第29話:ユウト君との一日 〜朝からお昼まで〜
温かい…
「ん…」
「あ、ごめん。起こしちゃった?」
朝なのに元気な声が耳を撫でた。無邪気で、子供っぽくって、明るい。それでいて年相応に低い、魅力的な声。
目を開ければ、朝日に照らされたユウトさん…じゃなかった、ユウト君が優しく微笑んでいた。
ユウト君が私だけを見てる。それだけで生きていける気がする。
(夢…じゃないよね)
あまりの居心地の良さに、ふとそんな疑念が過ぎる。試しに頬をつねってみれば、痛かった。
「もう少し寝てても良かったのに…」
そう言って小さく笑うユウト君。さっきの印象とは反対に、雰囲気に大人っぽさが混じった。すごく可愛い。
跳ねる心臓の目覚まし時計が、私の意識をはっきりとさせる。ゆっくりと体を起こせば、ユウト君と目が合った。
「おはよ、ラフィ」
ニコッと笑った天使を前に、私の心が舞った。耳まで昇ってくるの熱がものすごく熱い。
ユウト君の顔が直視できなくて、思わず壁の方を見てしまった。
「どしたの?」
「う…あ…」
話したいのに、うまく口が動かない。ちょっと前は普通に話せてたのに、なんでなんだろう。
俯いて指をいじいじしていたら、視界の隅でユウト君が動いた。
「着替えてくる〜」
「ひゃ、ひゃい!」
ペタペタと、ユウト君が歩く音が聞こえる。それが止まったかと思えば、今度はシュルシュルと布が擦れる音がし始めた。
「ゆ、ユウト君!?」
慌てて顔を覆った。自分の手まで真っ赤になってるのが分かる。
「んー?どうかしたー?」
返ってきた返事は至って普通。ユウト君は全く気にしてないみたい。
(うぅ…どうしてそんなに平然としてられるの…?)
悶々とするのも束の間、パサッと布が落ちる音がした。
(服を脱いで…)
見たいという本能を抑え込みながら、ひたすらに手で顔を覆う。
正直気になる。すごく気になる。
でもいきなり見るのは失礼だし、その…心の準備も…まだ…
(って、私は何を…!)
見たいという本能と、見てはいけないという理性の
ぐるぐると思考が回る中、気がついたときには指の隙間から見てしまっていた。
(すごい背中…)
細身なのに、引き締まった体つき。少し日焼けしているけど、艶のある綺麗な肌。
ただの着替えのはずなのに、一挙一動が私の目を奪っていく。
視線に気が付いたのか、ふとユウト君が振り返った。
「背中、なんか付いてる?」
こてんと首を傾げるユウト君。小動物にも優るあざとさが、胸にグッとくる。
「な…なんでもない…よ…」
俯きながら、なんとか声を絞り出す。
「なんかついてたかな?」
もう一度チラッと見たら、ユウト君は鏡越しに背中を見ていた。しばらく不思議そうな顔を浮かべたあと、納得したように頷いた。
(あ…もしかして私が見てたから…)
何かまずいことをしたんじゃないか。
何か気に触ることをしたんじゃないか。
そんな不安が、頭の中を引っ掻き回す。
「今日何する?」
いつの間にか隣りにいた天使が、可愛らしい笑みを浮かべてる。その笑顔が悩みの霧をまとめて吹き飛ばしてくれた。抱きしめたくなる衝動を抑えつつ、なんとか考える。
(ユウト君としたいこと…いっぱいあるけど…)
悩んでいると、コンコンと扉が鳴った。しゃがんでいたユウト君が立ち上がって、覗き穴から外の様子を見てくれた。
「ラフィ、ドア…じゃなかった、扉開けて良い?」
「あ、うん」
「ありがとー」
カチャッと軽い音がして、ユウト君が廊下に顔を覗かせた。
「おはよ、セシリア、ティオナ」
「おはようございます、ユウトさん」
綺麗な淡い水色の髪が、楽しそうに揺れている。セシリア様もユウト君に会えて嬉しいのかな。
「おはようございます。昨日の夜は如何でしたか?」
「ティオナ!?」
セシリア様の声が響いた。
「ぐっすり寝たよ」
「そういう意味ではないのですが…」
和気藹々とした会話を片耳に、扉から死角になっているところでこっそり着替える。といっても屋敷は燃えてしまったから、急遽取り寄せてもらったものだけど。
普段は着ないような、フリフリがある上着に
(似合ってる…かな?ユウト君の好みだと良いんだけど…)
チラッとユウト君の方を見る。まだ三人で楽しそうに話していた。ちょっとモヤモヤする。
(あれ?この感覚、なんだろう?)
