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「久しぶり、氷室くん、東雲さん。入って入って」
ボロいアパートの三階。俺と久遠は栞の家にお呼ばれしていた。正しくは俺たちが誕生日プレゼントを渡しにきたのだが。
「お邪魔しまーす! 和室のいい匂いする!」
久遠が体いっぱいに匂いを堪能している中、俺は誘導されるままに靴を脱ぎ玄関を上がった。
「えっ? 入っていくの? 私、三時から部活あるから渡すだけだと思ってた」
久遠はいつも通り俺の目をまじまじと見つめながらプレゼント片手に言う。まあ、プレゼント渡すだけなら家に入る必要も無いか。
「そうなんだ、わざわざありがとう。あっ、私からも誕生日プレゼントあるからちょっとだけ待ってて」
栞がトタトタと足音を鳴らしながら奥の部屋に入って行く。久遠の誕生日プレゼントを取りに行ったのだろう。
久遠もいつのまにか栞と連絡先を交換していたようで、アパートを教えてもらっていたらしい。
「やった! 何くれるのかな? やっぱりしおりんはしっかり者だね〜。誰かさんはもう十年の付き合いなのに渡してくれないし」
「おい、誕生日プレゼント買った後にパフェ奢っただろ」
「知らないもーん」
コイツ、一番高いの嬉々として注文しておきながら
久遠と会話をしていると栞が戻ってくる。
「はい! あんまり分かんなかったから部活の時使えるようなタオルにしたんだけど……」
「本当だ! 可愛い! 新しいの買わなくちゃって思ってたからめちゃ嬉しいよ!」
綺麗にビニールで包装され、マスキングテープでデコられていた。久遠は丁寧にカバンにプレゼントをそっとしまい、栞への誕生日プレゼントを取り出した。
「私からはこれ! 初心者用メイクセットでーす! しおりんメイクしてないでしょ? これでどんな男もイチコロだよっ」
コチラも大きめの高そうな箱がリボンで
女子高校生の贈り物のハードルが高すぎて越えられないどころか
「ありがとう、大切な日に使わせてもらうね」
「全然いいよ! 来年は初心者用じゃないやつ贈るからしっかり練習しとくんだよ!」
「来年か…………うん、分かった!」
栞の誕生日プレゼントを持つ力が強くなったような気がする。俺が栞の家庭事情を知った日に口にした親から捨てられた理由がそこにあるのかと、そう思うと心が痛んだ。
「俺からも……はい」
カバンから軽くて薄い箱を取り出して手渡す。別に軽くて薄いだけで軽薄ってわけじゃない。ちゃんと考えた。
「何これ?」
「栞とブックカバーだ。使わなかったら机の奥にでもしまっといてくれ」
俺が買ったのは和紙で作られた青色で星模様の栞と、革製の白いブックカバーだ。ブックカバーにはワンポイントで黒猫のマークが付いている。
「私が人から貰った誕生日プレゼントを使わない人に見える? 大切に使わせていただくからね」
「それなら良かった」
「良くないわよ、しおりんだから栞って、芸がないしあと二回ぐらい
久遠が強めに指摘する。確かに芸は無いよなあ、でも初めて異性に、というか人に誕生日プレゼントを贈るんだ。それにしちゃ上出来だろ。
「別に大喜利やってんじゃないんだからいいだろ。それか、久遠の誕生日プレゼントに面白いの渡せってか?」
挑発気味に言うと久遠は顔を真っ赤にする。ただそれが怒りからの感情でないことぐらいはわかった。
「くれるんなら、それでもいいかも……」
「物欲強すぎだから」
俺がツッコむと久遠は目を時計に晒してあからさまに驚く。俺も目をやると、時計の針は二時と四十五分を指していた。
