第3話 絵画
俺がカフェに来てから2時間程度経った。相変わらず店内には俺と夢野の2人きり。
暇を持て余していた俺は、窓から見える公園を眺めていた。幼稚園児であろう子供が2人砂場で遊んでいたが、すぐに飽きたのか大きな公園がある方へ走っていった。周りが住宅街で車がよく通ることもあり、ボール遊びが禁止されているこの公園に、果たして価値はあるのだろうか。
俺の記憶が正しければ、大きな公園ができる前はこの小さな公園にも子供が沢山来ていたはずだ。この公園に思い入れがある者もいるかもしれないと思ったが、人間はそこまで過去に生きていない。
どれだけ過去を振り返ろうが、結局は前を向いて歩いていくのだろうから、この公園が寂れていこうがどうでも良いのだろう。
「そういえば、どんな絵を描いてるんですか?」
ある程度の業務を終えたのか、夢野は小さなコップを持ちながら俺の側に来て、質問する。
持っているコップの中身は、ほぼミルク状態のカフェオレだった。
「お前に関係ないだろ」
「見られたくないんですか?」
「見る意味も見せる意味も無い」
「渡海さんは意味が無いと動いてくれないんですね。分かりました。意味を見つけるんで、ちょっと待ってくださいね」
「見つけなくていいわ」
顔を顰めながらうーん。と唸る夢野をアホらしく思い、本日何度目かのため息をつく。
俺が普段描いているのは、大抵が依頼された絵だ。昔は依頼を貰うために風景や人物画など沢山描いていたが、今はそれをしなくても依頼がくる。画家の仕事だって、やりたくてやってる訳じゃない。自分に向いているし、稼げるからやっているだけだ。
どっちかと聞かれたら風景を描く方が好きだが、別に人物画が描けないわけじゃないし。プライドも誇りもないこの仕事も、金になると思えば頑張れる。
「渡海さん・・・」
「・・・・・・なに」
先程まで唸っていたかと思うと、急に真剣な顔をする夢野に思わず紅茶を飲む手を止めた。
何か意味があったのか?いや、ないと思うが。あまりに真剣な顔をする夢野の目を逸らせずにいると、まるで敵地に足を踏み入れるような険しい顔で口を開いた。
「どう頑張っても意味が見つからなかったんで、純粋に私が見たいという気持ちを汲み取ってくれませんか・・・?」
「死ねよお前」
なんでですか!とショックを受ける夢野に舌打ちをして、視線を夢野から外へ移した。
一瞬でも真剣に聞こうとした自分が馬鹿だった。
凝りもせずにダメですか?と聞いてくる夢野を無視する。よくも意味が見つからない中あの顔できたな。こんな客も来ないカフェなんかより、女優の方が稼げるんじゃないのか。
「どうしてもダメですか?1枚だけで良いんです!」
「しつこいぞ」
「渡海さんもしつこいですよ。そろそろ折れてくれたって良いじゃないですか」
「お前結構図々しいな」
「褒めてます?」
「死ね」
「また死ねって言いましたね!」
腹が立つ。こんな馬鹿女にいちいち対応するのもアホらしいが、無視しても永遠と話しかけてくるのだから苛立ってしょうがない。
水なんて貰わなければよかった。いや、そもそも家から出なければ良かったのだ。やっぱり外はめんどくさい。食料買ったら絶対に引きこもってやる。早くこのカフェから出ていきたい。
そんな俺の心情など、太陽は無視をする。
外はまだまだ暑いのか、土にうつる物の影が濃い。なぜ日本には春夏秋冬があるのか。俺がもしも神だったら、永遠に秋にするのに。
当の夢野は未だに諦めず、検索したら出てきますかね?とスマホで調べ始めた。仮にも客がいる状況で堂々とスマホを触るなよ。
俺の苗字だけでは出てこなかったのか、次は下の名前を聞き出す為にまた唸りはじめる。救いようないなこいつ。
早く涼しくなってくれと願っていると、キッチンの方から騒がしい足音が聞こえた。
「休憩から戻ってきました!奏さん!何もされてませんか?!」
「あっ、凪ちゃん。渡海さんの下の名前分かる?調べても出てこないの」
「底辺のようなクソ人間って調べたら出てくるんじゃないですか?」
「殺すぞ派手髪」
「はぁ?!」
最悪だ。さっきよりも騒がしくなった。
いや、正直凪は楽だ。俺に対して嫌悪感を抱いてくれているから接しやすい。今まで接してきた人間も同じだったから。
それに比べて俺に対して好意的に接してくる夢野が問題である。今までこんな人間いなかった。