初めて感じた、胸の奥のモヤモヤ。悩んでる時のそれとはまた違う感覚。
軽く頬を叩き、気持ちを切り替え。ささっと化粧を済ませる。最後に髪を軽く一つにまとめて、ユウト君に貰った髪留めで止めた。
準備は出来たので、三人の輪にそれとなく混じった。
「お、ラフィも着替え終わった?」
「うん。どう…かな?変…じゃないかな?」
勇気を出して聞いてみれば、ユウト君はじっくりと私の格好を見た。そしてニコッと笑った。
「いいじゃん。似合ってるよ」
「あ、ありがとう…」
似合ってる…たったその一言なのに、表情がとろけてしまいそう。お父さんの時とも、みんなの時とも違う嬉しさが、全身を満たしていく。
「ユウト様ユウト様、具体的にどういいのですか?」
そう言ってティオナ様は、悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「詩的に言った方がいい?それとも普通?」
「宜しければ、どちらもお願い致します」
ちょっと真面目な雰囲気になったユウト君。あの純粋な口からは、どんな言葉が飛び出るんだろう。
鼓動が上がる。緊張と期待が膨らんでいる。ユウト君の口の動きが、やけに遅く見えた。
「ブラウスとスカート…じゃないわ、上着と…」
「
「ありがと、セシリア」
言い淀んでいるユウト君に、自然に助け舟を出すセシリア様。その息の揃い方は、長年連れ添った夫婦のよう。あのモヤモヤが湧きそうになった瞬間、天使の微笑みが戻ってきた。
「その行灯袴のフリル…フリフリの可愛さと落ち着いてる感じが、ラフィにすごく合ってる。言うなれば、朝日に呼ばれて舞い降りた、優美な女神…かな」
「「「…っ!!」」」
声にならない声が漏れた。全身を熱が駆け回り、プルプルと小刻みに震わせてくる。
貰い赤面とでも言えばいいかな。視界の端に映るセシリア様もティオナ様も、耳まで真っ赤に染まってる。
「ゆ、ユウト様は素晴らしい詩人なのですね」
「違うよ?」
一人平然としてるユウト君。こっちはいろいろとぐるぐるしてるのに…
(うぅ…恥ずかしい。な、なんとか話題を…)
この空気を変える話題。えっと、えっとーー
「ーーゆ、ユウト君!お腹空いてない!?」
「空いたー」
「あ、朝ごはんにしよ!」
早足で歩き出す。後ろで誰かの声がしたけど、頭の中がいっぱいいっぱいで聞き取れなかった。
ーーーー
どうにかこうにか、朝食の間に気分を落ち着かせた。チラッと隣りを見ると、ユウト君が、幸せいっぱいの笑顔でりんごの寄木焼きを堪能していた。
「アップルパイうまぁ!」
(意味はわからないけど可愛い…)
隣りの天使様に癒されていたら、セシリア様が何やら豪華な袋をユウト君に差し出した。
「ユウトさん、この間のお礼です」
「ん?この間?」
「捜索の手助けをしてくれたではないですか」
たっぷり数秒固まったあと、ユウト君は目を泳がせ始めた。
「いらないって言ったような…」
「受け取るとも言いましたよね?」
「…はい」
セシリア様の圧の前に、ユウト君が折れた。おずおずと袋を受け取り、中を覗き込んだ。
「眩し!目が!目があぁぁぁ!!」
「もう、何をしてるのですか」
「いや、金貨に光が反射してさぁ」
クスクスと上品に笑うセシリア様。まるで幼子と戯れる聖母のよう。美しさと可愛さが混じり合ってる二人の様子が、すごく眩しい。
(また…あのモヤモヤ…)
よく分からないあの感覚に悶々としてると、セシリア様とティオナ様が席を立った。
「それでは、私たちは予定がありますので…」
「いってら〜」
「い、いってらっしゃいませ」
慌てて立ち上がって、行灯袴を摘んで礼。御二方が部屋を出るのを見送った。
足音が聞こえなくなって、ホッと一息。ユウト君の方を見れば、困ったように笑っていた。
「これ…どうしよう…」
「ユウト君のお金だし、好きに使っていいんだよ?」
「それもそっか。ポッケにいれとこ」
またよく分からないことを言いながら、ユウト君はその袋を服のおとしにしまった。そのせいでパンパンに膨らんでいる。
「ユウト君、そのお金、預けたら?」
「口座持ってないよ」
「大丈夫!組合なら冒険者証を見せるだけで済むよ」
「そうなん?じゃあ行こ」
そんなこんなで、
人々が行き交う中、二人並んで歩く。同じくらいの背丈なのに、どうにもユウト君が小さく感じられる。なんでなんだろう。
「平和だなぁ」
キョロキョロと周りを見ながら、ユウト君が呟いた。
魔族の侵攻が止まって半年近く。レサヴァントに残っていた傷跡もかなり消えた。
(それどころか前よりも物々しくなってるけど)
これはたくさんの人が命を賭けて生み出してくれた、ほんのちょっとだけの平和。ずっとこんな時間が続けばいいのに…
「お金預けたいんだけど…」
そんなことを考えてると、いつの間にか見慣れた仕事場の前に立っていた。隣りに立つユウト君は早速、冒険者証を机に置き、おとしから袋を引っ張り出した。
「分かりました。少々お待ち下さい」
職員通路に入って行った同僚は、心なしかニヤニヤとしていた。なんでだろう。
(何か良いことでもあったのかな?)