「やばいじゃん! ごめん! 私帰るね! バイバイしおりん!」
「じゃあ、用も済んだし俺も帰るわ」
脱いだ靴を履き直す。
「えっ? あっ、この前の本、後もうちょっとで読み終わるから待っててくれない?」
「あの本か、そうだな。今を逃すと返ってこなさそうだし。もうちょっとで終わるんなら待っとくよ」
「私は帰るね! バイバイ!」
俺が栞の家にお邪魔することを決めると、久遠は玄関を勢いよく閉め、激しい足音を響かせながら帰っていった。俺はとりあえず玄関に腰を下ろす。
「上がらないの?」
「上がっていいのか」
栞の後に続き部屋を目指す。といっても部屋は少なく、トイレと風呂は同じでユニットバスとなっている。
残りの一部屋は狭いキッチンとリビングだけ。小さな丸テーブルが一つにクッションが二つ。他にあるのはベッドと本棚だけだった。
「小さな部屋でごめんね、好きな本でも読んで待ってて」
「別に俺の部屋よりかは断然広いし大丈夫だけど……その、家賃とか大丈夫なのか?」
「うん、一応バイトもしてるし節約しながらだったら本も買う余裕あるし大丈夫だよ」
本を買ったら節約とは言わないのでは?とは言えず「へー」と頷く。氷室家も他人のことは言えないのだが、必要最低限の物しか置かれていない。唯一この部屋で色を放つ本棚を見てみる。
基本は父さんの作品が多い。父さんは一年に二冊から三冊出すので、今や二十作も出しているベテラン作家だ。六段の書架の一段と半分くらいまではそれらで埋められていた。
三段目までは他の作家さんの恋愛小説が中心に置かれていて、新人さんの作品が多くを占めていた。
「ごめん、その本とって」
「ああ」
俺が貸した読みかけの本を取ってやると栞は嬉しそうに俺があげたブックカバーを取り付けた。
自然と頬が緩んでしまう。あとちょっとと言う割にはあの日から読み進めている様子はなく、何ならページを戻しているのでまだ半分以上残っている。
もう少し時間かかりそうだな。なんて思いながら本棚に視線を戻す。四段目からは物置と化していて、一番下の六段目に関してはゴミ箱が収納されている。綺麗っちゃ綺麗だけど使い方間違えてますよ……。
ゴミ箱の中には
俺は適当に見たことのない題名の本を手に取り、読み始める。この前のように会話もなく、時計の針だけが俺たちにこっちの世界を伝え、二人して別の世界に入り込んでいた。
いつもは机に座るか寝転びながら本を読んでいる為、
ふと栞に目をやると俺があげた栞を眺めながらニンマリしていた。
「おい、早く読めよ」
「ちょっと休憩、今良いところだから」
「良いところこそ早く読みたくならないか?」
「ちっちっちっ、甘いよ氷室くん。それは二流で…………」
人差し指を交互に振りながら栞は自論を話し始めたので読書を再開する。説明が終わった頃に本から視線は外さずに牽制しておく。
「って言うこと。分かった?」
「はいはい、分かったから早く読め」
「はーい」
そうして俺と栞は夢中に本を読み
ぐうぅ––––
栞の腹の虫の鳴き声で、俺たちは顔を合わせる。栞は恥ずかしそうに顔を赤らめている。お腹がなったのは触れないでおいてやろう。
「もうそんな時間か、あとどれぐらいかかりそうだ?」
「十五分もしないよ」
「そうかじゃあ待っとくよ」
ここまで来て本を返して貰えずに帰るのは無駄足すぎる。
「先にご飯作ろっか?」
「えっ?」
何の前振りも予備動作もない質問に素っ頓狂な声が漏れる。なんで急にご飯の話し出てきたんだ?
