6-6 境界を駆ける

「状況を確認するわ」


 中和した嵐の中を進みながら、悠乃が言う。


「私たちの第一目標は、あの飛蝗男の撃破。第二目標は、“円卓”が介入するまでの時間稼ぎ」

「第一と第二の順序、逆じゃないのか?」


 問うと、前方を見据えたまま、悠乃は無造作に頷く。


「防戦は、守りの弱い部分を突き崩された時点で負けるわ。現時点の戦力は、貴方と私の二人。明確な穴がある以上、打って出た方がまだ勝ち目がある」

「う」


 それを言われると弱い。何しろ、俺は覚徒になって間もない、ただの一般人だ。


「大丈夫。どちらを優先するにせよ、勝率はあまり変わらないから。それにこれは、そもそも貴方が作ってくれた機会チャンスだもの」


 思考を巡らせているのか、平淡な口調で悠乃。


「それより、理由はもう一つある。相手が“しきそう”を使ったこと」

「識装?」


 聞き慣れない言葉に、疑問符が口を突いて出る。


「識術の一つの極致。逸路を含めた、私たち覚徒が使う切り札のようなもの。自分が存在する目的を“生存”から“闘争”へ一時的に書き換えることで、大きな力を得る技術よ」

「自分を書き換える、って……。そんなこと出来るのか?」

「素質と、その人の在り方次第では」


 一瞬、悠乃の目がこちらを見て、また戻る。


「重要なのは、識装には危険リスクがあるということ。自分の根本に“願い”を宿らせるのだから、損傷ダメージを受けた時の被害も相応になるし、原型から離れるほど、ただ在るだけで、自己は急速に失われていく。つまり、今の係争屋の本体は、元々の存在規模に比べて、極端に打たれ弱い状態にある」


 もちろん、有効打を与えるには条件が整う必要があるし、勝ち目が薄いことには変わりがないのだけれど。


 そう付け加える悠乃の目に、しかし諦めの色はない。

 そして幾つかのことを告げた後、結ぶように言った。


「佑。この戦いの勝敗、貴方に預ける」




 激しい嵐の向こう、暴風の中心に当たる場所へと出る。

 そこは砂塵の影響もなく、赤い月が照る凪の空。


 悠乃が瞳の中和を解く。

 見上げた先には飛蝗の怪物――四枚の翅で夜空を統べる、係争屋の威容。

 その身に負ったはずの傷は既になく、性能が損なわれている様子もない。


 先程のような不意打ちはもう通用しないだろう。

 唯一付け入る隙があるとするならば、それは。


《ようこそ、直衛佑。わたくしのささやかな箱庭へ》


 歪んだ喉から発された声が、俺の名を呼ぶ。


《先日の戦闘は実に愉快なものでした。最後まで諦めず、苦しみながらも生きあがき、手にした勝利は見事の一言。その戦果に酔い、たびはいささか血迷われましたかな?》

「そうかもな」


 右手を握りしめ、返す。


「今はお前相手に幸運を掴めるか、やってみようって気分だ」

《なるほど、素晴らしい。ばんゆうもまた、惨死を彩るよい調味料です》


 慇懃に笑い、係争屋は言う。


《それでは、見せて頂きましょう――貴方がたが、果たしてどのように死に抗い、そして敗北するのかを!》


 張り上げた一声を合図に、周囲を舞う砂塵の中から、無数の飛蝗の群れが姿を現す。

 駆け出しながら鼓動を放ち、周囲を走査スキャン――敵の分布を三次元規模で把握、立体感覚の中に焼き付ける。


 ここへ来る直前に悠乃が告げたことを思い出す。


『勝つために、まず最初に必要なのは空間把握。ここは敵の識域、間違いなく私たちは先手を取られる。初撃をさばけなければ、攻撃の糸口すら見出せない』


 層を成して襲来、空間を埋め尽くす赤黒の物量は膨大。それが前方、側方、後方、あらゆる角度から迫ってくるのだ。

 一度取り付かれれば、振り切る余裕も与えられず食い殺されることは必至。

 接触される前に、それら全てを撃ち落とさなければならない。


 ――きんっ!