嬉しそうな同僚が手際良く手続きを済ませていく。かなり気になるし、書類を書き終えたところで聞いてみることにした。
「何かあったんですか?」
「いやぁ、ラフィさんにもようやく春が来たなって思いまして」
「春…?」
季節的には今は夏。春はもう過ぎたはずなのだけれど…
(そもそも私に来るって?)
「はい、確かにお預かりしました」
悩んでる間に、ユウト君はお金を預け終えた。すっかり萎んだ豪華な袋をおとしにしまったユウト君に、同僚が近づいて、何やら耳打ち。ユウト君はこくんと頷くと、スッと右手を差し出してきた。
(これは…どういうこと?)
ユウト君を見れば、ニコニコと可愛らしい笑顔を浮かべている。でもその意図がわからない。数瞬の間に必死に考えた結果、一条の閃きが奔った。
(もしかして手を繋ぐってこと!?)
緊張と恥ずかしさが溢れ出し、全身が火照る。プルプルと手が震える。汗も掻いてる気がする。
恐る恐る手を乗せれば、ユウト君はぎゅっと握ってくれた。途端に嬉しさが満ち溢れ、気分がふわふわとし始めた。酔った時とは全く違う、心地の良い高揚感。ずっと沈んでいたくなる、甘い甘い幸福感。
ふと視界に、満面の笑みの同僚が映った。
「いいですねぇ」
ハッと我に返った。ついさっきの自分は、人には見せれないような顔をしていた気がする。
急激に羞恥心が膨らむ。手から汗がじわりと
「ゆ、ユウト君!次!次はどこに行きたい!?」
「じゃあファブロの店!」
慌てて恥ずかしさを誤魔化せば、純真無垢な明るい声が返ってきた。そんなユウト君の様子は、見ていてすごく癒さる。
結構ずっとニマニマしてる同僚に見送られ、私たちは菖蒲の天啓を出た。
くいくいと子供のように手を引っ張っるユウト君に案内されて、大通りを進む。手から伝わってくる温かさに、鼓動が高鳴り、頬が染まる。その熱を冷ますためか、手汗が止まらない。
(だ、だいじょぶかな?きもちわるいとかおもわれないかな?)
ユウト君を見れば、上機嫌に歌っていた。
「いいな〜いいな〜、にん〜げんのどこがいい〜?」
元気いっぱいの歌声。その明るさに、私まで楽しい気分になってくる。
「美味しいご飯にぽかぽかお風呂〜、あったかい家族が待ってるんだろな
僕はかえ〜ろお家へかえろ、でんでんでんぐりかえって、ばいにゃらホイ」
「ユウト君、その歌は?」
「んー?どっかで聴いた歌ー」
きっと吟遊詩人が歌ってたのを覚えたんだろうな。またユウト君の歌が聞きたい。
「ついた!」
狭い路地を抜けて、幾つかの角を曲がった先。そこには鍛冶屋の看板吊り下がってる、こじんまりとした建物があった。
「やっほーファブロ。邪魔するねー」
「来たか坊主。昨日ぶりだな」
生ける伝説の鍛治士、ファブロ。現勇者様御一行の装備のほとんどの生みの親で、人類最高峰の実力の持ち主と謳われてる。冒険者としても七級に属しているけど、実際は八級相当の力の持ち主。
「テラトゥリィ嬢、いつも世話になっている」
そう言ってファブロさんは深々と頭を下げた。
「い、いえ!仕事ですから!」
「それもそうか」
頭を上げたファブロさんは、ニカッと笑った。
「坊主、そいつの調子はどうだ?」
「インエイ?問題ないよ、振りやすいし、よく斬れる」
「そりゃそうだ。そいつは俺が鍛えた長剣の中で、最も軽く、最も切れ味がいいだからな」
「え!?」
ユウト君は驚きの声を上げると、背中の剣を下ろして両手に持った。重さを確かめるように上げて下げてを繰り返している。
「体感六キロはある…マガラタチですら四キロ超えくらいなのに…」
混乱した様子でぶつぶつ呟いてるユウト君。刃を眺めたり、手を当てて長さを確かめたりしている。
パッと顔を上げれば、焦ったような表情をしていた。
「ファブロ!普通はどんくらいの重さなん!?」
「普通か?そうだな…長剣ならそいつの十倍くらいか?」
ユウト君が固まった。たっぷり数十秒固まって、納得したように頷いた。
「そういえばティオナのレイピアも、セシリアの杖も、ヴェラのヴァンブレイスも結構重かった…」
「坊主?」
「ラフィ!腕を固めるから押してみて!」
「う、うん」
ユウト君は右手を地面と水平に上げた。そこにそっと手を乗せ、ちょっと力を入れる。
「むむむむ!」
血が昇って赤くなる顔が、ユウト君が本気なことを全力で主張している。
(ユウト君…)
「終わり!ありがと、ラフィ」
ちょっと息が上がってるユウト君は、顎に手を当てて黙りこんだ。何を考えてるんだろう。
しばらくして、ユウト君はゆっくりと顔を上げた。
「そういうこと…になるかぁ」
「何かあったの?」
「いや、俺って弱いなぁって」
ちょっと悲しそうに言うユウト君。なんでか胸の奥がゾクゾクした。
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