「もう七時だし、ご飯食べてけば?」
「流石にそこまでお世話になるわけには……」
「まだ氷室くん本読んでただけだから私からしたら空気と一緒だよ」
空気と一緒は攻撃力高いな。ちょっとダメージでかい。栞の言う通り迷惑かけてるつもりも無いので間違っちゃいない。空気清浄機てきなポジションだろう。
「だとしても飯食って十五分だと帰るの九時前か……流石に怒られるんだが」
「そう言えば氷室家は厳しかったね。じゃあ氷室くん作ってくれない?」
「まぁ良いけど……食費とか……」
要らないお世話だろうと思いつつもつい質問してしまう。空回った気配りに栞は優しく答える。
「どれだけ食べるつもりなのよ。一人ぐらい変わらないし誕生日プレゼントのささやかなお返しだから気にしないで」
確かに、俺が作ってその間に栞が完読するのが一番効率が良い。ここはその案に乗ろう。
「冷蔵庫の中の勝手に使うぞー」
「良いよー、タンスと間違えちゃダメだからねー」
なんで、冷蔵庫の隣にタンスがあるだよ。因みに洗濯は近所の格安コインランドリーを使っているらしい。
冷蔵庫の中にはジャガイモにキャベツ、ひき肉しか入っていなかった。まともに作れるのはハンバーグくらいか……。
炊飯器にはしっかりとお米が炊けていたので問題は無さそうだ。
ジャガイモを潰してひき肉と混ぜ合わせフライパンで焼くだけの簡単ハンバーグ。作るのに二十分も掛からなかった。焼き上がる間にキャベツを千切りして、皿に添えたら完成だ。
栞も読み終わったらしくご飯をよそってテーブルに並べた。それなりの完成度だ。俺も父さんと二人暮らしになってからは料理をしているので味には少し自信がある。
「おお! 凄い! よくハンバーグとか作れるね! 私いっつも切って入れて終わりだからさー」
「それは多分料理って言わないぞ」
「実験だね。私、手洗ってくる。実験の前は手洗いしなくちゃ!」
もう実験は終わってんだよ。実験じゃないけど。手は作り終わった後に洗っているので箸を用意して置く。と、カーペットの下にあった何かを踏んづけ、視線を落とした。そこには黒いノートがチラッと見えていた。
「なんだこれ?」
手に取るとそのノートには名前や学年、教科などは書かれていなかった。本棚の四段目からは教科書なども置かれているので戻しておこうとノートを開く。
『なんで私? 嫌だ、死にたい。しんどい、死にたくない。死にたくない。嫌だ、嫌だ、嫌い、嫌い、嫌い、怖い、怖い、死にたくない。誰か……』
文字の大小も法則性もなく、ただ殴り書きされたその字に俺は戸惑う。強い筆圧で縦横無尽に書かれている文とも言えないその言葉は、憎悪と負の思念を持ち合わせていた。
「ふぅー、じゃあ食べよっか!」
栞の声に体を震わせながらも咄嗟にノートを隠し本棚に戻す。
「何してたの?」
「ん? さっき読んだ本戻してた」
適当に嘘をつきつつ、誤魔化すように笑う。
「じゃあ氷室くんも手を洗わないとね。あとタンス見てないよね? 見てたら足も洗ってよ?」
今の俺はボケにツッコめるほどの余裕は無かった。バクバクした心臓を落ち着かせながら早足で手を洗う。冷たい水のおかげか冷静さを取り戻すことが出来た。
あのノートは一体何なのだろうか? 『死にたくない』なんて普通はノートに書かない。部活のことであれだけ悩んでいた久遠ですら死と言うワードが頭の中にあったとは思えない。
「氷室くん早くー! 冷めちゃうー」
「今行くー」
俺は嫌な憶測にピリオドを打ち、蛇口を捻ってリビングに戻る。既に栞は席についていて、速く食べたいと言った様子だ。
「いただきまーす」
「いただきます」
明るい声。いつもと何も変わらないはずの栞が別人のように思えた。あの殴り書きされた文字は頭にこびり付いて離れない。食事を終え、別れの挨拶を交わす。
「バイバイ、まだ夏休み明けに」
「あぁ、今日読みかけの本その日に返すわ。あと、誕生日おめでとう。言えてなかったから」
「ありがと……」
頬を赤くし少し照れている栞を見ていたら余計に彼女の謎から目を背けたくなった。でも多分、一番目を背けたいのは彼女自身なんだろう……。
こうして、綾波 栞の最後の誕生日が終わりを告げた––––。
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