第18話
私が背番号六番――黒田春斗を初めて見たのは、中学二年に上がった四月のことだった。
その日試合を見るまで、私はそれまでサッカーに興味はなかった。
そもそもその日も別にサッカーに興味があってきたわけではなかった。
ただ弟――俊吾が嬉しそうに一つ上の学年の試合でレギュラーに選ばれ始めたこと、そして明日の試合はどうしても見に来てくれと言ったから、仕方なく観戦しに行った。本当にそれだけだった。
そして、あなたたちの試合を見た。
私は圧倒された。
あなたたちのサッカーにじゃない。
背番号六番――黒田春斗のサッカーに。
ただ楽しそうにボールを蹴る背番号六番の姿に目を奪われた。夢中になって走る背番号六番の姿に見とれた。真剣にボールを追う後ろ姿が脳裏に焼き付いた。
あ、別に惚れたとかじゃないからね。勘違いしないでね。
……ごめん。嘘ついた。本当は惚れていたのかも。
でも、正直自分でもわからない。
だってあんなにも夢中になって何かに楽しそうに取り組む人を初めて見たのだもの。
ただ憧れていたのかもしれない。
私もこの人のようになりたい。夢中になって、取り組みたい。楽しそうに、ピアノに取り組みたい。そして、誰かを感動させられるくらいに上手になりたい。
そう思った。
そのころ、私はピアノが嫌いだった。ただコンクールで入賞するためにレッスンをする。ただそのためにピアノを弾く。
それが続く毎日。
時間を浪費していたとでも言った方が適切かもしれない。
本当に嫌で嫌で仕方がなかった。
私は何のためにピアノを弾いているのだろう?
気が付いたら、それしか思わなくなっていた。
うん、お母さんが熱心な人だったの。簡単に辞めることはできなかった。それに、有名なピアノの先生にも頼んでいたことも理由のひとつだった。
そんな時にさ、俊吾が楽しそうにサッカーの話をするわけ。
本当は頭に来た。私が悩んでいるのによく能天気にボールなんか蹴ってられるわね、内心ではバカにしていた。
でもそれと同時に、どうしてこんなにも楽しそうにサッカーの話ができるのだろうと疑問もあった。
だから、皮肉交じりで聞いてみたの。
『良く飽きもせずに続けられるわね。そんなに楽しい?』と。
そうしたら、なんて返してきたと思う?
『姉貴は何言っているの?俺よりも楽しそうにサッカーする人なら、チームメイトにいるよ。その人は、サッカーの時は機嫌いいけど、それ以外が目茶苦茶不愛想だぜ?あの人ほどサッカーを楽しそうにする人いないぜ。俺はあの人を尊敬している。だから今度試合を観に来てくれよ。その時分かるから』
そう背番号六番――黒田春斗のことだった。
これで俊吾が僕の練習に付き合い始めた理由が分かった?
えっと、さすがに私、それは初耳だった。
あれ、どうして急に仏頂面になったのよ?……ん?不愛想で傷ついたの?
でも本当のことでしょ。
だって春斗が普段チームメイトと話すときは、すごくつまらなさそうだったよ。それに、サッカー以外の話題に全然興味なさそうなのだもの……。
もちろん、そんな極端にわかるほどではないけど、よく観察したいたら気が付くとおもうわ。
どうして知っているのかって?
それはもちろん、たまにあなたたちの練習を見に行っていたもの。
それに覚えていないかしら?
ある日、サッカーの試合終わりに、告白されなかった?
そう、あの六月のこと。
友達の琴子ちゃん。すごっくかわいい子なのに、春斗があっけなく振ったでしょ。あまり覚えていない?それはあまりに非道すぎるわよ。
そんな様子も見ていたから、春斗がサッカー以外に興味がないことが分かったわけなの。
あ、今思い出した!
