始まりの「三章」

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 翌日。俺は授業が終わり次第図書室に向かい、いつものように栞を待っていた。


 スマホの「今日図書室行くよー」と、スタンプと一緒に送られているトーク画面を見ながらため息をつく。


 今日告白しなければならないのかと思うと足がすくむ。告白の言葉も伝えたい気持ちも、全てが曖昧模糊で霧のようだ。


 ただ、そこに存在しているという事実だけがやけに鬱陶しく心のわだかまりとして居残り続けている。


 久遠もこういう気持ちだったのだろうか。そうやって勇気を出し、フラれ。理想が理想でしかなくなって。


「フラれたくないなあ……」


 ダサい本音が胃の底から這い上がってくる。昨日も碌に眠れていない。自信も確信も無いのによく告白なんて出来るよな。なんてぼーっとした頭で悪態をついていると電話がかかってきた。


『もしもし、蓮?』


「どうした、今、余裕ないんだけど」


『だと思った、なので私が勇気づけてあげようと思います!』


 昨日ぶりの久遠の声はいつも通りで、その通常通りの違和感と、久遠の安心感が俺の耳を傾けさせる。


「頼んでいいか、悪いな。このままだと告白する前に体壊しそうなんだよ」


『安心して、しおりんは絶対蓮の告白を断ったりしないから。考えてみて? しおりんに蓮以外の選択肢あると思う?』


「根拠が酷いな。一理あるけど」


 クラスが違うので学校の栞を見る機会は少ないが、男っ気があるとは思えない。流石にデートまでして彼氏がいるってオチも信じられない。もしすでに彼氏がいるなんて言われたら泣いてしまう。


『大丈夫だから、きっと、蓮としおりんはうまくいくよ……』


 スピーカーから沈んだ声が聞こえる。そうだ、久遠だってまだ割り切れているはずないのだ。それなのにこうやって励ましてくれている。


「そうか、ありがとうな。感謝してる」


『へへっ、今ならまだ間に合うよ?』


「本当に、ありがとう……」


『話、聞けし』


 久遠の言葉に苦笑すると、スマホからも小さく笑い声が聞こえてくる。


『私もう部活だ。頑張ってね!』


「おう」


 電話が切れると、久遠の声に代わりに沈黙が流れる。気づけば先ほどのような不安も少しは軽くなった気がする。


 俺はもう一度伝える言葉を復習しながら、栞が来るのを待った。


「あれ? 氷室くん本読んでないじゃん、熱?」


 栞の声に無意識下で背筋が伸びる。栞の指摘は真っ当だ。いつも本を読んで待っているのだから手持ち無沙汰で座っているのは違和感があるのだろう。


「ちょっとな。てか俺は熱でも読むぞ。なんてったって文豪だからな」


「作者に失礼でしょ、えほっ」


 咳き込む栞の正論パンチを真に受けながら、緊張を隠すように平然を装う。


「咳大丈夫か、栞が熱なんじゃ?」


「大丈夫だよ、夏風邪だから」


「もう冬だろ」


 今は十二月目前。気温も下がり、テストが終われば冬休みが始まる頃だ。現実逃避しながら告白のタイミングを見計らう。


 栞とのデート二日目に好きだと自覚してから、何度も図書室で時間を過ごした。出会ったのもこの部屋だ。


 だからと繋げるのが正解なのだろうか。俺はこの図書室で告白したいと思った。既に栞はいつもの席に着いていて、時計の音だけが俺の行動を急かす。


 デートの誘い的なのはスラリと出来た筈なのに、喉の奥がつっかえたようで声が上手く出せない。


「もう冬休みだね、どこ行こっか?」


「行くことは決まってるんだな」


「どうせ暇でしょ? 氷室くんは来年受験生だし遊べるうちに遊んどかないと」


 雑談のようにカバンから本を取り出しながら栞は会話を促す。学生鞄から出てきた本には俺がプレゼントしたブックカバーが付けられていて、それだけで嬉しくなる。


「そうか、そう言えば栞は大学どこ受けるんだ?」


「んんっ、大学かー、まだ決まってないんだよね……出来れば国公立かな、安いし」


「国立の方が安いもんな」


 告白を後回しにしているだけの会話でも充分に満足している。一歩前に進みたいとも思うけど、全て失われるならこのままでもいいと思ってしまう。


 だが、失敗したぐらいで人間関係変わるものじゃないと信じたい。実際、俺と久遠の関係が変わったとは思えない。


 ならば俺は、久遠と絡めた指の温もりを忘れないうちに挑戦する。久遠がここまでお膳立てしてくれたのだ。


 父さんも言っていたじゃないか。好きというのは形を決めることだと。なら今からその形を決めよう。ここからは自分の力でするしかないんだ。


「なあ、栞、話がある」


 俺は恐る恐る確認するように口を開ける。


「どうしたの、告白?」


「あっ、いやっ」


 図星を突かれて、全力で動いていた心臓が跳ねる。これは脈無しの合図だったりしないだろうか。自分の力で解決すると決心したばかりだが久遠からのアドバイスが欲しくてたまらない。


