第38話 襲い来る魔物の大群

 ◇◇◇◇


 荒れ狂う魔物の群れが、轟音と砂煙を上げながら防壁へ押し寄せてくる。

 防壁の上、弓を握るアマンダは矢を番え、引き絞り、放つ。

 矢は次々と飛び、狼型や蜥蜴型の魔物の眉間を貫いた。


「っ……どれだけ射っても減らないじゃないのよ!」


 汗が額を伝う。

 矢筒の中身が減っていく焦燥感と、押し寄せる魔物の圧力が胸を押しつぶす。

 それでも手を止めることはできない。

 矢を引き、放ち、仲間を支える。

 それが彼女の戦いだった。


 防壁の内側、弓兵たちの背を走り抜けながら、矢束を抱えて駆けるセレスティア。

 肩で息をし、汗で濡れた髪を振り乱しながらも、必死に声を上げる。


「補給です! 次の矢はこちらに!」


 矢を手渡すたび、目に飛び込んでくるのは戦場の現実だった。

 黒い奔流のように押し寄せる魔物たち。

 防壁にぶつかり、門を砕こうと体当たりを繰り返す姿に、セレスティアは思わず息を呑む。


「これが本当の戦場……」


 震える脚を必死に叱咤し、再び矢束を抱えて走り出した。


 後方の治療所。

 アンナは止血用の布を押さえ、薬を塗り、ポーションを注ぎ込む。

 だが、次から次へと担ぎ込まれる兵士の数は増える一方だった。


「こ、これ以上は寝かせる場所が……!」


 血に染まった布の山。

 呻き声と怒号。

 アンナは冷静さを保とうと努めながらも、胸の奥で恐怖と焦燥が膨れ上がっていく。


「アマンダさん、セレスお嬢様。無事でいらっしゃいますか……?」


 祈るように唇を噛み、再び包帯を巻き付ける。

 その手は震えていたが、決して止まることはなかった。


 防壁の外では、魔物たちが門を砕こうと突進を繰り返す。

 矢の雨を浴びても、魔法で吹き飛ばされても、仲間が死に崩れ落ちても群れは止まらない。

 石を投げ、炎を吐き、鋭い爪を振り回しながら、ただひたすら街を目指して前進を続けていた。


 防壁の上では、指揮官の怒号が飛び交っていた。


「矢を絶やすな! 魔法部隊は前方に火球を! 剣士は待機、突破してきた奴らを叩け!」


 冒険者も兵士も区別なく、歯を食いしばりながら指示に従う。

 だが、押し寄せる魔物の数はあまりにも多い。

 矢を射ち尽くす音、詠唱の途切れる声、震える呼吸。

 精神的な負担と体力の消耗は、確実に前線の隅々を蝕んでいた。


「くそっ……! もう無理だ……! いくら撃っても終わらない!」


 アマンダのすぐ傍で魔法を放っていた若い冒険者が、震える声で弱音を吐いた。

 杖を握る手は汗に濡れ、膝ががくがくと震えている。

 アマンダは鋭い目で若者を睨みつけ、声を張り上げた。


「弱音を吐いてる暇があるなら、一匹でも多く倒しなっ!」


 若者は息を呑み、必死に詠唱を再開する。

 だが、アマンダ自身も心の奥底では、その若者と同じ気持ちを抱えていた。


「(でも、正直、その気持ちはわかる。いくら倒しても終わらない……。まるで地獄だわ)」


 矢は減り、仲間は疲弊し、叫び声と血の匂いが防壁の上を満たしていく。

 胸の奥に冷たい不安が巣食い、士気が目に見えて下がっていくのを感じずにはいられなかった。


 その時、轟音が街を揺らした。

 頑丈な鉄と厚い木で造られた城門が軋みを上げて、歪んでいく。


「や、やばいぞ……!」

「く、来る……来るぞっ!」


 外から押し寄せるのは、数百を超える魔物の大群。

 突進の衝撃で石畳が揺れ、門の蝶番が悲鳴を上げている。


 セレスティアは剣と盾を構え、唇を噛み締めた。

 両隣に立つのは、まだ顔にあどけなさを残す新米兵士や駆け出しの冒険者たち。

 その誰もが、今にも腰を抜かしそうに震えていた。


 だが、逃げ場はない。

 門を突破されれば、背後にいる市民たちが蹂躙される。

 避難は始まっているものの、市民全員の避難が完了したという報告は未だない。


「……っ!」


 セレスティアの手も汗で滑る。

 膝が震え、胸が苦しくて呼吸すら乱れる。

 それでも、一歩も退かずに立ち続けた。


