第49話 認められる

 セレスティアが一歩、前へ出た。

 緊張で足がわずかに震えている。

 その瞳には確かな決意が宿っていた。


 アルディアスはその様子を見て、片方の眉、いや、竜の眼窩をわずかに持ち上げた。

 そして、ちらりとロジャーに視線を送る。


「……念のために聞いておくが。本当に手を出さぬのだな?」

「ああ、当然だ。俺は見守るだけだ」


 ロジャーは腕を組んで頷く。

 その顔には余裕の笑みが浮かんでいた。


「ただし、殺すなよ」


 ロジャーの声が低く響く。

 その瞬間、アルディアスの背筋を冷たいものが走った。

 あの穏やかな声の裏に鋭い刃のような威圧感が潜んでいたのだ。


「……心得た」


 不承不承といった様子で、アルディアスは喉を鳴らす。

 正直、目の前の少女からは脅威などまるで感じられない。

 力の差は歴然だ。

 息を吹きかけるだけで吹き飛ぶほどに。


 だが、ロジャーの視線がある。

 あの男が「殺すな」と言った以上、軽々に力を振るえば後が怖い。


「まったく……難儀なことを押し付ける」


 アルディアスは深く息を吸い込み、爪をわずかに立てた。

 巨体が軋むような音を立てて動く。


「来い、人間の娘。お前の覚悟と力を見せてみよ」


 低く唸るような声が響く。

 セレスティアは一瞬だけ瞼を閉じ、深く息を吸い込んだ。

 そして、剣を構える。


「……はいっ!」


 鋭い返事と同時に、地面を蹴った。

 砂が舞い上がり、彼女の小柄な身体が一直線に青き巨竜へと突き進む。

 アルディアスの瞳がわずかに見開かれる。

 恐怖ではなく好奇心。


「ほう……そう来るか!」


 竜の尾が風を裂いた。

 その一撃は手加減しているとはいえ、受ければ即死の威力。

 だがセレスティアは紙一重で回避し、反対側へと回り込む。


「まだっ!」


 叫びと共に、剣が青い鱗に当たる。

 しかし、弾かれる。

 火花が散り、手に痺れが走る。


「……悪くない。恐怖で足が止まらぬだけでも上出来よ」


 アルディアスの口角が吊り上がる。

 セレスティアは歯を食いしばりながらも、再び構え直す。

 ロジャーは腕を組みながら、そんな二人をじっと見つめていた。

 その顔には師としての誇りが浮かんでいる。


「いいぞ、セレス。竜相手に引かねぇのは大したもんだ」


 アルディアスとセレスティアの激しい攻防をロジャーは腕を組んで静かに見つめていた。

 その隣にアマンダとアンナがそっと歩み寄ってくる。


「……ねえ、ロジャー。本当に大丈夫なの?」

「セレスお嬢様……あの巨体のドラゴン相手に、一人で……」


 不安を隠せない二人の声。

 しかし、ロジャーの表情は微動だにしなかった。


「大丈夫だ」


 その言葉は短く、だが確信に満ちていた。

 アマンダが眉を寄せ、ロジャーを見上げる。


「本気でそう思ってるの?」

「ああ。セレスは俺の弟子だ。ここまで積み重ねてきたものを簡単に崩すようなヤツじゃねぇ」


 ロジャーは静かに言いながら、視線をドラゴンの方へ戻す。

 その目は厳しくも温かい、師のそれだった。


「……けどな」


 低く呟き、ロジャーは続ける。


「もし危なくなったら、その時は俺が出る」

「ロジャー……」

「ただし、俺が出た時点でセレスには悪いがドラゴンのテイムは諦めてもらう」


 冷たい声色に二人は思わず息を呑んだ。

 だが、その言葉の奥には本気で弟子を試している師の覚悟が滲んでいた。


「ここまでお膳立てして、チャンスを掴めないようなら……それはもう仕方ないだろう」


 ロジャーの言葉にアマンダは苦い顔で頷いた。


「……あんた、ほんとに厳しいわね」

「師匠として当然だ」


 アンナも唇を噛み、俯いたまま小さく頷く。


「……わかりました。セレスお嬢様を信じます」


 ロジャーはそんな二人を横目で見やり、僅かに口元を緩めた。


「それでいい。信じるってのは、口で言うよりずっと難しいことだからな」


 その瞬間、轟音が響いた。

 アルディアスの尾が地面を叩きつけ、衝撃で砂塵が舞い上がる。

 その中から飛び出したセレスティアの姿が見え、三人の視線が同時に向けられた。


「……さあ、見せてみろ。お前の覚悟とこれまでの成果を」


 ロジャーが低く呟いたその声は戦場の喧騒を切り裂くように静かで力強かった。


 セレスティアは息を荒らげながら泥と砂にまみれた足を前へと踏み出した。

