危険人物
リッシュを追い詰めていた輝夜が『ファイアーボール』を消した。
ボコボコにする気はなかったのか? いや、輝夜は魔法を脅しに使えるほど器用な奴ではない。
これは明らかに輝夜の様子がおかしい。
リッシュが最後に叫んでいた言葉を思い出す。
『まだか、えっと、えっと……ま、魔法を消せ!!! そうしたら不敬罪も無しだ!!!』
輝夜が不敬罪を無しにする代わりに魔法を消したとしたら、まずこんな騒ぎは起こしていないだろう。
考えられるとするなら……。
輝夜は勇者だ。もちろん心の臓の左側、魔力路という器官には洗脳魔法が埋め込まれている。
リッシュの『魔法を消せ』という言葉で、輝夜の中の洗脳魔法が起動した可能性がある。
聖王と貴族の中でも一部の偉い貴族だけが、勇者に命令することが出来る。王弟殿下も、その一部の偉い貴族の中に入っていたみたいだ。
今、リッシュは輝夜にどんなことでも命令出来る。謝罪しろと言われれば謝罪するし、裸になれと言われれば、服を脱ぎ裸になる。死ねと言われれば、輝夜は死ぬだろう。
今の輝夜はリッシュの操り人形状態だ。
俺なら輝夜の洗脳魔法をいつでも解除することができた。
俺が輝夜の洗脳魔法を解除しなかったのは、輝夜自身に洗脳魔法を解除させようと残していたからだ。
普通の庶民が、普通の生活をしていれば、貴族に会う機会なんてまったくない。それも勇者に命令出来る程の一部の偉い貴族ならなおのこと。
こんな形で洗脳魔法を解除していなかったことが仇になるなんて、想像もしていなかった。
「ふん、さすがにお前も不敬罪にはなりたくないようだな」
リッシュは、ふはは、とぎこちなく笑っている。輝夜が自分の操り人形になったことを認識していないみたいだ。
認識せずにいてくれるなら、ことを荒立てる気もない。
俺は片膝立ちから立ち上がり、『シルフード』を解除しながら、走って輝夜の横に立つ。
「殿下!」
「な、なんだ!?」
大声で『殿下』と言うと、リッシュの視線が輝夜から離れた。
「私たち下民に花を持たそうという心遣いに感銘を受けました。
下民が殿下の魔法を打ち破るはずがないのは分かっています。演技が本格的で殿下のお体が心配になりました。次に演技をするのなら、引き分けぐらいが丁度いいかも知れませんね」
ここら辺で『手を打たないか?』という意思を込める。俺が差し出した手を払い除けるような馬鹿ではないことを切に願う。
「……よ、余興は成功したか?」
リッシュは俺の話に乗ってきた。馬鹿は馬鹿でも節度はあるらしい。
「はい。殿下も余興に本気になりすぎですよ」
ハハハ、と笑いを合わせる。
「学友の皆さんが楽しめる余興をしたいと、殿下がこの下民の私たちに依頼をしてこられたのです」
周囲に言いふらすように声を張る。
「私たちもそれならと依頼を受けさせて頂きました。さっ、皆さん余興は楽しめたでしょうか!」
俺はチラッとシフォンに視線を送る。『乗ってこい』と。
呆れているシフォンの姿が見えたが、パチパチと拍手が聞こえてくる。
一人の拍手。段々と拍手する人が増えていき、拍手の音が大きくなる。
「この余興が、皆さんの一日を乗り越える手助けになれば幸いです。殿下も参加してくださり、ありがとうございます。皆さんも立ち見でのご観覧ありがとうございました!」
拍手が収まると、周りを囲んでいた学生たちは俺たちに興味を失ったかのように、校舎へと足を向けた。
演説が成功したのか、衛兵も学院から出ていこうとしていた。
俺もこの場から輝夜を連れて、一刻も早く移動したい。
輝夜とリッシュが一緒の空間にいたら危ないのは、洗脳魔法が起動した時から変わっていない。リッシュの一言で、輝夜の運命が変わるかもしれないからだ。
リッシュが変な言葉を口走ろうものなら、殺す。その方が手っ取り早い。
勇者の命令。洗脳魔法の命令は、命令した相手を殺せば、命令の効果は無くなる。まぁそんな物騒なこと、出来ることならやりたくない。
俺は輝夜の身体を抱きかかえて、用務室へ足を進める。
俺にお姫様抱っこされている輝夜の目は空虚を見つめている。催眠状態じゃなかったら、そっぽ向かれてたな。
「待て!」
「なんでしょうか?」
リッシュにまた引き止められた。
「下民の女、お前は魔法をどこで覚えた!」
「おじさんが教えてくれました。おじさんは本物の魔法使いです」
俺が答える前に、平坦な声で輝夜が答えた。これも催眠魔法の効果か。催眠状態でも俺のことを『本物の魔法使い』って言うのか。
「おじさん? 本物の魔法使い?」
「アイク、行っていいですよ」
シフォンが俺とリッシュの間に入ってきた。
「な、シフォン先生!? まだ僕の話は終わってない!」
「リッシュ君は少し黙ってた方がいいですよ」
「なにを言ってるんですか!?」
「死にたくはないでしょ?」
シフォン、俺はそこまで危険人物じゃない。
「アイク……また今度」
「あぁまたな」
優しい笑みを携えたシフォンから別れの挨拶された。俺はそれに気軽に返す。
とッ! だがそれは、とても失礼なことに今さらながらに気づいた。俺はシフォンに向き直り、急いで頭を下げた。
「アイシクル様、また会いましょう」
貴族で賢者様なシフォンに、幼なじみの頃のような軽い挨拶をしてしまった。シフォンは俺の戸惑いようにクスクスと笑っている。
シフォンの横にいるリッシュは、酷く俺を睨んでいたが、黙ったままだ。
何も言わないのは、恥をかく流れを救った俺に恩を感じているのか? さすがにそれはないか。
シフォンの『黙ってた方がいいですよ』という脅しに屈したわけじゃないだろう。あとは、シフォンの言うことは聞く律儀な生徒な可能性もある。
まぁ黙っているなら、殺すこともないしな。
俺は頭を上げ、くるっと方向転換すると、用務室に足を向けた。
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