第16話 キーマカレーなるもの

 それから10分後、やっと町についた。


 わたしは庶民の町だなんてお母様がまだ生きていた頃、お母様と一緒に内緒で行った事があるぐらいだ。お母様は庶民の出だったから、町がどんなものかは知り尽くしている様子だったっけ。

 相変わらず雑多な所だなと思う。でも、庶民の町には悪くない思い出があったから、まぁまた一回ぐらいは行ってもいいかなとトールについてきた。


 わざわざ屋敷での食事を抜いてまでトールは町で朝ご飯を食べる事を所望していた。何でも、この町には好きな料理店があり、わたしにも食べさせたかったのだという。


 町で出てくる食事ときたら庶民の食べるものなんだろうけど、どんなもんよとわたしは思っていた。


「……なにこれ美味し……いえ、悪くないわね」


 結果はこれである。

 わたしが注文したのはキーマカレーなるものだった。ここの店では一番人気だという話を聞いて、それなら食べてみるかと思ったのだが、存外に美味しい。


 最初出てきた時は茶色の謎のドロドロした何かのかかった米という外見にびっくりし、スプーンが動かせなかった。異国の食べ物なのらしく、わたしには馴染みのない物体だったのだ。そのまま口をつけず、残してしまおうかと考えたのだが、例えよくわからない見た目のものでも食料を無駄にしてはいけないという思いに駆られ、気づけば口の中に謎の物体を運んでいたのだった。


「美味しいですね、ラピス様」

「……ふん、まぁまぁね」


 そういうトールはバターチキンカレーなるものを食べていた。キーマカレーとはカレーという点では一緒だという。この二つの料理の名前に入っている、カレーとはなんだという謎は深まるばかりだった。


「トール、庶民はこういう妙ちくりんな異国の食べ物ばかり食べているの?」

「ラピス様、妙ちくりんはお店の方に失礼ですよ……僕の妻になっていただいたからには、遠慮なくそういう物言いに突っ込ませていただきますからね」

「は?トールは前からわたしのこういう発言に突っ込みっぱなしだったじゃない」

「……確かにそれもそうですね」

「今気づいたの?馬鹿でしょ……そんな事より、わたしのさっきの質問に答えなさいよ」


 わたしはラッシーという飲み物の入ったコップを両手で握りしめながらいった。「カレー」と一緒に飲むものらしく、これまた悪くない味だ。


「はい、ラピス様……そうですね、庶民は貴族よりは異国の料理を食べているでしょう。貴族はプライドが高いせいか、それとも古い習慣から抜けられず新しいものを取り入れられないなのか、料理は自国のものばかりで、外部の料理を受け入れようとしませんからね。この町以外にも、王都付近の町で僕は食べ歩きをした事がありますが、異国の料理で美味しいものはたくさんありましたよ。もちろん、自国の料理も美味しいものでいっぱいでしたが」


 わたしは王都は歩いた事はあるけど、あそこはどちらかというと貴族の町だから、あまり一般庶民の文化は入っていなかった。

 王都付近の庶民の町なんて、お母様と内緒で出かけた時ぐらいしか行った事がなかった。ずっと王都に住んでいたのに。


「ふぅん……わたしも行ってみればよかったかもしれないわね、王都付近の庶民の町に」


 わたしは無意識にそんな事を呟いていた。


「……はは、そんなに異国の料理がお気に召しましたか?」


 トールは微笑ましいものをみるかのような目でわたしを見た。

 わたしはその瞬間、何を自分が口走っていたのかやっと気づいてた。


 ……わたしがこんなに素直な事をいうなんて、キャラじゃない。駄目だ、否定しなくっちゃ。


「……あっ。違う、今のは違うわ!別に異国の料理とか、美味しいっていう自国の料理とかに興味が出た訳ではないんだから!」


 焦ってしまい、口が上手く回らない。

 だが、トールはにこにこと「そうですか」というばかりで、きっとわたしの話は信じていない。


 あぁ、迂闊だ。迂闊だった。普段はこんなヘマしないのに、何でよ。町に来て、庶民の服をきて、トールと一緒に歩いて、いつもと違う気分になっているせいだろうか。


「ラピス様の噂が落ち着いたら、一緒に王都に行きましょうか。食べ歩きしたいです」

「……わたしは行かないわよ」

「往生際が悪いですよ、ラピス様」

「生意気な口を叩くわね、トールは。そんな事いってると串刺しの刑よ」


 そういってトールの頬を両手の人差し指でグサグサと指した。これでどうだ。

 トールの顔は普段美形だと色々な人からいわれているが、わたしの指により歪み、とんだアホ面をさらしていた。ふふん、いい気味。

 この面を普段トールにキャーキャーいってる女子どもにみせてやりたいわね。


 だが、トールは何故か笑っていた。わたしは「は?」と眉をひそめる。


「あんた、何で笑ってるのよ」

「だって、串刺しの刑なんて物騒な言葉からは考えられないぐらい、ラピス様のされていた事が可愛らしくて……つい……」

「あんたね……わたしをなんだと思ってるの?」

「え?自慢の可愛い妻ですが?」

「……はぁ」


 わたしは串刺しの刑をしている事が馬鹿らしくなり、指をどけた。


「あ~あ、なんであんたと結婚する事になっちゃったの。時を戻せるなら戻して、やり直したいわね」


 わたしはそんな事を口走った後、サーシャを思い出していた。

 わたしはサーシャと最後に会った時も、時を戻したいなんてアホな事を言ってしまったけど、悔いは残るわね。


 わたしは軽口でいったつもりだったのだが、トールは何故か一瞬顔をこわばらせていた。


「あはは、時を戻すなんて現実的でないですから、僕で妥協して諦めてください」


 そういってトールは明るく笑う。なんでもないようにみせていたが、どこか動揺が隠しきれていなかった。


 もしかして、わたしがトールとの結婚を嫌がるような発言をしたから?


 ……そんな事はないか。トールの事は基本的に突き放す対応をしてるのに、今さらそんな事で傷つく筈ない。……いや、そう思うのはわたしに都合のいい考え方なのだろうか?

 わたしはため息をついた。


「トール、わたしはもうあんたで妥協してるわよ。時を戻すなんて無理だもの、あんたと一緒にいる事を諦めて受け入れてるわ」

「……え」


 トールの頬が真っ赤に染まった。


「それは、本当ですか?」

「ええ」

「……嬉しいです!ラピス様にそういって頂けて、本当に、本当に!」


 そういってトールは本当に嬉しそうに破顔した。その様子は普段は穏やかなトールらしくなく興奮したもので、わたしは顔をひきつらせる。


 ……いや普通「あんたで妥協してる」とかいわれて、そんなに喜ぶ?トールの脳内でわたしの台詞が「あんたを愛してる」とかにでも変換されてたんじゃないの?

 わたしに愛してるっていわれてもトールは嬉しくないだろうけど。


「本当に意味不明ね、あんた……」

「そ、そうですか?あはは……」


 そういって頬を赤くしたまま、トールは下を向き、ラッシーの入ったコップのスプーンをぐるぐるかき混ぜた。


 その生産性のない行為は、まるで照れ隠しのようだった。

 わたしは何となく気まずくなってトールから視線をそらした。

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