錬金人形:アルヌ・サクヌッセンム 弐

 明くる日、サクヌッセンムはゴーレムの素材の買い出しに赴いていた。

 ゴーレムの錬成に特化した錬金術師であるサクヌッセンムにとって、修行に必要なものはとにかく大量の素材だった。錬成の過程はその《人形ゴエティア》の名に冠された泥より始まり、火、水、木、金属、果ては空気中の塵にまで至る。素材の質はゴーレムの質に直結する。

 故に、素材選びは錬金術師が直接その目で行う必要があるのだ。

 これも、バービケイン――自らを師匠と宣うあの老爺の教えだ。


「はい、木材二十リーブル(※約10kg)で百フランね」

 サクヌッセンムの薄く白い掌から、小麦に焼けた少女の手が貨幣を持って行く。

「贔屓にしてくれるのは嬉しいけどさ、いつまでも錬金術なんてやってないで真面目に働いたら? サクヌッセンムお兄ちゃんの頭ならもっかい大学入れるでしょ」

「借金を返さないと犯罪者扱いされて再入学できないんだよ。それとも君が養ってくれるのか?」

 サクヌッセンムは大人げなく少女――パレータに悪態をつく。

 パレータはシャン=シュル=マルヌに住む材木屋の跡取り娘だった。こうして顔を突き合わせるたびに、何かとサクヌッセンムに小言をって来る。

「そうじゃないけど……バービケインお爺ちゃんだって、いなくなっちゃったじゃん。もう研究はいいの」

 パレータの言葉どおり、彼はもうシャン=シュル=マルヌを去った。

 サクヌッセンムがそうするよう促したのだ。

聖列境会Order of Saints』――《人形遣い》を狩るという組織に、サクヌッセンムは狙われている、らしい。そうバービケインが言っていた。

 彼は相当にふざけた人物だが、それでもサクヌッセンムに対して人死にが絡むたぐいの嘘をついたことはない。

 だから師であるバービケインをこの街から逃がし、託した。

『人形を生み出す人形を作る』という自らの理論を。


「バービケインは必ずまた弟子を見付けて、僕の研究を完成させる。運がよければ僕にもおこぼれが回って来るかもな」

 自らを複製する人形の存在は、零から一の創造を意味する。

 錬金術師の悲願であった質量保存の法則の超克が叶うのだ。

 命を懸ける価値はあると、サクヌッセンムは考える。

 働くのは死ぬほど嫌いだ。それは今も変わっていない。

 だが、働かない世の中が来るようにするためには、死ぬほど働かなくてはいけないことも彼は理解していた。最も怠惰な存在であるからこそ。


「なあ。アリとキリギリスの童話、不公平だと思ったことはないか?」

 サクヌッセンムは憮然とした表情のままパレータに問う。

「いきなり何よ。アリがキリギリスを助けてやる義理なんてないって話?」

「逆さ。キリギリスが本当に働きたくなかったとしたら、彼には生きる資格はなかったのか? 神はそういう奴の生存はお許しになられないのか?」

「ええ……お兄ちゃん、無茶苦茶なこと言ってる自覚ある?」

「僕は最大多数の最大幸福を論じるなら、外れ値を取りこぼさない議論も欠かすべきではないと考えて……むぐ」

 物理的に言葉が詰まらされたことにサクヌッセンムは気付いた。

 彼の口には、焼き立てのバケットが突っ込まれている。

「あのね。サクヌッセンムお兄ちゃんがいくらブツブツ言っても、あたしたちはパンを焼かないと生きてけないの。暇だからそんなつまんないこと考えるのよ」

「熱ッ、はぶッ、水水水水」

 サクヌッセンムは極めて情けない声をあげ、口からパンの蒸気を吐いた。

 パレータが差し出した水差しを即座に呑み干し、ようやく人心地着く。

「このッ……無学な小娘がァ! どういう教育受けてんだ、コラ!」

「お兄ちゃんのそういう言葉選びは本当に直した方が良いと思うよ……あのね、」

 パレータはそこで言葉尻を一旦切って、サクヌッセンムを見つめた。


「お兄ちゃんがキリギリスだとしても、死なれると困るから。うちに来れば余ったパンくらいはあげるから、体壊さないでね」

「何だそりゃ。アリになってくれるって言うのか? 君が?」

「……悪い?」

「絶対イヤだ。君はその年齢にしてはムカつく位しっかりしてるから、一あげて一返すだけじゃすまなくなりそうなんだよな……」

「あのね、お兄ちゃん……女の子の、こういう言葉はね……」

 そこまで言って、パレータは握りしめていた拳を不意に下ろした。

「まあいいや。頑張ってね、研究。できたらあたしにも見せて」

「頑張るのは嫌いだ。朝起きたら全てが解決してることを祈るよ」

 サクヌッセンムは材木を背負い、工房への道を歩き出す。

 パレータは長い時間、その背中にむけて手を振っていた。


                   +


 パレータと別れ、村はずれに位置するシャン=シュル=マルヌ城を曲がる。

 元々この城は王の愛妾、ポンパドゥール夫人の居城だったが、革命が起きてからは見る影もない。田園の美しい邸宅メゾン・ド・プレザンス趣味な噴水は涸れ果て、ファサードには痩せっぽちの草が手入れもされずに生い茂っている。