俊吾から春斗の好きな女の子タイプを聞き出した貰った時、あなた『金髪で強気で王女様みたいな性格の子』と言ったわよね⁉それを忠実に再現して、琴子ちゃんを送り出したのよ!それなのに、二言目に振るってそれはいくらなんでもひどいわ。
思い出した?怖いヤンキーに絡まれたのかと思ったですって⁉
春斗……自分の言葉に責任くらい持ちなさいよ。
はあ……もういいわ。
それと、私、ストーカーじゃないからね。
それに私が見に行ったときの方が試合に勝っていたじゃない。なぜかって?春斗は気が付かなかったみたいだけど、春斗のチームメイトたちから告白されていたの。
それとどういう関係があるのか?それは――
決まっているじゃない。私が勝利の女神だからよ。
はい、すみませんでした。そんな冷酷な視線を向けないでよ……。
女の子の冗談くらい軽く流せないと、彼女の一人もできないよ?
舞ちゃんにも同じことと言われたの?……舞ちゃんらしいな。
ごめん、私のつぶやきは置いて置くわ。
本当は『君のために試合に勝つ、もしも勝ったら付き合ってくれ』とか『君のためにハットトリックする』だから『試合を応援しに来てくれ』と言われていたからよ。
なんでこめかみを抑えているのよ。
はい……?チームメイトに呆れていた?
別にいいじゃない。青春だよ。
それで付き合ったのかって?
もちろん断ったわよ。
別に誰かと付き合いたいわけではなかったの。私、条件を満たしたら付き合うとは一言も言っていないもの。
男の心を弄ぶなですって?失敬な。私には、そんなつもりなかったわよ。
悪魔みたいですって⁉それを言うのなら、私は小悪魔系でしょ?
……無視しないでよ。無反応が一番傷つくのよ……?
……こほん、話を戻すよ。
でもね。本当は、嬉しかった。
告白されることにじゃないよ。背番号六番――黒田春斗の試合をまた見に来られる口実ができた、そう思うと自然と元気が湧いた。
私って単純だからすぐに影響されるの。
春斗が頑張っている姿を見ると、私もピアノを頑張ろうと、そう思えた。
でもそれは長くは続かなかった。
三年生に進級する前の試合を最後に背番号六番の姿を見かけなくなったから。
真相を聞いたのは、四月も過ぎた頃だった。
おかしいと思って俊吾にそれとなく聞いた。
するとひとこと『春斗先輩なら辞めたよ』と言った。
それから私はピアノを弾くことを辞めた。
別にあなたが辞めた影響ではないわよ。
ただあなたの影響があったのは事実。
意味不明……か。
そうね……うまく表現できているかどうかわからないけど、言葉にしてみるわ。
春斗が楽しそうなサッカーをする姿を見て、辛くて苦しくなったままピアノを弾きたくないと思ったの。
だからコンクールに出ることも有名な先生からのレッスンも辞退したの。
まあその後、私とお母さんの口論を引き金に第三次夏目家世界大戦が勃発したわ。第一次と第二次がなぜ抜け落ちているか?
そこは……まあ、いろいろあったの!
……こほん。
いずれにしても、ピアノを辞めた。
理由は単純明快。
だって自分の好きな楽曲で自分の好きな時に聞いてもらいたい人に聞いてもらえれば、私は満足だなと思ったからね。
それに気が付かせてくれたのは、背番号六番――黒田春斗の影響だった。
だから春斗には感謝しているのよ。
それから高校の入学式で偶然、あなたを見つけた。
一瞬でわかったよ。
けど春斗はサッカー部に入ろうとしなかった。
いつも放課後、教室に残ってグランドを見下ろしているくせにね。
ホント信じられなかった。
あの楽しそうにサッカーをしていた人はどこに行ってしまったのだろう。
なぜつまらなさそうにサッカーを見ているのだろう。そう思った。
だからそんな姿を見るに耐えかねて四月の終わりに春斗に話しかけた。
そして舞ちゃんに協力することにしたの。
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