 でも、ここをのがしたら逃げだと思われる。ならはぐらかす選択肢は無い。久遠も言っていた。自分の言葉じゃないと伝わらないと。俺は息を小さく吸って、想いを口にする。


「そうだ……。俺と付き合って欲しい。栞が好きだ。この世の誰よりも」


 面と向かって栞の顔を見つめながら、愛の告白を謳う。栞は目を丸め、驚きながらも俺から視線を逸らした。


 下唇を優しく噛んで、何かを堪えたような顔をする。そんな栞の顔の一コマを見るごとに恐怖と不安で潰されそうになる。


「…………私なんかで、良いのかな……?」


「ああ、栞がいい。栞じゃなきゃ嫌だ」


 今まで押さえつけていた気持ちは、一度蓋を経って仕舞えば案外すんなりと言葉になった。言葉にするまでは霧だった想いが、大きさそのままに、密度だけを増やして心を埋め尽くす。


「……お願いします。私も、大好きです」


 出会った日のように、栞の白い手が俺の腕に添えられる。俺は振り解かず、そっと握り返した。栞の瞳には小さな雫が光っていて、俺の鼻水も決壊寸前だ。


 そんな互いの顔を言葉も交わさずに眺め合っていた。届いた想いが、報われた願いが、2人の手を通じで繋がっている気がする。


 冷たいチャイムの音が鳴るまで握られていた手は暖かくて、その手を離した時の栞の寂しそうな顔が愛らしい。


「帰ろっか」


「だな」


 短い会話の後、校舎を出ると強い木枯こがらしが、ビューッと二人の間を縫っていく。


 無言の帰り道は珍しく居心地が悪くて、会話の糸口は先ほどの風に飛ばされ見つからない。


 何気ない話題はないかと思考していると、不意に左手が握られる。


「ふふっ、付き合ったことない氷室くんには早かったかな?」


 恥ずかしそうに顔を赤くしながら強がる栞にカウンターを喰らわせるため、握られた手を恋人繋ぎにする。


「どうした? この繋ぎ方の意味知らない?」


「知ってますー、こっ、恋人繋ぎでしょ。知ってるよ、綾波栞のじゅんは純粋の純なんだから」


「綾波栞のどこに純があるんだよ」


 ツッコミはするが、はぐらかしている栞の耳は真っ赤で、本当に可愛らしい。少しばかり栞の右手の温度が上がった気がする。


「ねえ、私のこと、この世で一番好きなんでしょ? どんなところが好きなの?」


 栞のどこが好きか。そんな問い、考えるまでもなく出てくる。


「俺を知りたいって言ってくれたことかな。そりゃ、話が合うとか、可愛いとか、そう言うのは山ほど……星ほどある。でも、多分それが一番の理由」


「よくそんな恥ずかしげもなく歯の浮く言葉言えるよね。んんっ、流石、元ポエマー」


 目も合わせてくれない程に照れながら言われても説得力がない。俺を知りたいと言ってくれた時、気持ちが昂ったのを忘れてはいない。思い返せばその時に始まったんだと思う。


「次は栞の番だぞ」


「泣きそうな私に優しくしてくれる氷室くんが好き。泣いてる私に胸を貸してくれる氷室くんが好き。期待すんなよって、いつも安心させてくれる氷室くんが好き」


 淡々と挙げていく栞の褒め言葉にむず痒い気持ちになる。栞は前を見ながら、一息吸うと、こう続けた。


「そんな、蓮くんが大好き」


 最後の言葉に息が詰まる。栞に下の名前で呼ばれるのは違和感があって視線が吸い寄せられる。


「付き合ったんだし良いでしょ?」


 ひひっと白い歯を見せて笑顔を向けられる。この子が彼女になったんだと思うと今なら空も飛べる気がする。


「ああ、いいぞ。しおりん」


「気持ち悪いやめて」


 辛辣な栞の言葉を受けながら駅に降りる。俺たちは駅のホームに着くと手を離し、チラチラと互いに視線を交わしながら、ぎこちなくも楽しい時間を過ごした。


 栞と別れると昨日今日と変わったことが多すぎて唖然としたが、告白成功のガッツポーズだけは電車の中でしておいた。


 家に着くと流れるようにベッドに埋もれる。久遠にありがとうと何度目かの感謝のメールを送り、枕に顔をめり込ませた。


 何度も頭をよぎる例のノートの謎。俺はまだ、栞の秘密に踏み出す勇気はない。でも、栞が一歩でも歩み寄ってきた時、もたれかかってきた時に支えてやれるようにしたい。


 そんなことを考えていると、気づけば夢に浮く泡沫うたかたと化していた。


––ピコンッ


 着信音に目を覚ますと久遠からの返信が来ていた。


『そっか、上手くいったんだね。末永くお幸せに!!』


 久遠が心からそう思っているのかは分からない。何かしら言葉にできない感情があって当然だ。なんて返すのが正解なんだろう。スマホをいじりながらリビングに向かうと父さんが夕飯を作っていた。


「蓮、告白は成功したのか?」


「俺は父さんが怖いよ」


 味噌汁を菜箸でつつきながら、父さんはエスパーかのように聞かれたくない質問をしてくる。


「やっぱりそうか。ま、好きにしたらいいさ。でも玲さんは怒らせないでくれよ。勉強怠ったら俺が怒られるんだから」


「はいはい」


 久遠には久遠のおかげだよ。と返信した。栞と付き合った思うとニヤケが止まらない。


 もう冷め切った左の手のひらを見ながら、彼女の温もりを思い出すのだった。

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