今日の朝食の無礼を詫びようと、そう思ったのだ。
★
アーサーが帰ってきたのは夜遅かった。
私は既に寝支度を終えていたのでどうしようかと考えたが、ネグリジェにガウンを羽織り、さらに大きなストールで身を包んで、アーサーの部屋に向かった。
この時間に殿方の部屋にわざわざ自分から向かうのも恥じらいのないような気もするが、マイクの言う事が本当なら、このまま初夜を迎えてもやぶさかではない気持ちもあった。
部屋の前で立つと、遠慮がちにノックをしてみた。しかし、返事はない。
え? もう寝た?
私はそっと扉を開けてみた。恐る恐る中を覗くと誰もいない。
もしかしてと思い、書斎に向かった。すると扉が少し開いており、そこから明かりが漏れていた。そーっと中を覗いてみると、そこには応接のソファーの座り、苦しそうに蹲っているアーサーがいた。
辛そうに胸を押さえ、荒れた呼吸を必死に整えようとしている。
前にあるテーブルには何かを飲み干した後の空のグラスが一つ、倒れて転がっていた。
「大丈夫ですか!?」
私は思わず扉を開けて中に入ってしまった。
アーサーはギョッとしたような顔で私を見た。
しかし、私はそんなことよりもハアハアと息苦しくしていることの方が気になり、急いで駆け寄った。
「苦しいのですか!? 大丈夫ですか!? すぐお医者様をお呼びましょうか?」
彼の隣に座り、片手でアーサーの手を握ると、もう片方の手で背中を摩った。
「と、とにかく、人を呼びますわ! 今、お水を・・・」
と言った時だ。
「離れろっ! 私に触れるなっ!」
大きな罵声と共に、私は突き飛ばされた。あまりにも突然で、悲鳴すら出なかった。
床に叩きつけられるように転び、一瞬何が起こったか分からなかった。
驚いてアーサーを見上げると、激しく息を乱している。
その目は一瞬後悔の色を浮かべたようだが、すぐに背けられた。
「人は呼ぶな! 早くここから出て行けっ!!」
私は無言で立ち上がると、駆け足で部屋を飛び出した。
★
結局、マイクの言っていることは違った。
彼の中で嘘は言っていないつもりかもしれない。でも、彼の見解は間違っている。
どこが「奥様を大切に思っている」だ。思いっきり突き飛ばされましたけど?
翌朝、私は自室で朝食を取った。
夕方になると、私の部屋に花束とカードが届けられた。アーサーからだった。
私は受け取らなかった。
カードも見なかった。
「お返しして」
持ってきたメアリーは困惑していたが、悪いけど知らん。マイクにでも相談してくれ。
その日の夜、仕事から帰ってきたアーサーと夕食を共にすることは無かった。
独り自室で夕食を終え、ソファでまったりしているところに、ドアがノックされた。
「・・・はい」
「・・・私だ」
うへぇ~、来た! 暴力亭主。
「どのようなご用件で?」
私は扉を開けずに答えた。
「・・・昨日の夜は・・・、すまなかった」
「・・・」
「扉を開けてくれないだろうか・・・」
「お断りします」
「本当にすまなかった! あのように突き放すつもりではなかった! あの時は・・・、その・・・少し具合が悪く・・・」
「そうでしたわね。苦しそうでしたわ。お加減はいかが? 良くなりまして?」
「・・・扉を・・・開けてくれないだろうか? きちんと謝罪がしたい」
私はゆっくりと扉を開けた。
アーサーはホッとした顔を見せたが、すぐに顔を逸らした。
「怪我はしていないか?」
「ええ」
「これを・・・」
彼は私の前に花束を差し出した。夕方届いた花束だ。
「受け取ってもらえないか?」
「特に怪我もしておりませんし、結構ですわ」
「・・・」
「私はもう休ませて頂きます。侯爵様もまだ本調子でないようでしたらお早めにお休みになってはいかがです?」
「・・・」
「お休みなさいませ」
私は扉を閉めた。
この日以来、朝も夜も食事を共にするのは止めた。
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