 城内は一時期野盗の巣窟となっていたが、バービケインと共に軽くゴーレムで脅かしてやってからは二度と盗賊どもは現れなくなった。

 街の治安を脅かしていたので、ゴーレム制作の素材集めに邪魔だったのだ。

 とはいえ、サクヌッセンムとバービケインはシャン=シュル=マルヌの人々からはに感謝された。パレータがサクヌッセンムにパンをくれたり、チュニックへ野花を挿してくれたりするようになったのもその時だ。

 この街にはサクヌッセンムもに思い出がある。

 自分のことを英雄と仰ぐのなら、いっそのこと一生この街にタダ飯付きで住まわせてくれという不満はあったが、それ以外は概ね悪くなかった。

 ――例え自分が『聖列教会』に襲われ命を落とすとしても、悪くない生だ。

 彼らが襲撃に来るのはいつだろう。

 サクヌッセンムは、自らの持ち札――ゴーレム人形のことを考える。


 錬成の素材はどこにでもある。道端の煉瓦でも背負った木材でもいい。

 いずれの材料でも、一・五トワーズ(※約2.8m)までのゴーレムならば駆動機能を損なうことなくサクヌッセンムは錬成できる。

 彼のゴーレムはまず、『冠』に刻まれたシェム・ハ・メフォラシュの呪紋によって指定した素材の分子を人形の形状に組み換え、同時に『冠』から吐き出された水銀合金の糸を《演糸》として各部間接内部に張り巡らせる。次に、合金を保持している水分が蒸散しないように、油を染み込ませた革手袋が水銀合金の糸に接続され、そこでようやくサクヌッセンムの手指の操作に合わせてゴーレムを操作し、「仕事」をさせられるようになる。ゴーレムの内部で複雑に編まれた《演糸》は駆動機関――人工の筋繊維としての役割のみならず、人形の核である『冠』を衝撃から帷子のように保護する金属装甲の側面も兼ねていた。

 だが、サクヌッセンムの錬成術には明確な欠点もいくつか存在する。

 一つは彼の用いる《演糸》に、明確な実体があるということ。

 バービケインは語っていた。歴史の裏に潜む《人形遣い》の中には、目に見えぬ《演糸》を操るものも数多くいたのだという。

 音。言葉。熱。約束。呪い。《演糸》は形の有無を問わない。

 始点と終点が存在する事物ならば、それは《人形》を操る《演糸》になる。

 だが、《人形遣い》は《演糸》を切断されれば大きな隙が生じてしまう。

 そういった点において、サクヌッセンムの《演糸》――水銀は、明確な弱点の一つとなりうる。そこで本来ならば《人形》を操り、《演糸》を断ち切らせないよう立ち回らなければならないのだが、ここでサクヌッセンムのゴーレムの弱点、その二つ目が浮き彫りになる。


 

 つまり、金属による成人男性一人分のゴーレムを錬成したければ、成人男性一人分の金属塊を用意する必要があるということだった。

 無論実際はそのように完璧な材料を入手できることの方が稀なため、金属製のゴーレムを作りたい場合は、朽ちた城から騎士甲冑などを拝借し、肉抜きを施して錬成する。露見すれば当然重い罪で裁かれるだろう。

『聖列境会』と戦うならば、強度に優れる金属製のゴーレムで臨みたいところだったが、この田舎町に純粋な鉄鉱石の扱いなどない。だからと言って、このままシャン=シュル=マルヌから出るわけにもいかなかった。

 サクヌッセンムにはこの町に留まり、『聖列境会』を引き付ける役割がある。


(『働きたくない』というこの僕の崇高なる理念を、ワケの解らん教義とやらで邪魔しやがって……絶対にタダで死んでたまるか)

 このときサクヌッセンムは、まだ楽観的に考えていた。

(嫌な奴等に嫌な思いをさせるのは最高の娯楽だ――何とかして、奴等に吠え面をかかせられないか?)

 故に、その異変に気付くのも、数瞬遅れた。


 薄暗い曇り空が灰の紗をかける、城門前の石畳。

 常ならば正門の大通りには肉焼きや野菜売りの屋台が立ち並び、人通りも多いはずだが、今はまるきり人の気配がない。街ぜんたいが眠っているようだった。

 いや――厳密には、サクヌッセンムの視界の端に、動くものが、一つある。

 彼は反射的に懐に入れたゴーレムの核、『冠』の感触を確かめ――


「……パレータ?」


 修道女のような頭巾を被った少女のシルエット。

 ふらふらと正体しょうたいを失った様子で現れたのは、先程別れた材木屋の娘――パレータだった。腹を抑え、妙な足取りで二歩、三歩歩き――そして転倒する。

 反射的にサクヌッセンムは駆け寄っていた。面倒事の気配がしたからだ。


「おい! 何が起こってるか解らんが、町の様子がおかしい。一旦――」


 瞬間、パレータが思い切りサクヌッセンムを突き飛ばす。

 彼女の纏った頭巾が剥がれた。倒れるさなか、彼は目にする。

 

 パレータのすらりとした腹部は真っ赤に染まっていた。

 その中に、が埋め込まれている。

 

 パレータのつんとした口は乱雑に縫い合わされていた。

 舌を切られたのか、口の端から赤い血を垂れ流している。

 

 パレータの瞳だけが、逃げろと物語っていた。


 爆音。白い霧と共に、閃光が弾けた。

 少女のごちゃまぜになった腸と折れたあばらが飛散する。

 広場には、赤い霧がもうもうと立ち込めていた。

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