第23話
必死になって、夢中になって言葉を紡いだ。
少しでも多く舞に気持ちが伝わるように祈りながら。
気が付いたら、舞の大きな瞳からぽろぽろと小さな滴が零れ落ちていた。
「頼むから、泣かないでくれ。悪いのは全て僕自身だ」
「うっ……ごめんなさい」
「止めてくれ」
「……ごめんな――」
舞は繰り返し繰り返し謝り続けようとした。
その時、幸運と言うか災難にも僕たちのテーブルへと近づいてくる人物たちが見えた。
視界に入ってきたのは――水鳥勇樹と橘さんだった。
僕と視線が合った水鳥は楽しそうに話していた顔から驚いたように目を開いた。そして立ち止まってしまった。
橘さんは水鳥の顔を覗き込むように「どうしたの?」と言った。それから、水鳥の視線の先を追うように顔を動かして――僕は少しつりあがった猫目と合った。
「え、春斗君?それに――一緒にいるのは、舞ちゃん⁉」と橘さんは驚いた。
それを聞いて現実へと引き戻されたかのように水鳥は、橘さんへと言った。
「行こう。邪魔しては悪い」
「待って、勇樹君!舞ちゃん、泣いているわ!」
「いいから、僕たちは――」と水鳥が優しく声をかけようとした。
しかし、橘さんはズカズカと歩いて僕の目の前に立った。
つりあがった目を細めて言った。水鳥をちらっと見ると、申し訳なさそうに小さく頭を下げた。
「春斗君、舞ちゃんに何をしたの」
「……」
「何も言えないということは、本当に何かしたのね⁉」
「……」
「信じられない!」と橘さんは声を荒げた。
しかし、舞は泣き腫らした目で小さく否定した。
「……橘さん、違うの。私が悪いから……だから、春斗君は悪くない」
「それでも……おかしいよ。なんで、春斗君は無反応――」
「朱音、行こう。僕たちが居たら邪魔だ」
水鳥はサッカーをしているときのように優しさの消えた声で橘さんの言葉を遮った。そして、僕に向き直り――僕に目配せをした。
『すまない』と主張しているかのようにこくりと頷いた。
「でも――」と橘さんが抗議の声を上げようとした。それを無視して、水鳥は橘さんの手首を掴んで離れて行く。その途中、ちらちらと橘さんが納得のいかない顔をして振り返った。
……正直有難かった。
少しは頭を冷やす時間が貰えた。
冷静に振る舞えそうな気がした。
少なくても感情を押し付けないように言葉を選ぶことはできそうだ。
僕はアイスコーヒーを一口飲む。
少しの苦みが口に広がった。でもその味がなぜかほんの少し甘く感じた。
そして、舞を見つめるけど……舞は俯いたままだった。
「舞はなぜストーカー被害に遭っているだなんてことを僕に嘘をついたんだ?」
「……あなたに……気が付いて欲しくて……それで……」
「嘘を吐いた、と?」と僕は、ためらう素振りをした舞の言葉を拾う。
「うん」と舞は弱弱しく頷いた。
「っぷ」と僕は吹き出してしまった。その声を聴いた舞は顔を上げた。舞はぽかんとして、唖然とした表情をしていた。
いや不思議そうにする少し間抜けな顔だった。
「……悪い。でも、不器用すぎるだろ。気が付いてほしくて、ストーカー被害をでっちあげるのはいくら何でも、っぷ」
「なぜ、また笑うのよ?」と舞は不機嫌そうに眉を寄せた。
「今どき小学生でも、そんなアピールの仕方をしないだろうなと思ったら、笑いがこみ上げてきた、っぷ」
「だから、なぜ笑うのよ⁉」と舞は不貞腐れたように口を曲げて言った。
「……いや、ごめん。今のは、悩んでいた自分に対するもの」と僕は自嘲気味に笑った。
まさか本気で自分に気が付いてほしくて、僕に健気にアピールしていていたとは思わなかった。そのためだけに大掛かりな嘘を吐いていたことに驚き呆れた。
おそらくあの脅迫状も僕と一緒に映った写真もすべて手作りで、夏目優衣と一緒に作ったに違いない。
不自然にも二人だけで密会していたのもそのためなのかもしれない。
そこまでして僕に気が付いてほしかったのか。
不器用すぎる。
