第42話 最低な口づけ
「ラピス様が悪いんです。僕はラピス様が屋敷から逃げた事が悲しくて辛くて悔しくてたまらない気持ちだったのに、それを抑えてたんです。僕との結婚がそんなにも嫌だったのか、とね。なのにここまで煽ってくるなんて、あなたをどうにかさせたくなるじゃないですか……いいですよね?」
トールはわたしの肩を掴むと、わたしに顔に顔を近づけてきた。
トールは何がしようとしてるのか理解できなかったけど、嫌な予感がして抵抗をする。
するとトールは小さく笑うと、わたしを抱き込んで抵抗を封じ込めてきた。
「ちょっと!離しなさ……」
「僕から逃げるな」
命令というよりは懇願に近いそれに、わたしは動きを止めてしまった。
トールはその隙にわたしの唇に自分の唇を近づけた。
……え、もしかしてトールのやろうとしてる事ってもしかして……!?
気づいた時にはもう遅く、わたしとトールの唇は重なってしまっていた。
トールは一回だけでは飽きたらず、それから何度もわたしの唇にキスを繰り返す。
思わずパニックになってしまう。
わ、わたしはこんなの初めてだ。こんなにたくさんキスされたらいっぱいいっぱいになってしまう。
え、どこで呼吸とかすればいいの?などという間抜けな思考すら浮かんだ。
不意打ちで、合意なくされているのに、不思議と嫌な気は起きなかった。
他の人にされていたらこうはならなかっただろう。相手が好きな人だから、トールだからそう思うのだ。
「……ラピス様。もっと抵抗してください」
トールは満足したのか、わたしから唇を離す。
わたしはキスの余韻にぼうっとしてしまっていた。
「抵抗してくれないと、勘違いしそうになります。あなたが僕を受け入れてくれたと」
「あ、あんたを受け入れてなんかいないわ」
わたしはトールから目をそらす。
自分でも弱々しいと思う声だった。駄目だ、さっきのキスからまだ調子が回復していない。
トールは薄く笑った。目は全く笑ってなかったが。
「そうですよね。ラピス様がこうだからこそ、僕は今あなたにキスしたのですから」
「……は?」
「あなたに僕を好きになってもらおうなんて、贅沢はいわない。ただ、妻として僕を受け入れてほしかったんです。そしてキスもその先の事も、ラピス様の覚悟が決まるまで待とうと思っていました。……でも」
トールは悲しそうに、悔しそうに、でもどこか愉悦に浸るように笑った。
「あなたが僕の事を絶対に受け入れないというのなら、悠長に待っている必要なんて一つもないですよね?」
「それはあんたを拒絶してるわたしの気持ちはどうなるの?トールはクソ善人じゃない、人の嫌がる事はしたくないんじゃなかったんじゃないの?」
「はは、知りませんでした?」
トールはわたしに言い聞かせるように、謡うように言った。
「僕、ラピス様に関する事だと結構自分勝手なんですよ」
「……は?」
「ラピス様の気持ち?そんなもの知ったこっちゃありません。僕は僕のあなたを手に入れたいという気持ちを優先します」
そういうトールの声音と表情は自嘲に満ちており、本意ではないようにみえた。悲しそうにすら見える。
そんなに辛いならやめればいいのに、自分の意志を絶対に曲げないという気持ちも伝わってくる。
トールはわたしの事をどう思っているのか、訳がわからなくなった。基本的に自分のしたい事より相手の都合を優先するタイプのトールにこんな事を言わせている、わたしは何なのだろう?