 悠乃の瞳が眼光を増し、目と鼻の先まで迫っていた群れを射貫き、塵に変える。

 だが、一度に干渉出来る空間規模は限られている。殺到した次の軍勢が、牙を剥きこちらをめがけ襲いかかってくる。


「ああああああっ!」


 立ち位置を交代、即座に俺が前に出る。

 地に手を突き、走査スキャン。厚さ重視、交差軌道で土の柱を複数発撃ち出し、敵の群れを挟み潰すと同時、即席の隔壁を作成する。


 無論、相手は怪物だ。それ自体はわずかな時間稼ぎにしかならない。

 だが、敵の分布を把握した上で設置すれば、もう少しだけ猶予を掴むことが出来る。


「隠れて!」


 悠乃の右手が跳ね動く。

 隔壁により飛行軌道を制限され、密度が上昇した飛蝗の群れをめがけて、放たれたのは数発の手榴弾。閃光と共に激しい爆風が生じ、夜空を覆う赤黒の一群が引き裂かれる。


 その間にも俺たちは移動している。隔壁を回り込むようにして現れた後続を悠乃が破壊し、俺が壁面を連続生成しながら安全なルートを作成する。

 敵とこちらの物量差は比べるべくもないが、攻撃方法が近接に限定されるのならば話は別だ。

 全方位から敵が来るのであれば、層の薄い場所を感覚し続け、突撃の波を悠乃が打ち消しきるまでの間、俺が流量制御を引き受ければいい。


 心臓が熱い。掌の痣が、脈打つたびに燃えるように痛む。

 だが、まだだ。

 こんなところでへたばってちゃ、勝ちは到底掴めない。


《さすがに、全くの無策ではないようですねえ。――では、これはいかがです!?》


 周囲を覆う嵐の壁面から、砂塵が轟音を立てて噴き出してくる。

 血に濡れた砂塵は、それ自体が一定の重量を備え、やすりの鋭さを持って接触部を削り取る。

 それが、操り手である係争屋の命によって凝集。

 表面に無数の死者の手を備えた、巨大な幾本もの腕となって殺到する。


「一つ一つの破壊は難しい。散開して的を散らす。切り抜けて」

「任せろ!」


 背中を合わせた状態から一転、それぞれ別方向へと全力疾走を開始する。


 俺の方へ狙いを定めた腕は四本。

 腕の接近に合わせ、最大出力で一帯に走査スキャンをかける。


 激しい土煙を立てながら迫る一つ目の掌。走りながら拍子タイミングを合わせ、足下の地面を小隆起させつつ跳躍。身体を丸め、的を最小限に絞った踏破ヴォルト。伸ばされる死者の腕をすんでのところで回避し、巨大な指の隙間をくぐり抜ける。着地回転から即座に再加速。


 俺という小さな的めがけ、しょうていを食らわせるかのように迫る第二の腕。

 側方に避けることは難しくないが、それを選択した場合、続く後ろ腕に挽き潰される可能性が高い。となれば――。


「上!」


 地面から足場を切り抜き、最大出力で底部破壊。投擲機カタパルトの要領で俺自身を上空へと打ち出す。


 問題はここからだ。


《ほほう、自らおどり食いの道を選びますか! 血の雨を降らすのがご所望だと!?》


 耳に障る声。迫る第三の腕を尻目に、悠乃の二つ目の言葉を思い出す。


『次に必要なのは、新しい選択肢。貴方の手札は少なすぎる上に、恐らくは相手に把握されている。ほぼ確実に、今の力だけでは突破出来ない状況が来るわ。そのために、覚えておいて』