どこか抜けている。方向音痴もいいところだ。
それでも、それゆえに……拝島舞が愛おしく感じる。
それに対して、僕は――
裏切られた、と思っていた自分が情けない。気になる人から嘘を吐かれていて、落ち込んだ気持ちを自己正当化していた自分がもっと情けない。
何が『本当の被害に遭っているの気持ちを考えろ』だ。都合の良い言い訳だ。方便だ。そのような建前で、自分を誤魔化して、本音を隠して、嘘を吐いていた。
そう思ったら、自分のことが馬鹿馬鹿しくなった。
どうしようもなく幼稚で大人になり切れていない自分がおかしかった。
難しい言葉で着飾って意味も知らない言葉で自分を表現しようとしたことが、それこそ子供のようにおかしかった。
滑稽もここに極まれり。
道化師もいいところだ。
ただ、好きな女の子からの嘘に耐えられなかっただけなのに。
「……何だか不愉快だわ」と舞はそっぽを向いた。
そうだ。舞にはちょっと不機嫌そうでそれでいて微笑む姿が似合う。
卑屈になって、柄にもなく悲しそうに泣く姿はふさわしくない。
そう思った途端に、口を滑らしてしまった。
「舞にはその方が似合う」
「え?」と舞は惑いの声を上げた。
「何でもない」と僕は微笑む。
「……何よその視線は」と舞は泣き腫らした赤い目で少し頬を赤く染めて呟いた。
その後、僕たちは終始無言になった。
舞は僕と視線が合うと、照れくさそうにアイスティーを口へと運ぶ。そして、また僕をちらっと見る。少しうつむいてからまた僕を見た。
その間、僕は舞のことをずっと目を離さなかった。
もう少しこのまま一緒にいたいとそう思った。
∞
その後、僕は師匠に連絡をして舞を向かいに来てもらった。
師匠は僕を見て『わかったのかい?』と言った。
僕は無言で頷いて『舞をよろしくお願いします』と答えた。すると師匠は苦笑いで『お願いするのはこちらなのだけどね』と呟いた。その途端、舞が顔を赤く染めて『お、お兄様⁉』と慌てふためいた。
そのような兄妹コントを見て、両親とは上手くいっていなくても兄妹の仲が良いことにホッとした。よく考えれば、師匠も舞のことを気にかけていたのだから、心配する必要などなかったのかもしれない。
それから二人とは別れた。僕はと言うと、山田君に連絡をして山田君の自転車と僕のスクールバックを等価交換した。
いや、僕の一方的な押し付けかもしれない。
何にしても、自転車を倒してしまったことを謝罪した。すると、なぜか英語で『Oh My GODS!』と叫んでいた。すかさず僕は『傷はついていないみたいだから安心して』と確認した。山田君は『外面的な傷の問題ではないんだ。内面的な傷だよ!』と抗議された。
そこまで自転車に愛着を持っていたとは驚いた。僕は頭を下げて言った。
『ごめん。何でもするからその怒りを納めてもらえないだろうか』
すると、山田君はその言葉を待っていたとばかりにらんらんとした瞳で言った。
『今度、ツールドフランスのドキュメンタリー番組を一緒に観よう』
それ以降は有難い自転車に関するご高説をいただいた。部品やら器具やらの話へと移りそうになった。その時、幸運にも山田君の元へと着信が入った。
その瞬間、僕は機敏な動きで別れの挨拶を述べて駅へと向かった。そして、精神的にも肉体的にも疲れた体を引きずるようにして帰宅した。
それからシャワーを浴びたり、夕ご飯を食べたりした。
気が付いたら日付が変わるところだった。
いつの間にか、メールが届いていたようだ。
差出人は……舞からだ。
メールには、告白が書いてあった。
いや、正確には謝罪文だった。
疲れていて、正直なところ頭が働いていなかった。
それでも何とか返信を返そうと文章を考えた。あれやこれや考えて三回くらい推敲した。やっとの思いで最低限のメールを送信した。
そして寝落ちしてしまった。
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