 全身に走る痛みはもう数えることもできない。

 けれど、まだ終われない。


「はぁっ……はぁっ……!」


 血の滲む掌で剣を握り直す。

 視界が揺らぎ、焦点が合わなくても彼女は決して膝をつかなかった。


 その姿をルディアスは鋭い瞳で見下ろしていた。

 その青き鱗にはいくつもの浅い傷が刻まれ、息も荒い。

 人間の娘ごときに、ここまで粘られるとは思ってもいなかった。


「……ここまで来るとはな。愚直だが……悪くない。だが――」


 アルディアスが一歩、地を踏みしめた瞬間、大地が震えた。

 彼の尾が横薙ぎに振るわれ、セレスティアの身体を弾き飛ばす。


「ぐっ!!」


 地面を転がり、背中に衝撃が走る。

 だが、セレスティアはすぐに膝をつき、剣を杖代わりにして立ち上がった。


「まだ……だっ!」


 その声にアルディアスの金色の瞳がわずかに揺れた。


「……なぜ立つ? ここまで痛めつけられてなお、勝ち目などないのに」

「勝ち負けではない!」


 セレスティアの声が森に響いた。

 震えながらも確かな意志が宿っていた。


「私は師匠に教わった。諦めない心こそが人の強さだと!」

「……!」

「私を鍛えてくれた師匠のために! 支えてくれたアマンダさんとアンナのために! そして、私自身が誇れる自分であるために!」


 涙と汗を混ぜながらセレスティアは叫んだ。

 その姿は小さくても決して折れない炎のようだった。


「人の子が……ここまでの覚悟を……」


 アルディアスは低く唸る。

 胸の奥にかすかに何かが灯るのを感じていた。

 誇り高き竜としての力ではなく、意志に押されている。


「……認めぬわけにはいかぬ、か」


 アルディアスが小さく呟く。

 しかし、その瞳にはまだ試すような光が宿っていた。


「だが、証を見せてみろ。貴様の覚悟が本物ならば、その刃で我が鱗を穿ってみせよ!」


 雄叫びと共に周囲の風が渦を巻いた。

 アルディアスが真の力を解放する。

 それはセレスティアにとってまさに最後の試練だった。


 アルディアスが大きく息を吸い込む。

 大気が震え、周囲の木々がざわめいた。


「――見せてやろう。我ら竜の真なる力を!」


 次の瞬間、咆哮と共に蒼き閃光が解き放たれた。

 空気を焦がし、地を裂くドラゴンブレス。


「――セレス!!」


 ロジャーの目が見開かれる。

 即座に地を蹴ろうとしたその瞬間、彼の前にセレスティアの声が響いた。


「まだ、私はっ!!!」


 恐怖を振り払い、セレスティアは真正面からブレスへと突っ込んだ。

 炎と風が入り混じった奔流の中、彼女の小さな体が飲み込まれる。


「っ――!」


 アンナが悲鳴を上げ、アマンダが思わず駆け出しかける。

 だが、ロジャーは拳を握りしめ、歯を食いしばった。


「(信じろ……! あいつなら、やり遂げる!)」


 灼熱の閃光を貫き、そこから一条の影が飛び出した。


「うおおおおおおおおおおおおっ!!!」


 咆哮と共に、セレスティアが剣を振り抜く。

 刃が蒼き鱗を裂き、火花と鮮血が舞い上がる。


「……!?」


 アルディアスの巨体が揺れた。

 わずか、ほんのわずかに、だが確かにその鱗に一本の傷が刻まれていた。


「人の子が……我が鱗を穿った……だと……!」


 驚愕と共にアルディアスが目を見開く。

 だが、勝利の瞬間、セレスティアの身体が糸の切れたように崩れ落ちた。


「不味い!」


 ロジャーが叫び、地を蹴る。

 だが、それよりも早く、アルディアスが翼を広げた。

 風を切り、巨体が一瞬でセレスティアの落下地点へと舞い降りる。

 その腕、いや、爪の中で彼女を優しく受け止めた。


「……まだまだ、か弱き存在よ。だが――」


 アルディアスは目を細め、微かな笑みを浮かべる。


「その心意気と覚悟、確かに見届けた。汝の勇気、我アルディアスが認めよう」


 巨竜の言葉にロジャーは静かに頷いた。

 口元には満足げな笑みが浮かんでいる。


「よくやったな、セレス……立派だったぞ」


 アマンダとアンナは思わず顔を見合わせ、まるで自分のことのように歓喜の涙をこぼす。


「やった……本当にやったわ!」

「セレスお嬢様……ついに……!」


 森に静かな風が吹き抜ける。

 その風は竜と人、そして師弟の間に生まれた絆の証のように柔らかく包み込んでいった。

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