第18話 ドラゴンではなかった……
◇◇◇◇
陽が昇り、空が金色に染まる頃、一行はすでに宿の前に集まっていた。
「ふぁぁ……! まだ眠いです……」
欠伸を噛み殺しながらアンナが目をこする隣で、モモルが丸くなってロジャーの肩に乗っている。
セレスティアは髪を丁寧に整え、アマンダは窓辺で朝の光を浴びながら気持ちよさそうに身体を伸ばしていた。
「よし。準備は万端だな!」
ロジャーは使い魔たちの装備を丁寧に確認しながら、満足げにうなずいた。
「いや、師匠……。どう見ても使い魔たちの準備だけじゃないか?」
「当然だろう。俺はサポートでしかない。主役はこの子たちだからな」
「やっぱり変態です……」
アンナが呆れ顔でぼやくと、アマンダがくすりと笑った。
「……じゃあ、行きましょうか。情報によれば、目的地はこの街から南西に三時間ほど歩いた崖地帯。
「ドラゴンが目撃されたと言われる場所ですね」
アンナは、昨夜の会話を思い出しながら真剣な表情を浮かべた。
「覚悟はできてるか?」
ロジャーの問いに、セレスティアはまっすぐにうなずいた。
「はい。私に足りないものを知るために、行きます」
「よーし、それでこそだ。ただし、くれぐれも無理はするなよ?」
「師匠が言うと説得力がないのが不思議だな……」
「俺はいいんだよ、俺は!」
冗談まじりの会話で空気が少し和らぎ、朝の冷たい空気を切り裂くように一行は街の門を抜けていった。
街道を進むうちに、整えられた石畳はいつの間にか途切れ、土と小石の道へと変わった。
足元には霜が残り、吐く息が白く流れる。
「寒い……」とセレスティアが小さく肩をすくめると、ロジャーは平然と笑う。
「ドラゴンの住処ってのは、得てして厳しい土地にあるもんだ。気を抜くなよ」
その横でアンナが目を細める。
「ロジャーさん。セレスお嬢様は依頼主ですよ。もっと気遣ってあげてください!」
「そうは言われても、師匠と弟子の関係だからな……。しかし、女神であるアンナが言うからには仕方がない!」
シロモンに懐かれているアンナを女神と称えるロジャーはセレスティアにミミフィーヌを抱っこさせた。
「師匠。これは?」
「見ての通りだ! ミミフィーヌは暖かいからな! 抱っこしていれば、体も温まり、心も温まるだろう! 最高じゃないか!」
「そ、そうか。心遣いは有り難く受け取っておこう……」
セレスティアはおそるおそるミミフィーヌを胸に抱いた。
ふわふわの毛並みが頬をくすぐり、意外なほどの体温が全身に伝わってくる。
「……ほんとだ。驚くくらい暖かい」
「だろう? これぞ癒やし! 寒空の旅にミミフィーヌは最適解だ!」
ロジャーが胸を張る一方で、アンナはこめかみに手を当ててため息をつく。
「……そういうことじゃないんですよ」
「大ありだ! 心が折れたら冒険は続かないからな!」
「……はいはい」
少し和んだ空気のまま一行は歩みを進める。
だが、やがて崖地帯に差しかかると、吹き上げる風が三人の頬を刺し、空気は一変した。
岩肌に残る深い爪痕、焦げついた黒い痕跡が、不吉な存在の影を示していた。
セレスティアが息をのむ。
「これ……まさか……」
「そうだな。少なくとも、普通の魔物じゃねえ」
ロジャーの声に、三人の表情が一気に引き締まった。
それから、慎重に崖沿いの道を進んでいた一行は、ふと風に乗って漂う血の匂いに足を止めた。
「……鼻にくるな」
ロジャーが眉をひそめる。
崖下を覗き込むと、そこには巨大な獣の死骸が転がっていた。
鱗に覆われた体躯、鋭い牙。
普通の冒険者が遭遇すれば命を落としかねないAランクの魔物、
だが、その巨体の一部はまるで食いちぎられたように失われており、内臓は無惨に引きずり出されていた。
「これは……!」
セレスティアの顔が青ざめる。
アンナも思わず後ずさった。
「岩牙獣は数人の上級冒険者でも苦戦する魔物だ。それが、こんな餌のように食われてるなんてな……」
ロジャーの声には普段の飄々さは欠片もなかった。
風が強く吹き抜け、血と焼け焦げの匂いが混じる。
崖の岩肌には黒く焦げた跡は高熱によるものがはっきりと残っていた。
「……Aランクどころじゃない。Sランク級……いや」
ロジャーは一瞬、言葉を飲み込んだ。
仲間の視線を受けて、低く呟く。