そんな事をぐるぐると考えていたが、トールはわたしの考えが終わるのを待ってはくれなかった。
「でも、僕としてはあなたを無理矢理どうこうするのではなく、あなたの意志に沿いたいと思っています。だから、選んでくれませんか?」
「あんたに都合のいい選択肢を選ばされそうだから嫌よ」
「あははっ。今のあなたの処遇は全て僕が握ってるんですよ。選択肢があるだけいいでしょう?」
「……トール、あんた」
トールは笑顔で冷酷な発言をした。
こんなトール、わたしは知らない。
わたしが言葉を失っている中、トールは選択をつきつけてくる。
「あなたがずっと僕の側にいると誓ってくれるなら、もうこれ以上はなにもしません……でも、もしそれが叶わないというのなら」
トールはわたしをじっと見つめて、わたしを説得するような口調で言った。
「あなたに今した以上の事をさせて頂きますよ?」
「それは……今のキス以上の事をするってこと?」
「ええ」
それは確かに嫌だと思った。
トールの心が伴っているのかよく分からない中で、こんな脅しまがいの末にそういう事をするなんて。いくら、す、好きな人相手でも……いや、好きな人だからこそ嫌だった。
でも、わたしは首を縦にふる気にはなれなかった。
「……はっ。勝手にすれば?あんたもしつこいわね。何度言われてもあんたの側にいるなんて事、誓わないわ」
他に本当に好きな人がいるなら、そちらと結ばれた方がいいのだ。
トールは諦めてるのかもしれないけど、わたしはまだトールとミツカが再び婚約する事を諦めていなかった。いくらわたしが悪役令嬢でも、好きな人の幸せぐらい祈れるから。
それはつまり、トールとわたしが別れる事も意味してるけど……その事に胸の痛みを感じたが、わたしがトールと一緒にいたいという気持ちに流される訳にはいかなかった。
それにトールにはミツカがいると分かっていると、トールからどんなに優しくされても、甘い言葉を投げられても、それはそれで胸が痛んだ。
こんな苦しさを抱えて生きていくなんて、わたしには耐えきれない。
「そうですか。それはつまり、僕に何をされてもいいという事ですね?」
「……何もされたくないわよ。トールとは一緒にいたくないけど」
「それはあなたに都合がよすぎますよ。ラピス様が僕と一緒にいたくないとあくまで言い張るおつもりでしたら、遠慮なくあなたを手籠めにさせていただきます」
手籠めだなんてどうする気なのだろうと許容量を超えた頭では理解できなかった。
「トールは、わたしをどうしたいの?」
「え?」
「わたしを、どう思っているの?」
わたしはポツリとこぼした。
何でクソ善人の癖にわたしの気持ちを踏みにじるの?
何で夫になった後もずっとわたしに敬語を使ってるような所があるのに、わたしより優位な立場をとり、わたしを脅すような事をいうの?
……何でトールにはミツカがいるくせに、わたしを求めるような事をしているの?
わたしにとっては切実な疑問だった。トールにもそれが伝わったのだろう、「そうですね」と神妙に頷く。
「僕はあなたと一生一緒にいたいんです。……僕にとってあなたは、特別な人だから」
「特別?」
「ええ。ラピス様は他の誰とも一緒に出来ない、唯一無二な方です。あなたに救われたあの日から、ずっと」
「わたしは別に、あなたを救ってなんかいないわよ」
唯一無二とまでいわれ、わたしは正直照れくさい気持ちになり、トールから大きく視線をそらす。
ここまで想わていて、わたしは誤魔化しようがないぐらい嬉しかった。
でも、だからこそ、何でミツカの存在には勝てないんだろうという悔しさも湧いてくる。
こんなに色々な感情に振り回されるなんて、恋はなんて面倒なものなんだろう。やっぱり自覚なんてしたくなかった。
今まで保っていた悪役令嬢としてのわたしも揺るがされてる感じがするし、自分でも呆れるほどにおめでたい思考になっているし、本当に嫌になる程厄介だ。
「そういう自分のした事の大きさに自覚がない所も好きですよ」
そういってトールはわたしを抱きしめた。
「離して」
「離しませんよ、やっと捕まえたのに」
ドキドキするからこんなのやめてほしいのに。
わたしが抵抗できないのは、手首が縛られてるからだ。決して、抱きしめられてるのが嬉しいからじゃない。
「僕はあなたの事をずっと離すつもりはないのですから、一緒にいると言っても、いないと言っても、結果は変わらないですよ?だから、一緒にいると言ってしまえばいいんですよ」
「……そんな事ないわ。わたしはトールと絶対に別れてやるんだから」
「僕のあなたへの思いを本当にあなたは分かっていらっしゃらない。ラピス様は、これからはずっとずっと僕のものです」
トールはそういうと、わたしを抱きしめ続けていた。
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