二人のメイド
◇◇◇◇
聖教国アークグルト。神聖城の一室。
高い天井には白い布が垂らされ、窓からは柔らかな日差しが差し込んでいる。静かな空気の中に、香ばしい茶葉と温かなミルクの匂いがほのかに漂っていた。
その部屋には二人のメイドがいる。
一人はベッドの上に寝ている赤髪の少女。もう一人はベッドの横の椅子に腰掛け、分厚い本を片手に読んでいる白髪の少女。雪のような白髪は光りを浴びると白銀に輝き、横顔は彫像のように整っていた。
どちらも美しく、城下に下りれば百人が百人、振り返るだろう。その美貌は部屋の静けさと相まって、どこか現実離れした神聖さがあった。
やがて、白髪のメイドがカップを持ち上げ、熱の残るミルクティーを一口含む。陶器の縁が小さくカチャリと音を立てて机に戻された瞬間。
ベッドにいた赤髪のメイドの瞼がぱっと開き、上半身をガバッと勢いよく起こした。
「アイク様ッ!」
必死な響きは、静まり返った室内に鋭く響いた。
「エリー、ここに愛しの『アイク様』はいないわよ」
白髪のメイドが視線を上げず、柔らかな声で告げる。
「へ?」
赤髪のメイド、エリーと呼ばれた少女は、半ば夢の中にいるような眼差しで間の抜けた返事をした。瞬きを一度、二度と重ねるごとに、少しずつ意識が覚醒していく。
「はッ! 失礼しました」
やっと自分の失態を理解したエリーは、肩を強張らせながら謝罪をし、無表情に切り替えた。頬にはまだうっすらと赤みが残っている。
「いいのよ。それより何があったの?」
「ルーナ様、私……アイク様に頭を撫でていただきました」
言葉と同時に、エリーの顔に熱が戻った。彼女はそっと自分の頭へ手を添え、撫でられた箇所を愛おしげに指先でなぞる。その仕草は、普段の冷静さからは想像できないほどに乙女チックだった。
「そう、それはよかったわね」
白髪のメイド、ルーナは本を静かに閉じ、机の上に置いた。翠の瞳で穏やかにエリーを見つめる。
「エリーのそんな顔、久しぶりに見たわ」
「そんな顔って……どんな顔ですか」
「貴女、いつも無表情でしょう? でも今は……まるで王子様から口付けされた女の子みたいに頬を赤らめて。……可愛らしい」
ルーナの上品な笑みに、エリーは思わず両手で顔を覆い、細めた目だけでルーナを睨む。
「そんなことはないです」
「そんなことはあります」
部屋に小さな笑いが生まれる。
「それはそれとして、ティアナは大丈夫なの?」
ルーナが問いかけると、エリーはすぐに目を閉じた。
「……ダメそうです。魔力のパスが切れてます」
ルーナは小さく息を吐き、椅子の背にもたれかかる。
「そう。お兄様の頭ナデナデには、さすがのティアナでも正気を保てなかったようね」
「急に撫でられたので、破壊力抜群でした」
エリーの口元がわずかに緩む。思い出すだけで幸せになっているの様子。ルーナは指先が落ち着かず膝の上を撫でた。
「二人はファランド家の領にいた時から、お兄様にベッタリでしたものね」
「でも……アイク様はティアナのことを全く覚えていなかったです。……私とティアナは容姿が似ている双子ですから、私のこともおそらく覚えていないと予測できます」
言葉の終わりとともに、エリーの表情に影が落ちた。窓から吹き込む風が赤髪を揺らし、その陰影をいっそう濃くする。
「子供だった貴女たちが、こんなに立派な淑女になって現れれば、お兄様は気づかないでしょうね」
「……そうですよね。アイク様は魔法の類いには敏感でしたが、それ以外のことには鈍感でしたから」
エリーの声に少し力が戻る。見守るルーナもまた、アイクとの思い出が脳裏によぎり、微笑をにじませた。
「ティアナは良いわね、お兄様と話せて」
「はい」
二人の間にひとときの沈黙が落ちる。
「ルーナ様……私が気絶する前に、ティアナがアイク様にあのことを聞いてました」
「お兄様はなんて言ったの?」
ルーナは分かりきっているように興味なさげに目をつぶる。
「……馬鹿らしい」
エリーがぽつりとこぼした言葉は、風に溶けていくように淡く響いた。
ルーナが閉じていた目をゆっくりと開ける。
「それは何とも、お兄様が言いそうなことね」
「はい。まったくです」
開け放たれた窓を抜ける風は静かで、カーテンを揺らしながら、遠い日の記憶を撫でるように二人の間を通り抜けていった。
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