「――ドラゴン、かもしれないな」
その言葉に、セレスティアもアンナも息を呑んだ。
空気が一気に張り詰め、崖の向こうから吹き込む風が、何かの予兆のように冷たく肌を撫でた。
ロジャーは仲間たちを見渡し、改めて口を開いた。
「……確認しておくぞ。岩牙獣を餌にできるような化け物が、この先にいる。場合によっては、ドラゴンだ。それでも進むか?」
緊張が走る一瞬。
セレスティアは唇を噛み、だが目を逸らさずに力強く頷いた。
「進もう。私は、自分に足りないものを知るためにここに来たんだ。怖いけど、それでも前に進む」
アンナが心配そうにセレスティアを見たが、結局その決意を尊重して小さく頷く。
ロジャーも苦笑し、肩をすくめた。
「……ったく。お嬢様は強情だな。けど、それでこそだ」
一行はさらに崖道の奥へと進んだ。
だが次の瞬間、シロモンが急に震え出し、アンナの服の中へ潜り込んでしまう。
「シ、シロモン?」
怯えきった使い魔の様子に、ロジャーの目が鋭く光る。
足を止め、手を挙げて仲間に合図した。
「……この先に何かいる。間違いない」
さらに歩を進めると、アマンダが立ち止まった。
その目は険しく、弓を構えながら小さく吐き出す。
「……感じるわ。肌に突き刺すような気配。間違いない、この先にいる」
風が止まり、あたりの空気が凍りついたかのような静寂が訪れる。
一行は互いに視線を交わし、ついに目的の魔物との邂逅が近いことを悟った。
やがて、崖道の先で空気が震えた。
肌を突き刺すような圧が一気に強まり、視界の奥に巨大な影が揺れる。
「来るぞ!」
ロジャーの叫びと同時に、それは姿を現した。
獅子の咆哮が空気を震わせ、雷光が毛並みを走る。
ヤギの胴体は異様な膂力を誇り、背からはコウモリの翼が大きく広がっていた。
尻尾の蛇は舌をチロチロと震わせ、滴る液体が地面に落ちた瞬間、じゅうっと音を立てて石を溶かした。
「キマイラ……ッ!」
アマンダの声は震えていた。
「Aランク以上の化け物だ! 火を吐き、雷を操り、毒を撒き、さらに飛ぶ……。これじゃ旅人がドラゴンと見間違えてもおかしくない!」
次の瞬間、獅子の口から火炎が吐き出され、崖の岩肌が真っ赤に焼き爛れた。
焦げた風が吹き抜け、一行は咄嗟に身を伏せる。
「……やれやれ。いきなり本命級がお出ましか」
ロジャーは肩を回し、口元に笑みを浮かべながらも、その瞳は真剣そのものだった。
セレスティアは剣の柄を握りしめ、決意を胸に前へ踏み出す。
セレスティアは喉が焼け付くような恐怖を覚えながらも、目を逸らさなかった。
あの獅子の頭から迸る炎も、蛇の尻尾から滴る猛毒も――全てが死を意味している。
だが、放置すれば、いずれ人里に降り、無辜の人々を襲うかもしれない。
「……ここで退けば、ドラゴンなんて夢のまた夢だ」
そう呟き、剣を抜いたセレスティアの瞳には恐怖と同じくらいの決意が宿っていた。
「セレスお嬢様!」
アンナが声を上げるが、セレスティアは振り返らずに言う。
「アンナ、あなたは使い魔たちと一緒に下がって。私を信じて待っていてくれ!」
「……わかりました。ただし、絶対に無茶はしないでください!」
アンナはシロモンたちを抱えて後退し、岩陰に身を隠した。
その間に、ロジャーとアマンダはすでに前へ躍り出ていた。
ロジャーは拳を握り締め、豪快に叫ぶ。
「見ててくれ、みんな! 俺の勇姿を!」
アマンダは冷静に弓を引き絞り、雷光を帯びた矢を番える。
「ロジャー、突っ込みすぎないでよ。連携を取るわよ!」
獅子の咆哮と共に炎が吐き出される。
ロジャーは拳で地面を突き、土煙を巻き上げて視界を遮る。
そこへアマンダの雷矢が走り、火炎を切り裂くように突き抜けた。
「……今だ!」
セレスティアは心臓を叩く鼓動を無理やり押さえ込み、炎の余波を抜けて突撃する。
剣を握る手は震えていたが、彼女の瞳は確かに前を見ていた。
「これしきで怯んでいたら、ドラゴンなんて到底……っ!」
銀の剣閃がキマイラの前脚を掠め、獅子の怒号を引き出す。
炎と雷光が荒れ狂う戦場の中で、セレスティアは己の覚悟を証明するように果敢に立ち向かっていった。
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