 “空想イメージを補助するには言葉がいい”。


「一歩を、踏み出す……!」


 言葉はことだま。人間の思考、そのいしずえの一。

 鈴の音の声を脳裏で復唱しながら、数日前感触したばかりの、空中を行く悠乃の全身の躍動を思い出す。

 そして叫ぶ。かくあれかし、否、確かにそうあらしめる、と、宣言するように。


「――《踏破制御フリームーブ》!!」


 足下の空気を踏み固める空想イメージ


 感触を捉えた瞬間、力の限り蹴っていた。

 幾つもの識術を同時に扱うなんて芸当は当然出来ない。推力パワーが足りない分は、重力を中和せず、自ら地へとことで補う。


 三、四本目の腕をかわしながら宙を蹴り、旋回してきた第一、第二の腕による攻撃を回避する。

 激しい機動、それも天地を問わない動きのせいで、方向感覚が狂いかける。

 強いて視覚を手放し、触覚に外界感知の全てを任せることで補う。


「(さすがに長くは保たないか! なら――仕掛けるしかない!)」


 軌道変更、全力で空を蹴って上方へ、挙動の遅い腕の群れを振り切る。

 風を切りながら狙いを定め、再び落下速を足し合わせた急降下を敢行。

 狙う先は――。


「係争屋ーーーーーっ!!」


 四本目の腕がこちらを迎撃するかのように振りかざされる。

 咄嗟の判断――回避をしている余裕はない。

 可能な限りの加速を重ね、無数の赤黒の掌がうごめく巨腕の掌へと突っ込む。


「ぐうっ、うっ――!」


 死者の手による拘束を、慣性を使って振り払いながら突っ切る。

 全身をやすりの鋭利が引き裂き、傷を刻みながら減速させる。

 それでも加速はやめない。ひたすら空を蹴り、巨大な腕の内部を強制進行、距離を稼ぐ。

 そして、


 ――どくんっ!


『最後に必要なのは、


 最大出力の走査スキャンが、砂塵の巨腕を震わせる。

 捕らえ、傷つけ、苦痛の海に獲物を沈めることにのみ腐心していた死者の手が、ざわつく。


『貴方にとっての一番の武器は、貴方が最初から使いこなせている空想。技術を覚えることは可能だけれど、覚徒が最後に頼るのは、自分自身の感覚由来の力。今扱えている空想のその向こう、より多くのことを可能にする空想イメージを見つけ出すの』


 跳ね返ってくる走査の感触。濡れた砂塵、錆びきった鉄の瓦礫を叩くような手応え。

 それ自体は群体的、ばらばらで、統一性がない。

 これを今までの俺が無理に壊そうとしたところで、何千回という試行が必要になるだろう。


 けれど。


「これが一本の“腕”だっていうなら、話は別だ……!」


 脳裏に映し出される像。その規模を拡大する。

 得られた情報の総体をまとめ、巨大な構築物、それ一つの姿を思い描く。

 でかかろうが頑強だろうが関係ない。構造を狂わせ――、


「――ぶっ壊す!!」


 重要なのは空想イメージだ。

 俺は今まで、何を捉えるにせよ感覚に頼りすぎていた。

 相手をものの集合、構造の積み重なりと捉えるのではなく。

 その結びつきの果てに生じる“個”として認識し、破壊する――。


 砂塵、掌、そして腕一つ。

 小から大へ、形作られる凝集の円環。その中で、力の作動規模を最も大きい対象ターゲットへ拡大。血に濡れた右手から、渾身の力で“願い”を放つ。


 ざああああああっ!!


 砂塵の腕が内部から爆破されたように炸裂し、何秒かぶりに景色が晴れる。


《!》


 眼下に望むのは、係争屋の異形。

 右腕を引き絞り、再び《踏破制御フリームーブ》を起動。


「おおおああああっ!!」


 その有り様を感覚しながら、掌を叩きつける。


《ちいっ!!》


 直接接触の直前、右手が不可視の複層障壁に阻まれる。


 どくん!