「みんな……! 私たちがここで止めなきゃならない! 逃げるわけにはいかないのだ!」


 声は震えていた。

 だが、その叫びに隣の新米兵士が必死に頷き、槍を握り直す。

 震えながらも、剣と盾を構える冒険者たち。


 その瞬間、門が爆ぜるような音を立て、ついに大きく歪んだ。

 裂け目から、牙を剥いた魔物の群れが雪崩れ込もうと迫っていた。


 耐えきれなくなった門が、大きな音を立てて裂ける。

 その隙間から、涎を垂らし、血走った目で唸る魔物たちが次々と姿を現す。


 腐臭をまとった牙。

 地響きのような咆哮。


「ひっ……!」

「む、無理だ……! 死ぬ……っ!」


 最前線に立つ新米兵士や新人冒険者の顔が蒼白に染まる。

 手にした槍が震え、剣を持つ手が汗で滑る。


「全員、構えろッ!」


 声を張り上げたのは、セレスティアだった。

 喉の奥は乾ききっていたが、それでも一歩前に出て、盾を構える。


「ここを抜かせれば、市民たちが殺される! 逃げ場なんてないんだ! ならば、戦うしかないだろう!」


 必死の叫びに、背後の者たちが一斉に顔を上げる。

 その瞳にはわずかに炎が戻っていく。


「私が先陣を切る! ついてこい!」


 セレスティアは恐怖を押し殺し、裂け目から躍り出てくる魔物へ真っ向から斬りかかった。

 剣が甲殻を裂き、血飛沫が飛ぶ。

 続けざまに盾で押し返し、仲間が体勢を立て直す時間を稼ぐ。


「ひとりじゃない! 私たち全員で止めるんだ!」


 叫びと共に剣を振るい続けるその姿は、誰よりも小柄で未熟なはずの少女が仲間たちの心を奮い立たせる切り込み隊長そのものだった。


 防壁の上で矢を射続けていたアマンダの耳に、兵士の叫びが届いた。


「も、門が突破されたぞ!!」


 アマンダは思わず顔を強張らせる。


「セレス……ッ!」


 胸を焦がす不安を押し殺しながら、彼女は矢を番え、眼下の混乱へと狙いを定める。

 その視線の先でセレスティアが必死に剣と盾を振るい、仲間を鼓舞する姿があった。


「……あの子、やるじゃない!」


 アマンダは短く息を吐き、再び矢を放った。


「弓兵は援護に徹し、防壁外の魔物を削れ! 剣を扱える者は前に出て、門を突破された仲間を援護しろ!」


 指揮官の怒号が飛ぶ。

 冒険者も兵士も、一瞬の迷いを捨て、叫びと共に動き出した。


 だが、門から溢れ出す魔物たちは止まらない。

 せき止めていた水が一気に堰を切ったように、怒涛の勢いで雪崩れ込んでくる。


「くっ……! 止まれぇっ!」


 剣と盾を構えるセレスティアが叫び、真正面から斬りかかった。

 だが、一体を斬り伏せても、すぐさま二体、三体が襲い掛かってくる。


 牙を剥く獣型。

 毒牙を持つ蛇型。

 岩のような甲殻を纏った虫型。


 多種多様な魔物たちが押し寄せ、視界を埋め尽くした。


「はあっ! たあっ!」


 必死に剣を振るい、盾で弾き飛ばす。

 その姿は仲間たちに勇気を与えていた。

 セレスティアの奮闘に触発され、恐怖で足が竦んでいた新米兵士たちが少しずつ剣を振るい始める。


「お嬢様が戦ってるんだ! 俺たちも!」

「逃げてたら街が滅ぶぞ!」


 声が広がり、戦意が戻る。

 だが、敵の数はあまりにも多かった。

 セレスティアの剣筋がわずかに鈍る。

 盾で一撃を防ぎきれず、肩口に深い傷が走った。


「ぐっ……!」


 熱い血が流れ、腕が痺れる。

 それでも退くことなく、次の魔物に向き直る。


 だが、傷は一つや二つではなかった。

 絶え間なく押し寄せる魔物の群れに、防御も追いつかず、彼女の体には次々と傷が刻まれていく。


「セレス……!」


 防壁の上から見守るアマンダの眉が険しく寄せられた。

 彼女の矢が飛び、セレスを襲おうとしていた魔物の喉を射抜く。


 それでも戦場は乱戦状態。

 セレスティアの足元に積み重なった魔物の死体の上へ、さらに新たな魔物が躍りかかってきた。

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