どうにか夢野を俺から切り離そうとする凪を、心の中で応援する。
「それより夢野さん!先月の売上とかの書類まとめましょ!」
「さっきやっておいたよ」
「さすが夢野さんです!」
褒めてる場合か。お前の作戦、今失敗したんだぞ。とっとと別の作戦考えて俺から離してくれ。揃いも揃って馬鹿なのか。
もういっその事カフェから出て買い物に行こうか。外の暑さも、ここにいる苦痛に比べたら耐えられるかもしれない。
そう思って席から立とうとすると、カフェのドアが開く音がした。
見ると、制服を着た4人の男たちだった。見覚えのある制服は、近くの高校のものだろう。比較的偏差値の低い高校のため、校則が緩かった。
男たちの中に黒髪は居らず、落ち着いた茶髪もいれば、派手な赤い髪の者もいる。アクセサリーもジャラジャラと着けていて、いかにも最近の若者という感じだ。
高校生たちの表情はへらへらしていて、どこか人を馬鹿にしているかのよう。どうせ無駄に大きな声でくだらない話をするのだろう。
これ以上騒がしくなるなら、本気でこのカフェから出ようと立ち上がると、1人の男が大きな声を出した。
「あのー、ネットを見てここに来たんすけど。この記事、お姉さんっすよね?」
そう言って男はスマホを夢野の前にかざした。俺の傍に夢野がいた為、画面が俺にもしっかりと見える。
画面に映る記事には、大々的に【まるでアニメに存在する悲劇のヒロイン?!夜になると透ける女性!】と書かれていた。その文字の下には、今よりも少し幼い夢野であろう女。写り的に隠し撮りだろう。
その記事を見た夢野が口を開く前に、凪がスマホを奪い取って思い切り床に叩きつけた。叩きつけられたスマホの画面は粉々になり、破片が辺りへ散らばる。突然スマホを壊されたことにすぐに反応が出来なかったのか、奪われた男は口を半開きにして動かなかった。
「なっ・・・何すんだよ!弁償しろよ!」
男は今にも飛びかかりそうな形相で凪を睨むが、凪の表情を見てまるで悪魔でも見たかのように青ざめる。そんな男たちを見下すように、凪は口を開いた。
「お前らのくだらない話のネタに、奏さんをつかってんじゃねーよ」
地面を這うような低い声に怯える男たちは何とも情けなく、追い詰められた獣のようだ。
そんな男たちの怯えなど関係ないとでもいうように、凪はスマホの画面を差し出した男に近付くと、男の胸元を掴んで右手を振りかざした。
流石に暴力沙汰になっては、俺も面倒臭いことになると振り上げられた右手を掴もうとすると、先程まで黙っていた夢野が口を開く。
「凪ちゃん、それはダメだよ」
その一言で、凪はピタリと止まった。夢野の方へ振り返った凪の表情は、まるで駄々をこねる子供のようだ。
「でも・・・」
「怒ってくれてありがとう。でも、人を殴ったらダメだよ」
納得いかないくても夢野に逆らう気はないのだろう。少し不貞腐れた顔のまま、凪は男たちからスっと離れて夢野の側へ行く。
夢野は傍に来た凪の頭を撫でながら、男たちへ向けていた視線を、俺によこした。
「怪我してませんか?」
「あ?・・・してないけど」
突然の問いに少し間が空いてしまったが、俺の答えに納得したのか、小さな声で良かった。と呟いてすぐ視線を男たちへ戻す。
夢野は凪を横にどけると、しゃがみこんで粉々に割れたスマホを手に取った。そして、男の元へ優しく手渡す。
「スマホの修理や請求はまた後日、お願いします。怪我はしていませんか?」
「えっ、あ、まぁ・・・」
「それなら良かった。店内に散らばった破片で切ってしまうかもしれませんから、今日はもうお帰りください」
そう言ってドアを開ける。最初は戸惑っていた男たちも、凪の睨みによってそそくさと逃げるようにカフェから出ていった。
男たちを見送った夢野は、俺の方を見て申し訳なさそうに笑う。
「すみません。まだ涼しくはなっていないんですけど、ガラスを片付けたいので外に出て欲しいです」
「それよりお前、指切ってるだろ」
先程スマホを持ったからか、夢野の手には数箇所切り傷がある。どれも深くはないだろうが、血がしたたり落ちているのが見えた。
夢野は自分の手を見て、舐めとけば治りますよ。と笑い、凪に箒をとって来るように頼んだ。
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