 歯を食いしばり、宙を踏み、前方への推力を追加しながら、障壁の構造を把握、破壊。

 一枚、また一枚と障壁を破り、相手の体表面に肉薄する。


《調子に乗るな、ぼんような覚徒、風情、がっ――!》


 係争屋が毒づく。障壁が内側から追加展開される。拮抗出来ず、踏み込もうとする俺は、徐々に押し戻される。


 ――そうだ、その通りだ。

 俺はついこの間まで、戦い方も知らなかった覚徒の駆け出しだ。

 たまたま不意打ちに適した空想を扱えて、悠乃が作り出した隙を突いて、たまたま一撃を与えおおせただけの存在だ。


 そして警戒すべきもう一人、悠乃の手札は先の戦闘で知られ、不確定要素は限られている。

 係争屋にとって、形勢は有利一色。


 だが、


『戦って確信出来たことがある。あれは“到達者”級の中でも、特に慎重を旨とする逸路。そして、強者との闘争よりも、弱者をいたることを“願い”としている』


 “願い”の成就のために長き時を生きる“到達者”たちは、何より死をいとう。

 いかな不死身を纏おうと、識域にはそれすら覆るような可能性イフが常に潜んでいる。

 故に彼らは戦場に現れず、事態の裏で糸を引く。――己の生存、そして絶対的な勝利が、確信出来ない内は。


『あの男が戦場ここに居続けている理由はただ一つ。安穏あんのんな“虐殺”が出来ると確信しているから』


 係争屋にとって、これは戦闘ではない。享楽なのだ。

 俺も、悠乃も、係争屋にとっては敵の内にも入らない。さもなければ戦場に出てこないか、最短で目的を達成し、とっくにこの場所を離れているはずだ。


『なら、私たちはその隙を突く。機会チャンスは一度――虫が毒を注ぐようにして、獣が病を運ぶようにして、一噛みであの怪物を打ち倒す』

「悠乃――!!」


 声を上げるまでもなく、悠乃文香――本物の黒衣の死神は、既に執行準備を整えている。


空想看破スペルブレイク多重反響ディフューズド観測開始スターティング


 鉄錆の死臭が立ちこめる戦場に、一陣の風が吹く。


「状況そく。交戦遂行上の踏破危機を認識。等級、莫大。第一、封印拘束レベルキャップ、解除」


 虹の瞳が輝きを増す。荒れ狂い始めた風の中で、揺らめく残光を引く。


《ぐうっ――!》


 宙に立つその小さな身体に向け、砂塵の腕が殺到するが、悠乃の周囲数メートルの空間に立ち入ろうとした瞬間、全ての空想を失い、力なき砂となって吹き散らされる。


「対象幻想中核への視覚浸透を開始。空間規模、計測――完了」


 第一の封印は出力そのものを、第二の封印は指向力――対象を一点ピンポイントに絞り、影響を増幅、完膚なきまでに破砕キャンセルする力を。


封印拘束レベルキャップの解除には時間がかかる。どうしても、隙を稼ぐための一手が必要になる』


 一人のままでは使えない切り札――しかし、二人なら。


退け、小僧っ! 退かんかっ!!》

退いてたまるかっ!!」


 構造解析、破壊、推力による押さえ込み。

 三つの空想の並行発動。視界が眩む、世界が麻痺する。

 それでもやめない。湧き出す飛蝗の群れに全身を食いつかれながら、意識を焼く全力の綱渡りを継続する。


「踏破等級、設定終了」


 鈴の音の声が響き渡る。

 地を削り天を染める地獄の時間、終わらない悪夢の終焉消滅を告げる。


「“万色の瞳カレイドスコープ的射シュート”、起動。――塵と化せ、飛蝗ひこうの王のせんしょう者!」


 きぃぃ、ぃぃんっ!!


 宣言の完了と共に、全ての異能を無に帰す万色の輝きが放たれた。


《ぐ、お――おぉぉぉぉぉっ!!》


 極小範囲――係争屋本体を包み込む球形空間に展開され、乱反射する光は、俺を包む赤黒の群れごと、奴の異能を消去していく。


 障壁が強度を失い、ひび割れ、砕ける。

 右手の痣が燃えるような熱を帯び、甲殻表面に触れる。

 意識にかかる莫大な負荷――悠乃による消去を経てなお残る、係争屋が内包する膨大な情報を読み切ることが出来ず、意識が断線しそうになる。

 だが構わない。この一撃さえ、通るなら――!


「砕けて消えろ、“係争屋”っ――!!」


 構造把握、対象空想完了、根幹を破壊オーバーロード。掌で掴む、確かな打倒の手応え。


 係争屋のからだから酸化血ペイル・ブラッドの光が噴き出し、一帯を照らす。

 五感を塗り潰す激しい情報の奔流の中で、絶対の災厄だった男の牙城、識域が崩れていくのを、俺はかすかに感覚した。

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