海賊閣下と太陽の女神

喜楽寛々斎

プロローグ

 世界を股にかけた海賊閣下の妻は、ある日突然宝箱から現れた。


 それが本や舞台としての演出ではなく、純然たる事実であったことを知る者はあまり多くない。


 しかし印象が強烈なせいか、彼らの冒険譚のこの出会いについては、どのような表現媒体でもそのまま使われていることが多かった。それは子ども向けの絵本であっても変わらないらしい。


「海賊閣下はあやしみながらも、その大きな大きな宝箱に手をかけて……ぱかりと開けました。するとなんということでしょう。中から太陽の女神が現れたのです」

「おばあちゃん、ちがうよ、わすれてるよ」

「あら、何か忘れていたかしら」


 読んでほしいと渡された大ぶりの絵本は、双子の孫の大のお気に入りであるようだ。本は擦り切れたり折れたりして、彼らのこの物語への熱意を言葉にせずとも語っていた。


「めもくらむような、だよ」

「そのまえに、せかいじゅうのほうせきをあつめたよりもはるかにかがやく、もだよ」


 二人がたどたどしく言うことには、太陽の女神をたたえる言葉を忘れている、ということらしい。一瞬、老眼で行を読み飛ばしてしまったのかと思ったが、しかし気をつけて文字を追ってもそんな言葉はどこにもなかった。つまりこの絵本を読み聞かせた誰かが、幼い二人が覚えるほどに何度もその賛辞を繰り返したということだ。


「まぁまぁ、随分と褒め言葉が大盤振る舞いされたのね。……提督閣下がそういう風に読んで下さったの?」


 この家をよく訪れる人間で、そのような言葉を臆面もなく言ってのける心当たりはそう多くない。


「ううん。ていとくかっかもね、このよにふたつとないしほう?っていうけど……」

「せかいじゅうのほうせきよりもっていうのは、おじいちゃんだよ」


 予想外の相手に、思わず無言で振り返る。ついさっきまで「献本された本が堅苦しくて読みづらい」と揺り椅子に揺られることの方に勤しんでいたはずの夫は、突如としてお堅い本への熱意に目覚めたらしかった。紙面にかたくなに視線を落としたまま、こちらを見ようとしない。


「ねぇおばあちゃん、つづきをよんで?」

「それからかいぞくかっかとめがみさまはどうしたの?」


 もう何度も聞いてとっくに覚えているだろうに、孫たちは目をきらきらさせて続きをせがんでくる。


「はいはい。そうして、ガララタンで出会った海賊閣下と太陽の女神は……」

「がららたん?ふたりはそこであったの?」

「そうよ。この絵本には書いていないけれど……この宝箱はね、ガララタンの町の砦に届けられたの」


 そう言いながら指さした挿絵の青い宝箱———実際は家の紋章の色に合わせて深い赤色の宝箱だったのだが———をまじまじと見つめてから、双子の片割れは首をかしげた。


「おばあちゃん、がららたんってどこ?」

「ガララタンはこの国の西の方にある港町よ。港町っていうのはね、海がすぐそばにあって、お船がいっぱい停まる場所がある町のことなの。海鳥がミャアミャア鳴いて、海の匂いのする風が強く吹き抜けていく……そんなところよ」


 そう、あの日もそうだった。ガララタンの町に降り立った時のことは、何十年も経った今になっても時々思い出す。潮風とたわむれる町は活気にあふれ、波音はどこまでも雄大に自由を歌い、伸びやかに光を放つ太陽を浴びて海はきらきらと輝いていた。


 そんな町で、海賊閣下と太陽の女神は出会ったのである。

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